2026年4月11日(土)、奈良の旅の続きです。

 

タクシーで巡る奈良市内の旅。

いよいよ最後の目的地・大安寺に向かいました。

 

 

南都七大寺の一つである大安寺。

ちなみに南都七大寺というのは、

奈良時代(平城京)に朝廷の保護を受けた

7つの中心的な大寺院の総称で、

東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・薬師寺・

西大寺・法隆寺の7つを指します。

 

 

今回、薬師寺と大安寺に行くことができたので、

ようやく七つのお寺を「制覇」することができました。

 

 

大安寺の境内図です。

 

 

大安寺は、日本最初の官立寺院です。

かつては、平城京に広大な寺域を持ち、

「大安寺式伽藍」と呼ばれる大伽藍を誇りました。

 

 

奈良時代には、海外からの渡来僧も含め

887人もの学僧が居住して勉学修行に励んでいました。

 

 

現在は「病気平癒」や「がん封じの寺」として親しまれ、

友達のご両親が癌を患っていたこともあり、

このお寺での祈願をお勧めし、

私自身も病気平癒の祈願をしたくて訪れました。

 

 

南門をくぐってすぐの左手には、

「いのちの小径」があります。

 

 

こちらは「いのちの碑」で、

石の裏側には心臓病を支える

ペースメーカーが埋め込まれています。

 

 

こちらは乳がん封じの祈願塚である

「美流孔(みるく)塚」です。

ちょうど私たちが訪れた時も、

女性が乳房の形をした石に触りながら

熱心に祈願していらっしゃいました。

 

 

境内の至る所で見られたのは、

だるまの形をしたおみくじです。 

一つ一つ手描きされているので、

色やお顔がそれぞれ違い、とても可愛いです。

 

 

参道奥の建物が本堂です。

拝観料を払うと、本堂と宝物殿を見学できますが、

時間の都合もあったので、

本堂のみ中に入ってお参りしてきました。

 

 

本堂の畳の上で足を伸ばして座り、

ストレッチをさせてもらいました。

実はタクシーのドライバーさんは整体もできる方で、

いろいろとアドバイスもいただきました。

 

 

簡単に境内を散策し、駐車場に戻ると、

お隣に「推古天皇社」があったので写真だけ撮りました。

初めての女性天皇であった推古天皇が祀られている神社。

 

 

そして、タクシーに乗り込む前に、

御朱印を見ようとカバンに手を入れると、

あるはずの御朱印帳がありませんでした。

 

あっ!と気付いて、左手首を見ると、

御朱印帳の番号札が付いた数珠を付けたままでした。

もう残り時間も少なかったので、

健脚な友達が代わりに取りに行ってくれました。

本当にドジな私です・・・。

 

幸い大安寺からJR奈良駅は近かったので、

5分あまり、ちょうど予定していた時間に

東口に到着できたのですが、

東口はタクシーを待つ人が多いので・・・ということで、

西口に回ると、こちらは誰もいませんでした。

 

とても親切で気さくなドライバーさんのおかげで

楽しい旅となりました。

 

その後は、慣れ親しんでいる奈良駅のスーパー、

土産物店、コンビニなどで買い物した後、

時間に余裕があったので、一昨年と同様、

吉野葛のお店「天極堂」のカフェで、

吉野葛を使った冷たいスイーツをいただきました。

 

 

前回と同じ「抹茶葛あずき」を注文しました。

この日は25℃くらいあって少し暑かったので、

冷たいのがとても美味しかったです。

 

帰りも一昨年と全く同じパターンで、

16:48奈良始発の「JR直通快速大阪行き」に乗って

新大阪へ行き、新大阪駅でも買い物などをしました。

 

一昨年は日曜日の同じ時間で、

買い物のレジもトイレも長い行列ができていたのに、

土曜日はとても空いていて、ビックリしました。

トイレも待たずに入れましたし・・・。

チーズケーキの店だけ長い列ができていましたよ。

待合室も空席がいくつもあって、

電車の時間まで、しばらく休むこともできました。

 

18:14発のサンダーバードで敦賀へ、

19:31発の新幹線に乗り換えて、

20:36に金沢駅に到着しました。

私はすぐにタクシーで帰ったので、

21:00頃に帰宅できました。

 

25℃と少し暑くなったのですが、

春らしい涼しい風のおかげで、

大汗をかくこともなく、まずまず快適に過ごせました。

前日が大雨だったそうなのでラッキーでした!

