真理とは | ちょっと微妙にスピリチュアルな話

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違いを認め理解すること。

 

これはとても難しいことなのだろうか?

 

この世の中は思想や価値観の違いによる争いが絶えない。

 

世界を見ても、いつ大きな戦争が起きてもおかしくないような情勢。

 

自分たちの信じる価値観が正しいと信じて疑わないために、相手の価値観を認めることができないで、相手を変えさせようとしているのではないか。

 

そんなことを考えたりしている。

 

次元は違ってもこのようなことは我が家でもしょっちゅう起こる。

 

次女は三女のことを理解できず、切れてしまう。

 

三女は何の悪気もない。

 

私が何気なく言ってしまう言葉で子供たちも夫も不機嫌になる。

 

家族だから、そのうち時間も立てば機嫌も直るが、私たちの住んでいるこの世界はこれからどうなってしまうのだろうか?

 

かつてはすべての世界情勢は神の摂理だと思っていたから、地上天国実現の必須条件が朝鮮半島の南北統一だと信じていたし、その使命は母の国日本の統一教会信徒たちに託されていると信じていた。

 

今でも現役信徒たちはそう信じて、活動しているのだろうか?

 

私はいつでも北朝鮮に行く覚悟を持っていた。それがお父様の願いだと思ってた。だからその摂理が来る前になんとか夫を復帰しなければと思っていたときもあった。

 

北朝鮮の体制や、主体思想を良しとしているわけではないが、相手はそれを良しとして生きている人たちだ。国がらめでカルト宗教に陥っているような状態ではないかと思う。

 

思想の自由がないのだから。

 

でもだからと言って、闇雲に北朝鮮は間違っている、主体思想をやめなさいと言ったところで、変わるわけない。

 

それは現役統一教会信徒たちにも同じことが言えると思う。

 

統一教会じゃなくたって、他の宗教を信じている人みんなそう。

 

ここ韓国はキリスト教徒が多い。道を歩けば教会に当たるというほどキリスト教会があちこちにある。

 

これを証拠にメシヤが再臨する国だとか言われてたけど。

 

出歩けば、しょっちゅうイエスを信じなさいとチラシを配る信者の方に会う。

 

最近はエホバの証人の信者たちがあちこちに立っている。訪問伝道をやめたのかな。

 

彼らは本当にイエスを信じなければ天国に行けないと信じている。

 

でも私は信じていれば、それも本当になるのかもしれないと思ってる。

 

でも真理はひとつではなく、信じた数だけ真理が生まれるような考えを、信仰をやめてから持つようになった。

 

自分の信じたことがその人の真理になるみたいな。

 

そんなバカなことあるかと反論されてしまうかもしれないが、今のところ私が一番納得できる考え方なのだ。

 

だからもっと違いを認め合ったらいいのにと思う。

 

争いをなくすために。

 

それをできる人が一番多いのが日本民族のような気がする。

 

日本人のすばらしは日本の中にいては気づかないかもしれない。

 

私は海外に出て、日本人のすばらしさを身にしみた。

 

自分が日本人であることに誇りさえ感じた。

 

その誇りを統一思想で全部覆されてしまったが。

 

今、また再びそんな温和な心を取り戻し、日本人としての誇りを持ちたい。