ちょっと微妙にスピリチュアルな話

ちょっと微妙にスピリチュアルな話

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昨日はせっかくのお休みでしたが、

寒くて家から一歩も外に出ないで過ごしてしまった!

行動しないとインスピレーションもわかなくてね。

ちょっとグダグダしています。

 

特に、今の易は天沢履。

履という漢字が示しているように

履物を履いて外に出て実践するという意味があるそうです。

外にでると、それだけでインスピレーションが

降ってくるかもしれませんね。

 

でもね、できないことに焦点をあてるのではなく

できたことに焦点を当ててみるわけです。

特に、赤い空歩く人は

「やりたいからやる」

「地に足をつける」

「現場主義」

こんなエネルギーです。

 

昼間から、入浴剤を入れて

ゆっくりと湯舟につかりました。

 

おからをもらったので、

おからの煮物を作ってみました。

 

アナスタシアの4巻を読み進めました。

 

 

アナスタシアについては昨日もお話しましたが

2度目に読んでいるはずなのに、

ちょっと次元の違う感覚になります。

 

それだけ

”感じる”

ということを実践してきたのかもしれません。

 

アナスタシアという女性が実在するのかどうかはわかりませんが、

実在したとして、

このアナスタシアを読んだ読者一人ひとりの意識に

アクセスしているような感覚があります。

 

行間を感じるようになるという文章がありましたが

明らかに知識を教えているものではなく

インスピレーションによって

宇宙の叡智を感じるようになっているみたいです。

 

衝撃だったのは昨日も書きましたが

創造物について解き明かすべきではない。

解き明かすようになって

地球が破壊される方向に向かっていると

私は感じたのですが、

それを防ぐには

やっぱり人は経験によって感じること。

そしてインスピレーションによって

創造の夢にスイッチを入れること。

 

知識を学ぶことはもしかしたら

宇宙の法則に反している??

そんな気もしてきました。

 

過去の人たちは経験から様々な知恵を学んできました。

それを後世の人に残してくださったわけですが、

それを知識としてとらえているだけでは

ただの頭でっかちでしかなく

知識をひけらかすプライドだけが高い人間になるのでは?

 

そして、今回、日本では選挙がありましたが、

その政治家たちのほとんどは、

知識が豊富な感じることを忘れてしまった人たち???

と言っては言い過ぎかもしれませんが、

知識では政治はできないですよね。

 

分析だけでは国は良くならない。

 

そんなことを思わされます。

 

 

私も当然、学びが大切だと思ってきました。

 

いつのころからか

読書している自分が物事をわかっているはずと

思いっきり勘違いをしてこなかったかなと思うのです。

 

 

読書を始めたきっかけは前にもお話しました。

学生時代、漫画しか読んでいなかった私が

アメリカ留学をきっかけに

無償に日本語の活字に飢えて

図書館にあった日本人の先輩たちが残していかれた

日本語の小説を手にしたのがきっかけ。

 

そこから読書が好きになったんですが、

結婚して韓国に来てからは

韓国語を習得しなければならなかったし

子供達には日本人のお母さんだからといって

韓国語が人並みにできなかったら

学校生活に支障をきたすだろうという

親心だったのか、

親のエゴだったのか

今となっては微妙な気持ちでしたが

一生懸命に韓国語の絵本を読んであげました。

 

私も、子供たちに与える本を通して

韓国の歴史も文化も学びました。

図書館にも毎週のように通ったんですね。

日本の昔話より韓国の昔話の方が

よく知ってるかもしれません。(笑)

 

そんな私が再び、日本の本を読むようになったのは

実は、私がひきこもっていたときに

熱心に毎週、訪ねてきてくれた

ネットワークビジネスをしている韓国人のママ友のおかげでした。

 

ネットワークビジネスどころか

人と会うのも難しかった私でしたが、

毎週お話していると

心を開けるようになって

誰にも言えなかった夫婦の問題や

子育ての問題、なんで韓国にまでくるようになったかなど

なんでも話すことができるようになったんですね。

 

そのママ友が3年くらい通い続けてくれた時に

絶対に私はやらないと思っていた

ネットワークビジネスを通して

外に出て、人に会おうと思うようになりました。

 

このままでは寂しい老後になってしまうという

ちょっとした不安からでした。

 