 

やはり、奈良は落ち着きますね。

ただ、私の体ではもう長い距離は歩けないので、

今後は車を利用した旅が中心になりそうです。

 

(おわり)

2026年4月11日(土)、奈良の旅の続きです。

 

続いて、私たちは慈眼寺に向かいました。

市の中心部付近を通るため、

道路も渋滞し、ドライバーさんの機転で、

少しだけ回り道しましたが、まもなく到着。

時間はちょうど14:30でした。

 

 

創建は、聖武天皇の勅願により、

観音堂に守り仏である聖観音菩薩を安置したことが

始まりと伝わっています。

 

 

慈眼寺は「やくよけ観音」の名で、

厄除発祥の寺として知られています。

 

私たちは今年が本厄の年になります。 

タクシーのドライバーさんも本厄となるので、

3人で一緒にお参りしてきました。

 

 

ちょうどお寺の女性とバッタリ出くわしたので、

御朱印をいただけるか尋ねました。

しばらくして出て来られると、

書いていただけるということで300円を渡しました。

 

他の寺社はすべて500円でしたが、

今も300円で書いていただけただけでなく、

一緒に厄除けのお札も下さって感激しました。

こちらのお札はファイルに挟んで、

毎日、通勤かばんの中に入れていますよ。

 

 

境内西側には、市指定の文化財である

天然記念物の樹齢400年の柿の老木があるということで、

本堂の裏手へ回ってみました。

 

 

柿の木は、意外にも狭い所に植えられていました。

 

 

 

(つづく)

2026年4月11日(土)、奈良の旅の続きです。

 

東院庭園から2分ほど走ると、

次の目的地、海龍王寺に着きました。

 

 

 2019年4月にお隣の法華寺まで見学し、

本当は海龍王寺も予定していたのですが、

法華寺で体力が尽きてしまい、

海龍王寺前のバス停から帰ったということがあったので、

ようやくリベンジを果たすことができました。

 

 

表門の右側の龍の絵が懐かしかったです。

門をくぐって参道を歩きます。

 

 

この門をくぐると左手に受付があり、

御朱印も先にお願いして、帰りに受け取りました。

 

 

受付の反対側にいらっしゃったお地蔵さん。

 

 

海龍王寺は731年、

遣唐使として中国に渡っていた初代住持の玄昉が、

一切経と新しい仏法とを

無事に我が国にもたらすことを願い、

光明皇后によって創建されたと伝わっており、

お寺の場所が平城宮の東北の隅に当たることから

「隅寺あるいは角寺」とも呼ばれています。

 

玄昉が唐より帰国の途中、

東シナ海で暴風雨に襲われた際に、

海龍王経を唱えたところ、

かろうじて種子島に漂着し、

奈良へ無事に帰ることができたことがきっかけで、

遣唐使の無事を祈願する寺院となり、

現在も旅行・留学に赴く人々の信仰を集めています。

 

こちらは本堂です。

本堂は奈良時代に建っていた中金堂の位置を踏襲し、

深い軒の出と勾配の緩い屋根、

それに堂内の柱配置が整然としているなど、

奈良時代の仏堂の様式が多く見られます。
江戸時代の建物でありながら古風な造りで、

古い伝統建築の様式が好まれた

奈良の地域性を見ることができます。

 

 

こちらは重要文化財の西金堂です。

創建当時からの建物。

規模や形式には大きな変更がなく、

奈良時代に造られた小規模の堂は、

この西金堂以外に現存していないことから、

非常に価値の高いものと評価されています。

 

 

西金堂内には、高さ4mの

国宝の五重小塔が安置されています。

 

