2024年4月14日(日)、酬恩庵散策の続きです。

 

 

鐘楼は1650年に前田利常公により修復されました。

国の重要文化財に指定されています。

 

 

順路は右側の道で、本堂に向かいます。

 

 

正面奥が本堂。

 

 

本堂は、室町幕府6代将軍・足利義教公により建立され、

山城・大和地方の唐様建築中で最も古い建造物です。

国の重要文化財に指定されています。

 

 

本殿は仏殿ともいい、

内部には本尊釈迦如来坐像、文殊普賢菩薩像が安置されています。

 

 

宝物殿

 

 

この開山堂は大正時代に改築されましたが、内部は以前のまま。

妙勝寺を創建した大応国師の木像が安置されています。
 

 

 

それでは、一休宗純について紹介します。

1394年、南北朝の動乱がようやく終息しつつあった

室町時代初期に京都で生まれました。幼名は千菊丸。

後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています。

 

 

政治的に利用されることを懸念され、

わずか6歳で京都の安国寺に預けられ仏門に入りました。

幼い頃から詩才を発揮、京都中の評判となります。

仏法の習得も早く、早熟の天才として認められていました。

 

1410年、17歳の時、謙翁宗為(けんおうそうい)の門下に入り、

戒名を宗純と改めますが、

20歳の時、彼は自殺未遂を起こします。

仏の道を歩んでも、消えない虚無感。

複雑な生まれ育ち、師の逝去、

若き一休の心は、それからしばらく暗闇の中をさまよいました。

 

 

1415年、21歳の時、

大徳寺の高僧・華叟宗曇(かそうそうどん)の弟子となり、

「有漏路より 無漏路へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」

という一休の言葉から、華叟が「一休」という道号を授けました。

 

この言葉の意味が案内板にも書いてありました。

人生というのは、この世からあの世へと向かうほんの一休み。

雨が降ろうが風が吹こうが、気にしない、気にしない。

 

 

彼の暗闇に光をもたらしたのは、意外な出来事でした。

1420年、26歳のある夜、

琵琶湖のほとりでカラスの鳴き声を聞いて悟ります。

 

師は印可証(師僧が弟子に悟道の熟達を証明したもの)を

一休に渡そうとしましたが、彼はこれを断りました。

師は、「ばか者」と笑いながら彼を送り出したそうです。

 

その後は、一転して寺にも住まず、

民衆の中で風狂(仏教の常軌を逸した行動)の生活を送ります。

組織化した日本の仏教界に疑問を持ち、

真の禅とは何かを自らの奇行を持って示そうとしました。

 

 

正月早々、どくろを竹棒に差し、

「この世の無常はこの通り、ご用心」と説法したり、

由来ある文書を火中に投じたり、

戒律で禁じられている飲酒、肉食、女犯を行いました。

 

これらの人々の度肝を抜く行為は、

物事の本質を見極める心こそ禅の精神にほかならないという、

彼の信念を生き様で見せたものでした。

 

あえて粗末な衣服をまとい、権威を否定し、

諧謔(かいぎゃく=ユーモア)の精神をもって

人々と接する彼の教えは、

一般庶民から絶大な支持を受けるようになり、

そのうち、多くの大名や公家、商人、文化人なども、

競って彼の元に参禅するようになりました。

 

私はアニメ「一休さん」を見て学んだ世代ですので、

この橋も、中央を歩いて渡りました。

 

 

1436年、一休禅師42歳の時、「狂雲」という名で、

詩・狂歌・書画を書くようになります。

 

奇行の方が有名になっていた一休でしたが、

本来、彼は詩画の才能に秀でていた人物で、

彼の作品は、その奥深さから、

後の時代に非常に高く評価されるようになります。

 

この木像は一休禅師逝去の年に

高弟・墨済禅師に命じて作らせたもので、

自身の頭髪と髭を植えたとされています。(重要文化財)

 

 

晩年に至るまで、質素な草庵に住み続けた一休でしたが、

1470年、76歳の時に住吉の薬師堂で盲目の森女と出会い、

2人は京都に戻り、一休がこの世を去るまでの間、

酬恩庵で共に暮らしました。

 

1481年、88歳の時、酬恩庵にて亡くなりました。

臨終の言葉は「死にとうない」だったそうです。

 

 

境内の奥まで行くと、

帰り道は「二十世紀の森」の中を歩きました。

 

 

 

 

 

 

 

鐘楼

 

 

最後に見えて来たのは浴室。

 

 

1650年に前田利常により修復されました。

内部は蒸し風呂となっています。(重要文化財)

 

 

三本杉

 

 

最後に楼門をくぐってすぐ左手、

駐車場から参道に入ってすぐ左手にあった石碑です。

一休禅師の筆になるお釈迦様の言葉。

 

諸悪莫作  衆善奉行

「悪いことはするな、よいことをせよ」の意。

 

 

数かずの悪行をすることなく多くの善行をすれば、

自然に心が清く美しくなるというお釈迦様の教えです。

 

本当はもう1ヶ所予定をしていましたが、

朝から迷走続きで時間をかなりロスしてしまい、

日曜日の道路の渋滞も心配だったので、

ここで切り上げて奈良駅に戻りました。

 

実際には渋滞に巻き込まれることもなく、

無事にレンタカーも返却して、

16:00頃に奈良駅に着きました。

 

予定の電車まで40分あまりあったので、

駅2階にある吉野本葛の老舗「天極堂」に入り、

「抹茶葛とあんこのスイーツ」をいただきました。

葛も柔らかく、抹茶とあんこの相性もよく、

とてもさっぱりと美味しくいただきました。

 



帰りは、京都駅経由で帰るのが普通なのですが、

京都行きの快速電車は外国人でいつもいっぱいなので、

去年は試しに大阪駅経由で帰りましたけど、

今回は新大阪駅経由で帰ることにしました。

 

ちょうど16:48に奈良駅始発のJR直通快速・大阪行きがあり、

乗り換えなしで新大阪に行くことができました。

 

 

17:41に新大阪駅に到着。

電車の乗り換えまでに30分ほど時間があったので、

久しぶりに訪れた新大阪駅で夕食などを物色。

 

店も多くて、お友達も何にしようかかなり迷っていましたが、

人も多く、どこもレジには長い列ができていました。

18:14新大阪駅発「サンダーバード41号」に乗車。

19:31敦賀駅に到着し、「新幹線のりば」を目指しました。

 

行きは、始発の電車で乗客もそれほど多くなく、

スムーズに乗り換えもできましたが、

日曜夕方の電車は満員で、

しかも改札でエラーで足止めされる人が続出し、

ちょっと混乱気味でした。

 

結局、全員が乗り換え終わるのを待っての発車だったので、

19:39に敦賀駅発「新幹線つるぎ42号」に乗車して、

20:36に金沢駅に到着する予定が20:40着となりました。  
 

通常は、乗り換え8分でも大丈夫ですが、

週末の帰りの時間や、GW・お盆・年末年始の時は、

もう少し長く時間を取らないと無理でしょうね。

 

いろいろありましたが、

お互い行きたい所にほぼほぼ行けたので満足です。

涼しいと思っていつも4月中旬にしているのに、

連日の29℃は暑すぎました・・・。

 

(おわり)