楽しい老後を送りたいと

ちょっと元気が出てきたからです。

 

 

一緒にネットワークビジネスの勉強会に行くと

ビジネスを成功させるためのお話を聞きます。

成功者のルーティーンみたいなことを学びます。

 

その中にあったのが、毎日の読書だったんですね。

 

毎日の読書だったらできるかなと思って

まずはできることから始めてみようと思って

本棚に眠っていた本を取り出して

読み始めたのがきっかけでした。

毎日朝30分と決めて。

 

すると、昔の感覚がよみがえってきて

干からびたスポンジに水が吸い込まれるように

生気が戻っていくような感覚。

 

朝のすがすがしい、静かな場所で

30分、集中して読書をすることが

ことのほか心地よい時間となりました。

 

その矢先、母が亡くなり、

日本を何度か行き来するたびに

ブックオフで朝読書用の書籍を買い込み、

その中の一冊が日記を書くきっかけとなった

「朝読書の軌跡」でした。

(のちにマヤ暦との出会いにつながります)

 

韓国でも日本語の書籍を購入できることを知り、

また、本代が負担にならないように

致知という人間学を学ぶ雑誌とも出会いました。

 

 

最初はただ毎朝のルーティーンとして始めた読書の習慣が

より良い自分になろうとする意識へと

無意識のうちに変化してきたのではないかと感じます。

 

より良い自分になろうとすることが

悪いわけではないかもしれませんが、

問題は人と比較して

相手を見下すという無意識レベルの優勢思考。

 

読書をすることが悪いのではなく、

その意図と動機が問題なのかなと思うんです。

 

心地よいでいいんです。

楽しいでいいんです。

 

そこに、私はより良い人間だとか、

そんな余計な自意識が過剰になっては

元もこうもなくなってしまいます。

 

頑張ることをやめると

無意識レベルにスイッチが入るそうです。

もう一人の自分との共創が生まれます。

 

競争ではなく共創。

共創が神様の夢であり願いであったと

アナスタシアは言ってます。

 

経験からしか本当の学びは得られません。

だから、外に出て実践しましょうと言うんですね。

 

なんかだらだらと昔話も交えてしまいましたが、

天沢履の易の意味を感じさせられる時間となりました。

 

お付き合いくださって

本当にありがとうございました。

何かの気づきのきっかけになれば

嬉しいです。

 

 

昨日、家を出ている次女が突然帰ってきました。

まあ、地元の友達と会って遊んだので

家(長女の家で居候中)に帰るよりも

実家の方が便利、楽?そんなことで帰ってきました。

 

連絡もせずに帰ってくることもよくあったんですが、

昨日は夕飯前を食べずに帰ってくるとのことで

連絡してきました。

 

もともと次女が使っていた部屋を

末娘が独占していて、

お姉ちゃんが出ていくまで使っていた

我が家で一番広い部屋の中央で

モルモットを一時保護して

ちょっと人が入ってゆっくり休めるような状態ではありません。

 

このことにうちの夫は勝手なことをしてと

怒っているわけですが、

まあ、これまでたまりにたまった彼女の勝手な言動に

堪忍袋の緒が切れてしまった状態です。

 

次女にこれまでのいきさつを初めて話しました。

パパが旧正月に一緒にテジョンに行かないという話も。

それにはさすがに次女も驚いて一生懸命にパパを説得してました。

 

3日間も一人で何をして過ごすつもりなの?

パパが行かなきゃ、伯父さんが寂しがるよ。

いろいろ優しく声をかけてましたが、

夫の気持ちは変わりません。

 

どうしても末娘と一緒には過ごせない。

 

末娘もパパから5歳の時に騒いで叩かれたと

根に持っていて譲りません。

 

かたくなな二人です。

 

今は顔を合わせないように二人で努力してます。

私が末娘の食事を準備することさえ気に入らないで怒ってます。

 

そんな様子を普通にどちらの肩を持つでもなく

日常の一コマのように語ることができている私がいます。

 

場の雰囲気をニュートラルに保とうとしてるんですかね。

ニュートラルな場ではそれ以上、

怒りのエネルギーは助長しないようです。

 

それでも、次女にこれまでの経緯を話すことができて

とっても解放感がありました。

誰かに聞いてほしいんですね。

でも、アドバイスは必要ない。

 

 