天平時代に作られた塔の中で、

唯一現存している五重塔として価値が高く、

西金堂とともに天平時代の建築様式を

現代に伝える貴重な建物となっています。

 

 

小塔は屋内で安置することを目的としたため、

近くから見たり拝んだりするので、

近くから見た時の工芸的な性格を非常に重視しており、

小塔の外部は組物などの細部にいたるまで

忠実に作られています。

 

 

上層部に行くに従って、

塔身が細く作られていることから、

上層部と下層部の均整を重視した

寸法取りを行っていることがわかります。

 

海龍王寺は飛鳥時代から建っていた

寺院をもとに創建されたことに加え、

光明皇后の住居内という限られた敷地の中に

大寺院の伽藍の形式を持ち込むべく五重小塔を造立し、

東金堂(明治初年に喪失)と西金堂の両金堂の中に

それぞれ納めたのではないかと考えられています。

 

私は塔が好きなので、今回の旅では、

薬師寺の東塔と海龍王寺の五重小塔という、

二つの国宝の塔を拝見することができて

とても嬉しかったです。

 

剪定中の境内の松の木。

こちらは「昇竜」。

 

 

こちらは「伏龍」。

 

 

 

(つづく)

2026年4月11日(土)、奈良の旅の続きです。

 

次に訪れたのは東院庭園。

 

 

 

なかなか庭園が見えて来ません。

 

 

東院庭園のマップです。

 

 

最初に見えてきた風景です。

桜も咲いていて、予想よりもきれいなお庭でした!

この後、私たちも桜の下で写真を撮ってもらいました。

 

 

東院庭園は、

平城宮跡東の張り出し部分に位置する優美な庭園で、

「東宮」または「東院」と呼ばれていました。

 

 

L字型の池を中心に、皇族らが宴会や儀式を行う

迎賓館のような役割を果たしていたと考えられています。

 

 

1967年(昭和42年)に庭園の遺構が発見され、

1998年(平成10年)に復原されました。

 

 

2010年(平成22年)には、

特に貴重な古代庭園として特別名勝に指定されました。

 

 

東院庭園は東西60m、南北60mの

南から見て逆L字形の池を中心に構成されています。

 

 

池の西岸には中央建物に付属する露台が水面に張り出し、

露台から東岸には橋を架けています。

 

 

池底から岸辺にかけてゆるやかな勾配で

小石を敷きつめた洲浜が出入りのある

汀線を形づくっており、

奈良時代の優美な庭園の様子が偲ばれます。

 

 

 

 

 

 

 

池の北端には築山石組、西南部には中島があって、

それぞれ庭園景観の焦点となり、

屈曲する出島の先端部には景石が配されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2羽のカモさんも、のんびりと泳いでいました。

 

 

池の水は、水の淀みをなくすために

池の西部を中心に池底の9ヶ所に給水管を増設。

給水には井戸水を使い、

管理施設で最高1日3回の割合で循環浄化し、

正常な水質を保つ工夫をしています。

 

 

 

 

自然の風景を主題とした平安時代以降における

庭園の原形ともいえる重要な遺跡。

 

天気もよく、人も少なく、とても静かで、

カモさんの水浴びの羽音が聞こえるほど・・・。

回遊式で池の周りをゆっくり一周してきましたが、

お散歩にはちょうどよい距離でした。

 

ベンチでも置いておいてくれたら、

仲良しのお友達とずっとおしゃべりできそうなくらい、

のんびりとした時間を過ごすことができました。

予想以上でした・・・。

 

(つづく)

2026年4月11日(土)、奈良の旅の続きです。

 

喜光寺を後にして、

私たちが向かったのは平城宮跡周辺。

 

地図が小さくて見づらいかもしれませんが、

左下の喜光寺から2kmほど走ると、

平城宮跡公園周辺に着きます。

 

 

上の地図を見ると、

近鉄電車が敷地内を走っていることがわかりますね。

 

