マインドコントロールの書籍を読みました。
読んだあとの私の気持ちはとてもふさぎました。
マインドコントロールは自分自身で気づくのはとても難しいとのことでした。
マインドコントロールと洗脳は違うのです。
自分からどんどんはまっていくんです。
無理やり、教え込まれるわけではないんです。
この世には宗教ではなくて、かなりの分野でこのマインドコントロールが気づかないまま行われているんだと思います。
私がマインドコントロールされた経路です。
私は路傍伝道されて、ビデオセンターにつながりました。
最初に見た倉原講師の総序のビデオにとても嫌悪感を覚え、上から目線で何を言ってるんだみたいな態度で見ました。
でもその後に、そういう自分の気持ちをトーカーの人に話しましたが、美味しいコーヒーとお菓子を食べながら、私の話をただ聞いてくれるトーカーのお姉さんに少しずつ心を開いていきました。
私の話をそんな風に聞いてくれる人は当時誰もいなかったんです。
当時、就職したばかりで、海外生活から帰国して間もなくて、何でも思ったことを率直に話すという習慣が身についていて、それをそのまま会社の上司に対してもしてたので、とんでもない、常識のない人と思われていたかはわからないけど、陰口をたたかれる毎日でした。
でも仕事を教えてもらってた先輩もアメリカで大学院留学してたり、上司もアメリカの本部で5年勤務の経験があった方だったので、そんな私の態度も頼もしく受け止めてくれてたので、まだ救われていました。
でも、もともと悩み深い性格の私は、日本の社会でうまくやっていくことはできないんではないかと結構悩んだりしてたんです。
こんな心理状態の私にとって、誰かが私の味方になって私の話を聞いてくれるというのは何よりもうれしいことでした。
だからビデオ講義にはとても失望したけど、トーカーのお姉さんに悪いので、一生懸命見ることにしたんです。
そんな中で堕落論に相対し、そうかもしれないと思ってしまって、こんなことを言ってる人は一体誰ですかと聞いてしまいました。
そして、初めて文氏と統一教会という組織の名前を知ったのです。
そしてまだビデオ拝聴が終わってないのに、突然2dayのセミナーに参加することになりました。
いろんな人に出会うことが好きだった私は、最初に登録するときからセミナーがあると聞いて、楽しみにしてました。
宗教だとは夢にも思わず、会社以外のところでいろんな人に出会いたい、友達を作りたい、そういう動機だったんです。本当に。
参加するに当たって、トーカーさんからは聖歌を歌うが大丈夫かとだけ聞かれました。
でもそのときは、何の疑問も持たないほど、そのトーカーのお姉さんに心を許していたので、自分はキリスト教系の大学に留学して、いつも歌わされていたから抵抗はないと素直に答えただけでした。
そんな中で参加した2day.
最初に自分の目標を書いてくださいと言われて、「みんなで仲良く」というのが私の2dayの目標でした。
ところが、男性と女性が別々に座ったり、神様についての標語みたいのがあったり、参加している人たちも何か、社交的じゃなくて、自分の殻に閉じこもっていたりして雰囲気が私が思っていたのと違うことに気づきました。
そして実際に聖歌指導のお姉さんが前に出て、聖歌を歌うあたりから、やっとこれは新興宗教の集まりだということに気づいたのです。
私はキリスト教を信じるという人たちの矛盾と依存心みたいなものに偏見を持ってたので、絶対に洗脳されてなるものかと気づいた瞬間から心を閉ざしました。
ただ、信頼していたトーカーのお姉さんに迎えに来たら、文句を言ってやろうという思いだけで、時間が過ぎるのだけと待ちました。リクリエーションとかが途中であったりしたのですが、完全に無視していました。
講義が始まるたびに聖歌を歌うのですが、私は絶対に口を開かずに聖歌指導のお姉さんをにらみつけていました。
そんなにも頑な私だったのに、講師の先生は何か面白くて、冗談も言うし、自分が2dayに参加したときの体験談なんかを話してくれるのですが、その姿が自分とダブっていたりして、講師の先生にまず気を許してしまったのです。