今、手元にあったアナスタシアの4巻を読み返してます。

ここには神の創造のお話が描かれています。

その真相はわかりません。

聖書と重なるようでまた新たな真実も書かれてますが、

もともと聖書が本当に神様の言葉なのかも

クリスチャンでない私には信ぴょう性が感じられません。

 

アナスタシアが罪と断言するのは

傲慢や自尊心というプライド。

 

神様の創造を

他の意識体が解明しようとして

人間たちに働きかけているとありました。

創造物を分析し、構造を把握しようと

どれだけ科学者や哲学者という人たちが

頭を使ってきたでしょう。

その瞬間、神様が人間に与えた

創造の意識がストップしてしまう。

神がどのように森羅万象を創造したかは

解き明かすべきではない。

これを解き明かそうとして地球を破壊している。

 

ちょっと深い内容で、

わかるようでわからない。

思考で理解しようとしている段階で

もう違うんですよね。

インスピレーションで暗号が開かれる。

全ての答えは私たちの内にちゃんと組み込まれているようです。

そう思ったら、

なんで助言をしたらだめなのかわかりました。

 

助言ってそもそも、

「あなた、わかってないようだから、私が教えてあげる」

 

なんとも傲慢な意識がそうしてないですか?

これ、「あなた」に子供だって赤ちゃんだって含まれるんです。

子供でさえ、答えは自分の中にあるんですね。

 

私の経験や価値観が相手の役にたつ場合もあります。

でも、人格が違って、本質が違うので

違うアプローチが必要な場合もあるわけです。

だから、自分で気づくしかないわけです。

じゃあ、私にできることは?

 

聞いてあげること。

ジャッジしないこと。

そして、質問してあげること。

 

「それで、どうしたいの?」

「なんで、そう思うの?」

 

自分で決めたことは

自分で責任をとらなければなりません。

 

それがたとえ、不都合な結果になったとしても

そこから気づくということでしか

ほんとの意味でわからないのかなって。

 

これ、言うは易しですが。

思考の癖が自動思考しちゃうので。

 

助言って

相手に善かれと思ってやってるんだけど

私の方があなたよりよく知っているという

驕りだったのかもって。

 

これ、本当にいつもやってました。

そして関係が泥沼化していくんですよね。

わかっちゃいるけどやめられないんですよ。

 

でも、そのたびに自分を責めるのではなく、

傷ついたら私の心をまずいたわってあげることを

忘れないでいたいですね。

 

心の傷が癒えてきたら

だんだん、その癖がなくなるかもしれません。

 

 

旧正月を目の前にして、

韓国では日本でいうお歳暮の真っ最中です。

宅配の仕事を生業としているので、

毎年、お中元、お歳暮の時期は多忙になります。

今年で10年目になりますが、

最初のころはそれはもう大変で、

夜中の12時を過ぎてしまうなんてこともありました。

 

コロナ禍以前は置き配なんてことは行われていなかったので

本当に、心理的にも大変でした。

 

システムもまだ未熟で

違う地域の荷物が混じってしまうこともあり、

住所を見間違えて誤配なんてこともありました。

 

お肉のギフトセットはもうアウトです。

当日配送できなければクレームになります。

(日本のようにクール宅急便は行われてません)

だから、毎年お肉のクレームが発生すると

弁償して自分たちで食べることになるのです。

 

これはこれでちょっと嬉しかったりしました。

普段、高級な牛肉はわざわざ買って食べないから。

特に、うちの夫は牛肉が苦手で口にしませんから

自然と我が家では牛肉は購入しないお肉になってしまいました。

だから、久々の牛肉だ!!とうれしかったのですが、

最近はシステムもしっかりしてきて

このようなクレームが起きなくなってしまいました。

 

いいことなのか、ちょっと残念なのかわかりませんが、

まあ、どちらにせよ、クレームが起きると

顧客とのやり取りが発生するんですが、

世の中、いろんな人がいますからね、

ありがたい思いをすることも、

嫌な思いをすることもあるわけです。

こんなことを経験しながら、まさに人生の学びだなと

時々、夫もつぶやくようになりました。

 

さて、とにかく、普段の1.5倍くらいの物量になっていて

それだけでなく、ギフトセットは結構重いものが多い。

ということで、この季節は2,3週間がとっても大変です。

それに、冬はとっても寒いので

寒さとの闘いでもあります。

 

それで、夫も私に対して、

「苦労をかけて申し訳ない」みたいな

そんな思いになるのか

普段より優しいかったりするわけです。

だから、とくに気分良く、自然の恵みを感じながら

木々に話しかけながら仕事をしていた昨今でした。

(アナスタシアを読んでいるのでちょっと影響うけてます)

 

 

ところがです。

 

昨日はなんだか、とっても機嫌が悪いのです。

私に対して、怒ってるようで

私には身に覚えがなくて本当に気分が悪くてたまりませんでした。

 

たまりかねて、

「なんで気分悪いの?私、何か悪いことでもした?