平城宮跡歴史公園には、

奈良時代の宮殿を現代の技術で復原した

「第一次大極殿」「朱雀門」「大極門(南門)」等がありますが、

すべて新しい建物なので全く興味がなく、

今回は車窓から少し眺めるだけにしました。

 

 

最初に南の朱雀門前の通りを走ったのですが、

いきなり復元された遣唐使船が見えて、

写真を撮り損ねてしまいました。

こちらの写真は拝借しました。

 

 

こちらは「朱雀門ひろば前」のバス停です。

このバス停前の道路は、普段は大渋滞しているそうで、

タクシーのドライバーさんもあまりに空いていて、

驚いているほどでした。

 

 

こちらは横から見た朱雀門だと思います。

 

 

 

 

近鉄電車の線路です。

 

 

 

こちらは太極門かな?

 

 

 

今回私が見学を希望したのは「東院庭園」。

地図の右端中央辺りにあります。

 

 

次回、ご紹介します。

 

(つづく)

2026年4月11日(土)、奈良の旅の続きです。

 

菅原天満宮から走ること1分、

あっという間に喜光寺(きこうじ)に到着しました。

 

 

喜光寺は、721年、奈良時代を代表する名僧、

行基(ぎょうき)菩薩により創建されました。

 

 

こちらは平成22年(2010年)、

平城遷都1300年に再建された南大門。

 

 

 

721年、行基菩薩は、

この地に住んでいた人から土地の寄進を受けられ、

翌年にこの喜光寺を建てました。

土地の名前から「菅原寺」と名づけられました。

 

 

 

菅原寺は、行基菩薩の建立されたお寺の中で、

唯一平城京内にあり、行基菩薩の布教活動や

社会事業の重要な拠点寺院となっていきました。

 

 

重要文化財の本堂は、

東大寺造営の参考にされたという伝承から、

「試みの大仏殿」としても知られています。

 

 

奈良時代の本堂(金堂)は、1499年に焼失し、

1544年に再建されました。

縮小しての再建でしたが、高さ17mの大きさは圧巻。

 

上層の四方には連子窓をつくり、

光を取り込むという新しい技法を用いています。

春秋の夕暮れには西側の窓から夕陽が差し込み、

ご本尊を照らす、素晴らしい風景に出会えるかも・・・。

 

 

ご本尊の阿弥陀如来坐像は、

いわゆる丈六仏とよばれる大きな仏様です。

 

古くは「菅原寺」と呼ばれていましたが、

748年、聖武天皇が病床に伏した行基菩薩を見舞い、

この寺を訪れたとき、御本尊から不思議な光が放たれ、

聖武天皇は大変喜ばれ、

喜ばしい光の寺「喜光寺」という名を賜ったとのこと。

 

本堂の後ろに回ると、

写経道場となっている建物があり、

こちらで拝観料を納めます。

また、御朱印もこちらでいただくことができました。

 

弁天池の中に建つのは弁天堂。

正面の厨子には秘仏の御神影の

宇賀神像が安置されており、

初詣と蓮の時期に合わせて特別開扉しています。
初夏からは弁天池に睡蓮が咲き、

弁財天に花を添えます。

 

 

こちらは、喜光寺を開かれた行基菩薩を祀ったお堂。

行基菩薩は749年に喜光寺で入寂されました。

このお堂は平成26年(2014年)に建立され、

方形造りの堂内には行基菩薩坐像が安置されています。

周囲には行基菩薩を囲むように千躰地藏が祀られています。

 

 

こちらは佛舎利殿。

喜光寺創建1300年の記念事業として、

令和3年に建立された新しい建物です。

南大門の手前、駐車場脇にあります。

 

 

上の写真や本堂前の写真にも写っていますが、

たくさんの鉢が並んでいます。

6月中旬~7月中旬に、

約80種250鉢の蓮が境内を華やかに彩るそうです。

蓮の花は大好きなのですが、暑くて・・・。

 

(つづく)

2026年4月11日(土)、奈良の旅の続きです。

 

