ゴミだらけの町 | ちょっと微妙にスピリチュアルな話

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昨日、たまたまテレビを見ていたら韓国の国歌である愛国歌を作曲された方が紹介されていた。

旅番組の中での一場面だったが、スペインのある町を旅しながらそこに今でも暮らしているその作曲家の娘さんと出会って感動するみたいなプログラム構成だった。

 

私としてはやっぱり韓国人でないので、異国の地で愛国歌が流れてきても感動も何もなかったが、スペインの海の見える丘に建てられたお庭の広い家に住まわれている娘さん(もうおばあさんであったが)を見ながら、この地球に生まれてきてこんな心豊かになる美しい場所に住んでいる人もいるのに、かたや微細ホコリ(日本ではpm25とか言うのでしょうか)注意警報が鳴りまくるホコリまみれの韓国で住んでいる私の境遇のあまりの違いにちょっと虚しさを感じてしまった。

 

韓国もこの20年でものすごく変わった。

 

最初韓国に来て、教会で任地生活を送っていた時、道端にあふれるゴミを毎日一袋づつ拾うことを日課としていた。

私なりの韓国を愛する条件みたいに考えてのことだった。

 

道端はごみであふれかえっていたし、特にひどかったのはちびっこ広場。

子供たちはみんな買い食いをして、食べ終わったものはみんなその場に捨てていた。

見るに見かねて、よくごみを拾っていた。すると一度、市の職員と間違われたこともあった。

 

 

 

それでも、韓国人は家の中はピカピカに床を雑巾がけする人は多かった。

 

雑巾まで煮沸消毒して、キッチンで使う布巾もいつも真っ白な状態で使う人が大半で、日本人以上にキレイ好きなように思われたが、一歩外にでると公共の場は自分の領域ではないと思うのか、気にしない人がほとんどでそのギャップの差に驚いたものだった。

 

20年すぎて、子供たちも学校で奉仕活動として町をキレイにするためにゴミ拾いをしたり、既成教会などでもよくゴミ拾いする奉仕をしているし、何よりシルバー人材を利用して行政でもゴミ拾いを徹底するようになったようで、以前よりは道端のゴミが少しは減ったように思う。

 

でも問題はゴミを拾う人が増えたということより、ゴミをやたらに捨てないという人々の意識がどれほど変わったかが問題だと思うのだが、どうだろうか?

 

学校でゴミ拾いを奉仕活動としてしてきた子供たちが大人になるころ、ゴミを捨てる人が少なくなるだろうか?

 

韓国人が日本に行ってまず驚くのは町のキレイさである。(そんな話を何度も聞いた)

 

ただ単に日本人は人に迷惑をかけてはいけないという習性の現われかもしれないが。

 

そんなことをふと考えました。