そしてその講師がスタッフの人たちは今、皆さんのために祈祷をしてるんですとか言われて、全然協力もしない、反抗ばかりしている私のために祈ってくれているということを聞いて、またスタッフの人にもなんか悪いななんて思うようになってしまったんです。
そして極めつけは、にらみつけていた聖歌指導のお姉さんが夜寝る前に部屋にきて、疲れたでしょうと私の肩を揉んでくれるのでした。
人には返報性という「人から何らかの恩恵を受けたら、お返しをしなければならない」という原理が常に働いているとマインドコントロールの書籍に書いてあった。
まさに、その原理が働いて、私は聖歌指導のお姉さんに悪くてとうとう聖歌まで歌うことになったのです。
それでも、洗脳されてはいけないという自分を防御する思いだけはずっと持っていました。
そんな中、私は神様に祈り続けました。祈るというより、訴え続けたという感じでした。
「神様、貴方はなぜ、私をこんなところに連れてきたのですか。私はキリスト教は嫌いですと言ったじゃないですか、今私が学んでいるのはキリスト教の新興宗教じゃないですか、なんでですか」
ものすごい、念力で訴え続けました。
そしたら、その答えともいうような内容が講師の口から語られ始めたのです。
「キリスト教は失敗した」と。
1945年、再臨主がこの地上に来たが、イエス様のときと同様にキリスト教が再臨主を受け入れなかった。その結果、どんどんキリスト教が腐敗していった。韓国動乱が起こった、、、、、、、、。
語られる内容はまさにその通りでした。納得せざるを得ませんでした。
頭の中に走馬灯のように、今までの人生の苦しかったこと、つらかったことが思い出されました。
そして神様はいつもそんな私と共にいたということ、ただ黙って見守るしかできなかった神様の存在をはっきりと感じたのです。
今まで、会うことのできなかった本当の親に初めて出会ったという喜びが体中にあふれかえりました。
細胞の一つ一つが喜んでいるように、私はその喜びを隠すことができずにいました。
これが私の神体験でした。
今でもこれはなんだったんだと思うのです。
この体験を否定できないために、マインドコントロールを解くことなど絶対にできませんでした。
そして似た体験を天一国連合という分派に導かれるときにもしているのです。
マインドコントロールの書籍の中で、統一教会の悪徳霊感商法について書かれている部分があるのですが、筆者の方は弁護士の方ですから、被害者側の立場でしか見ることができないかもしれないのですが、内部にいた側としては、信者はとにかく世界を救うというのが動機なんです。
人をだまそうという思いはないのです。結果的にはだましているのですが、動機は健全なのです。そして、相手の救いのために、祈ったり、条件を立てたり、必死なのです。そこに霊界が働いて、結果として相手の方が万物を授かる(=だまされて、高額な買い物をさせられる)ということに至るのです。
そして、その万物を授かることによって、本当にその家系にあった不運から免れるという体験談が多々あるのも事実なのです。
これが、どういうことを意味するのか、私は両方の立場がわかるので、どちらが正しい、間違ってるとは言いきれないのです。少しずつただの思い込みだったのかもしれないというふうに今は統一教会側の誤りに心が傾いてはいます。
そして信仰を離れた今は、過去に私が加害者となって、万物を復帰した(お金を騙し取って献金した)ことが良心の呵責となって私の心を苦しめるのです。
そして、統一教会に導かれたことを誇りのように思ってきた私のしてきたことが、とんでもないうぬぼれであったという事実、いろんな人に口走ってきたことが全部嘘であったこと、このマインドコントロールの書籍を読んで、また自分のしてきたことを思い出し、心が重く落ち込んでしまったのではないかと思うのです。
私の心の中にはまだまだカウンセリングが必要な部分が残っているんだなと感じました。
書籍の中でも脱会後の専門家によるカウンセリングが重要だって書かれていました。
今は、ただこうしてブログで自分の思いを綴ることでしか自分の心を癒していくことはできません。
読んでいただいてありがとうございました。