服部タクシーさんを利用するのは3度目。 

前回は2019年に法隆寺夢殿まで迎えに来てもらい、

法隆寺周辺にある聖徳太子ゆかりの

お寺めぐりをしながら奈良駅前のホテルまで

送っていただきました。

 

その時はベテランのドライバーさんで、

丁寧な説明・対応でとてもよかったので、

今回も服部タクシーさんにお願いしました。

 

大和西大寺駅南口の観光タクシーのりばで、

13:00に待ち合わせの約束でしたが、

様子を見に早めに行ってみると、

すでに服部タクシーさんの車が停車していたので、

ドライバーさんと相談し、20分前倒しして、

12:40から15:40の3時間で回ることにしました。

 

ドライバーさんは、41歳と若く、

とても気さくで、優しい方でしたよ。

 

 

タクシーに乗って、 最初に向かったのは、

大和西大寺駅から5分あまりの所にある

菅原天満宮でした。

 

 

菅原道真公とその祖先を祀る

日本最古の天満宮です。

 

 

菅原家発祥の地、菅原道真公生誕の地とも伝わり、

試験合格・学徳向上の祈願や、

文筆にいそしむ人々から篤く信仰されています。

 

 

正面に拝殿・祝詞殿・本殿と一直線に並んでいます。

 

 

また、梅の時期(2月初旬~3月初旬)には、

毎年「盆梅展」が行われ、

丹精込めて育てられた100品種200鉢の古木や巨木、

希少品種の黄金梅、常なり梅などが展示されるそうです。

 

 

天満宮と言えば、神牛や「撫で牛」が有名ですが、

こちらの天満宮には形や大きさが違う

牛さんがたくさんいらっしゃいました。

 

右側に5体。

 

 

左側に3体。

 

 

 

その後、受付に御朱印をもらいに行くと、

受付窓口の横に、ここにも30cmくらいの

可愛らしい牛さんがいましたよ。

これを含めて9体だったのかな・・・。

 

 

小さな境内、私たちの他には誰もおらず、

のんびりと散策できました。

 

 

(つづく)

2026年4月11日(土)、薬師寺散策の続きです。

 

 

金堂の後ろに、立派な大講堂が見えて来ました。

薬師寺の伽藍の中で最大のお堂になります。

 

 

大講堂は正面41m、奥行20m、高さは約17m。 

かつて大講堂には宗派を問わず大勢の僧侶が集まり、

経典を学ぶ法要が執り行われたと言われます。

堂内には弥勒三尊像(重文)と

仏足石(国宝)が祀られています。

 

 

 

仏足石は、お釈迦様の足跡を彫った石です。

薬師寺の仏足石は、753年に作られ、

現存する最古の仏足跡です。

 

大講堂の後ろには、最初に入った食堂があり、

中を通り抜けて與楽門から外に出ました。 

 

 

今度は境内図の右端にある

玄奘三蔵院伽藍の方へ行きました。

この時間になると、

與楽門と大門の間にある狭い道路は、

駐車場へ入ろうとする車で大渋滞していました。

 

 

ところが、門を入った所で係員に止められ、

中に入ることはできませんでした。

この日は「コンコルソ デレガツァ ジャパン2026」という

イベントをこちらの境内でやっていて、

このように60~70台のビンテージカーや

スーパーカーが展示され、

一般の参拝客は入ることができませんでした。

折角来たのに・・・とちょっと残念な思いでした。

 

 

入れないなら仕方がないですし、

私の足の具合も悪かったので、

西ノ京駅から徒歩1分の「カフェバル」に行きました。

 

 

実は、この店で11:30にランチの予約をしていたのですが、

10:30頃から入らせてもらい、先に飲み物を注文し、

後からランチをいただきました。

 

 

ここで、友達のスマホに実家の弟さんからメールが届き、

お父様が亡くなられたとのことでした。

 

朝の電車の中で、ご両親の近況は聞いていて、

もう長くはないし、お世話になっている施設で

看取りもお願いしてあるということでしたが、

友達もこんなに早く亡くなるとは

思っていなかったようです。

 