一生懸命に仕事してるだけなのに、

そんな態度でいられたら、楽しくなくて

仕事をしたくないから帰るよ。」

そんな風にはっきりと言いました。

 

そうすると、どうやら私が

きつい言葉使いで話したというのです。

 

身に覚えがありません。

 

理由を知りたい私は

何度もその理由を尋ねますが

一向に心を開かず、口から出る言葉は

「だまって、仕事をしろ」

 

そんなこと言われても

気分が悪くて仕事をする気がなくなってしまうのです。

 

さて、どうしましょうか?

 

こんなことは初めてではなくて

これまで、何度も何度も経験しました。

 

一度はバスに乗って帰ってしまったこともあります。

コンビニで飲み物を買って、時間をつぶしたこともあります。

 

絶対に夫が悪いと決めつけて。

 

 

ぼうっと、なんでこんなことになっちゃったんだろう?

 

起こることはすべて意味があるわけで、

何かの気づきのきっかけでしかないわけだけど。

 

そうしたら思い出したんです。

 

ああ、さっきの件だわ。

 

 

受取人から引っ越しをしたので

引っ越し先の住所に転送してほしいとの

連絡があったとのことでした。

 

その荷物を確認してみると

’お肉のギフトセット’

それを見て、夫はにやにやしながらこう言うのです。

「肉とは知らずに3日後に届くぞ」

ざまあみろと言わんばかりに。

 

そんな夫の態度を見て私は

「相手にお肉だって伝えたの?

ちゃんと伝えてあげないとだめじゃん。

お肉だってわかったら転送じゃなくて

取りに来ようと思うかもしれないし、

3日後じゃ、お肉が悪くなっちゃうかもでしょう。」

 

にやけるなんて、こんな些細なことで

ストレス発散してるの?

最低!!!

無意識にこんなふうに自動思考していました。

 

自動思考は私自身気づいていないですよ。

 

私にとっては当たり前のことを言ったので、

夫が非難されて傷ついたとは夢にも思わなかったんです。

無意識に「不親切な人」レッテル貼ってたし。

 

 

そこに気づかされて、

 

夫が不機嫌極まりなく

私に対する態度が怒っている原因がわかりました。

 

私が気づいたら、波動が変わって

夫の怒りが収まってきました。

 

 

もう、それだったら言ってくれればいいのに!

自分が悪いと思ったのか、

言えないんですよね。

 

男のプライドですかね。

まあ、いいです。

 

私も無意識に非難してましたからね。

 

 

そうではなくて

「お肉だって伝えてあげたらどう?」

そんな風に’提案’してあげれたら

夫は気分が悪くなかったかも。

 

これまでの数々の経験から

夫を不親切な人レッテルをはってきてしまって

剥がしてなかったんだなということに気づきました。

 

親切に対する考え方の違いでしかないのに。

私から見たら今回のような夫の態度は

’不親切’でしかありません。

 

知り合いにはこれでもかというくらい

親切心を発揮する夫です。(私から見たらオーバー)

 

でも夫はどうやら

知らない人に親切にしたら損だと思っているかもしれません。

それはもしかしたら恩送りということを

知らないだけかもしれません。

親切にしたら巡り巡って自分に戻ってくる。

 

まあ、そんなことを考えるよりも前に

目の前の人に親切にするというのは

青い猿の私にとっては

無意識レベルのことのようなのです。

 

だから、そうでない夫を見るたびに

本当に「最低な人」という思いになってしまいました。

 

これを何度も繰り返してきたなあ。

気づいた瞬間から人生は変わっていくようです。

 

夫につけてきたレッテルを一つ剥がしてみました。

 

どっちが優位ではなく、

できることが違うだけ。