できることへの感謝の思いよりできないことへの悲しみ | ちょっと微妙にスピリチュアルな話

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久々に過去の日記を振り返させて頂きます。

 

1990年8月13日

 

今日からステージに上がって動く練習が始まった。

今までのボーカルやフィットネスの練習だけのものに比べるととても楽しいものだった。

それでも食事は悲惨で大学のカフェテリアが懐かしかった。

動きに慣れてしまったのか新鮮さがなくなってしまい疲れだけが溜まっていきます。

それでも楽しむことはできるのだから思いっきり頑張ろう。

本当に短い1年なのだから、自分の置かれた状況を理解して、そこから得るものがあるはずです。

めげないで、嫉妬しないで、楽しく過ごしていきたいです。

みんな疲れているようです。でも元気でいよう。

 

 

なんか自分でも意味不明の内容で、何が言いたかったのかよくわかりません。

ステージを完成していくときに、やはり上手い子がメインダンサーやソロリストに選ばれていくのだけれど、

もともとステージを夢見て参加している子たちは、選ばれないことに対しての不満の思いや嫉妬の思いが入り乱れてくるわけです。

それと同時に、繰り返し繰り返し練習することはマンネリ化してだんだん疲れだけが溜まってきたのかもしれません。

 

私のように歌もダンスも上手にできなかったし、ステージへのあこがれで参加したわけではなかったにも関わらず、せっかく一生懸命に練習したダンスや歌が、衣装替え(数少ない黒髪の日本人であったため衣装を何度も着替えて舞台に立つ役割だった)のために披露できないことに対して悲しい気分になったりしたことが思いおこされます。

 

できることへの感謝の思いより、できないことへの悲しみの思いの方が強かったみたいです。

若かったんだなと思います。

 

統一原理を知ったとき、原理を知って参加していたら、もっと積極的に自分の心情を成長させることができただろうにと思ったものでした。

今思い起こしてもけっこうつらい悲しい思いがたくさんあった1年でした。