ただ、実家の弟さんが葬儀等の段取りを

すべてやって下さるということでしたし、

友達も奈良旅は予定どおりに続けたいということで、

旅はこの後も計画どおりに進めて行きました。

 

ちなみに私のランチは、

オムライスと迷った末にカツカレーにしました。

 

 

カレーも美味しかったのですが、

最初にトンカツを噛んだら噛みきれず、

揚げたてで熱いし、

どうしよう・・・と密かにもがいていました(笑)。

 

旅に出る前に、お父様が他界されていたら、

この旅は私のひとり旅になっていたかもしれません。

お父様に感謝です。

 

11:30頃にカフェを出て、西ノ京駅に行きました。

午後は観光タクシーで市内を回る予定で、

13:00に大和西大寺駅で待ち合わせをしていました。

 

ランチを早めに済ませてしまい、

少し時間に余裕があったので、

西ノ京駅のホームのイスに腰掛けて、

友達としばらくおしゃべりをしていました。

心地よい風が吹いていたので、

気持ちがよかったです。

 

そして、何本も電車をやり過ごし、

12:14に来た電車で大和西大寺駅に向かいました。

2駅5分で到着しました。

 

大和西大寺駅と言えば、

2022年7月の安倍総理狙撃事件を思い出しますが、

私たちは2019年4月に西大寺を参拝して、

狙撃された北口のバス停から

バスに乗って秋篠寺に行っているので、

「あのバス停付近であの事件が起こったの?」と、

当時はとても驚いていました。 

 

前回は駅の2階のお店で立ち食い蕎麦を食べたり、

和菓子店で大好きな草餅を買ったりしていましたが、

7年が経ち、今はスーパーやカフェ・レストラン、

土産店などが並ぶ、きれいな空間に変身していました。

 

午後の奈良旅は次回から・・・。

 

(つづく)

2026年4月11日(土)、薬師寺散策の続きです。

 

 

南門から入ると、次に中門があり、

そこには武装した二天王像が安置されています。

 

 

普通は裸形が多いので珍しいですね。

持国天と増長天が極彩色で再現されています。

 

 


中門をくぐると、

薬師寺の本堂にあたる金堂が見えて来ました。

 

 

薬師寺は、飛鳥時代、

天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の

病気平癒を祈って発願し、

持統天皇が即位してから、藤原京に造営されました。

 

 

その後、平城京遷都に伴い、

718年に現在の地に移されました。

 

 

金堂には、国宝の「薬師三尊像」を安置しています。

中央に薬師如来、向かって右に日光菩薩、

左に月光(がっこう)菩薩が安置されています。

 

 

金堂は兵火により焼失しましたが、

薬師三尊は光背を焼失するも、

お像は当初の造形を残しています。

写真拝借しました。

 

「薬師三尊像」ですから、

病気平癒・身体健康・身体健全・除災・

災難除けに絶大なご利益があるとされ、

私もしっかり祈願してきましたが、

この後、私の身体に異変が起きてしまいます。

 

金堂の左右に西塔と東塔が建っています。 

西塔は昭和56年(1981年)に再建され、

古い東塔とは色合いも違います。

 

 

 

やはり私は落ち着いた色合いの東塔が好みです。

 

 

中央に本尊・薬師三尊像を祀る金堂、

東西に2基の塔を配する日本初の伽藍配置は、

「薬師寺式伽藍配置」と呼ばれています。

裳階(もこし)の付いた二重屋根が特徴で、

白鳳伽藍の壮麗な姿を今に伝えています。

 

 

私のカメラでは、金堂と東西2基の塔を

一緒に撮ることができなかったので、

Webから拝借しました。

大講堂側から撮った写真です。

 

 

ちょうど大講堂に着いた頃から、

私の左股関節に痛みが出てきて、

スムーズに歩けなくなりました。 

 

「すべり症」の腰が原因で、

歩行により腰椎のズレが神経を圧迫し、

間欠跛行(足の痛みや痺れで歩けなくなり)、

休むと回復する症状です。

 

この痛みが出る前に、

一度腰を下ろして休憩すればよかったのですが、

久しぶりの旅行ですっかり忘れていました。

 

この後は、座る所があれば腰を下ろして、

小休憩を取りながらの散策となりました。

 

次回は、大講堂からご紹介します。

 

(つづく)

 

2026年4月11日(土)の奈良旅の続きです。

それでは、薬師寺境内をご案内します。

 

 

上記境内図の右端にある與楽門の

北受付という所から入り、

まずは目の前に見えてきた食堂(じきどう)へ。

 

 

この中では、御守りや各種お土産が販売され、

朱印所もあったので、

早速、御朱印をいただいてきました。

 

その後は、本来は南門から入るのが正式なので、

中央に並ぶ主要な建物の左側(東側)を通って

南の方へ歩いて行きました。

 

 

左手には鐘楼、

奥には国宝の東院堂と東塔も見えて来ました。

 

 

まずは、鐘楼の奥に見えていた東院堂から参拝。

この建物は、奈良時代に創建、鎌倉時代に再建され、

日本最古の禅堂として国宝に指定されています。

 

 

ご本尊は、しょう観世音菩薩(国宝)。

目に見えないもの、耳に聞こえない音を観し、

人々の苦しみを御祓い下さる仏様として、

古来より多くの信仰を集めています。

 

 

 

若くして非業の死をとげた有馬皇子(ありまのみこ)を

モデルにしたという伝承がありますが、

貴公子のようなその姿に悲劇の皇子を忍んだからとか・・・。

 

 

東院堂まで来ると、

国宝の東塔が目の前に見えます。 

 

 

六重に見えますが三重塔です。 

薬師寺の建物のほとんどが火災で焼失し、

昭和・平成時代に再建されていますが、

東塔だけが唯一創建時(奈良時代)から現存する建物で、

2021年に解体修理(平成の大修理)が終わりました。

 

 

私もこの東塔の修理が終わり、

多数の拝観者が予想されたので、

落ち着くまで、薬師寺の訪問を後回しにしていました。

 

境内図を見ると、東院堂の後ろに観音池があったので、

ちょっと見に行ってみました。

 

 

東院堂の右手奥には龍王社がありました。

室町時代の建築という小さな社殿のみが建ち、

祭神は天武天皇の子、大津皇子と龍神。

 

 

その後ろに観音池がありましたが、

見たところ、防火用のため池かなと思いました。

 

 

戻る時に見えた景色です。

 

 

奥に見えてきたのが西塔。

 

 

この後、一旦南門から外に出ました。

 

 

境内図の左端に記載されている

重要文化財の休ヶ岡八幡宮に向かいました。

 

 

休ヶ岡八幡宮へ行く手前左側には、

孫太郎稲荷神社がありました。

 

 

薬師寺の鎮守社でもある休ヶ丘八幡宮の末社にあたり、

江戸時代初期に姫路からこの地へ移られました。

 

 

私はお稲荷さんのキツネが大好きです!

 

 

 

続いて、当初の予定にはありませんでしたが、

重要文化財であるなら見ておこうということで、

薬師寺を守護する休ヶ岡八幡宮へ行きました。

 

 

薬師寺の鎮守社として由緒ある神社です。

このブログを書くまで知りませんでしたが、

薬師寺を参拝する際は、

まずこちらの休ヶ岡八幡宮から参拝することが

習わしとされています・・・ということで、

偶然ですが、先にこちらを訪れたのは正解でした。

 

 

折角なので、こちらでも御朱印をいただきましたが、

神社の方から「良い日に来られましたね~」と、

声を掛けられました。

 

前日の奈良市は、ひどい土砂降りだったそうです。

この後、何ヶ所かで同様の言葉を掛けられましたよ。

よっぽどひどかったのですね。

 

 

この後、また薬師寺南門へ戻りましたが、

ちょうどこの橋の上辺りから見た景色がこちら。

左が西塔、右が東塔です。

 

 

入場券を見せれば、

南門から再び薬師寺境内に入ることができます。

 

 

この先は次回に。

 

(つづく)