2019年1月12日(土)の兼六園散策に引き続き、

今度は石川門から金沢城公園に入りました。

散歩と帰宅を兼ねての散策です。


兼六園に入ったなりからデジカメの電池マークが赤色点滅で、

撮っては電源を切って・・・の繰り返しで、

何とか兼六園までは撮影することができましたが、

金沢城公園は慣れないスマホ撮影となりました。


膝も兼六園のアップダウンで痛み出し、

何度かベンチに座ってストレッチしながらの散策でした。


石川橋を渡ります。



石川門と石川櫓。

下にある緑地は沈床園(ちんしょうえん)、花見の季節は賑わいます。



石川門から見た兼六園下交差点方面。

実は去年の9月、ここから一人の女性が落下、

翌月には同じ場所から男性が飛び降りています。

飛び降りる勇気を別のことに生かしてほしかったですね・・・。



それでは、一の門をくぐって金沢城公園へ。

ここで電池が完全に切れました。



この写真からスマホになります。



石川門を紹介する時に欠かせないのがこちらの石垣。

左右で積み方が違うのに気付いたでしょうか?

右側は「切り込みハギ」、左側は「打ち込みハギ」の技法を採用。



二の門をくぐります。



石川櫓の裏側です。



それでは金沢城公園のマップと歩いた道筋です。



目の前に三の丸広場が見えて来ました。





こちらは河北門。



五十間長屋に向かって右端にある菱櫓。



五十間長屋とお堀



橋爪門続櫓ですが、ここでいつも説明しているのが、

こちら側はお城の外側なので、死角を作らないように

上下の窓の位置が互い違いになっている・・・

というのを撮りたかっただけです。



こちらは橋爪門一の門。



こちらのしめ飾りは、子孫繁栄を願って「数の子飾り」。



二の丸の正門にあたる橋爪門。



橋爪門をくぐったところです。



二の丸広場から見た五十間長屋。

上下の窓の位置が同じです。



手前が極楽橋、奥が三十間長屋。



玉泉院丸庭園へ向かいます。

こちらが庭園の奥に位置している「色紙短冊積石垣」です。



石垣の上部に滝を組み込んだ特別な石垣。

滝口には黒色の坪野石でV字形の石樋をしつらえ、

落水の背後には色紙形(正方形)の石材に加えて

短冊形(縦長方形)の戸室石を段違いに配しています。


この石垣の前から望む玉泉院丸庭園です。

奥に見えているビルのある所が繁華街の香林坊。



こちらは現在復元工事中の鼠多門の工事現場です。

2020年12月初旬まで工事が行われる予定。



完成予定図がこちらで、完成すれば

金沢城公園と尾山神社が橋で結ばれます。



鼠多門は、石垣の間に通路があり、石垣の上に1階と2階があります。

また、黒漆喰を用いた門で、全国の城門にもない、

全国唯一、鼠多門だけの特徴となるそうです。



それでは、逆光などでうまく撮れませんでしたが、

玉泉院丸庭園の写真をどうぞ。









ここが庭園の中央になります。



奥に先ほどの色紙短冊積石垣があり、右下には滝も・・・。



上の方に見えているのが三十間長屋。





これで庭園の散策もおしまい。

散策というより、香林坊からバスで帰宅するには、

ここを通るのが近道だっただけなんですけど。

じゃないと、バスを乗り継がないといけなかったので・・・。



アメリカ楓通りといしかわ四高記念公園を横切り、

香林坊の大和デパートの裏からデパ地下へ。

バス時間に余裕があったので、

久しぶりに大好きなたい焼きを買って帰りました~。


(おわり)

2019年1月12日(土)の兼六園散策の続きです。



前回は、小立野口から入園し、

龍石、成巽閣前を通って梅林へ向かいました。

今回は霞ヶ池の周辺を散策します。


こちらは茶室・時雨亭の裏側で、ちょっと見にくいのですが、

右手の奥に見えている深緑色の池が長谷池です。



この辺りの苔もきれいですが、やはり前回ご紹介した

成巽閣前の苔とは色がかなり違います。



これは何だっけ? こんなのあった?

と思わず近づいてしまったのがこちらのラジオ塔。

NHKが公共放送普及のため、昭和8年(1933年)に設置したもの。



霞ヶ池のほとりにやって来ました。

青空だときれいだったのですが、曇り空で暗くなってしまいました。



この位置から遠く対岸にある「ことじ灯籠」を望遠で撮ってみました。



こちらは内橋亭横にある寄石灯籠。



内橋亭の後ろを通って「親不知(おやしらず)」を歩きます。



エサをくれる人を待っている鯉たち。



内橋亭付近から見た蓬莱島(右)と唐崎松(左)。



霞ヶ池越しの唐崎松。





再びマップを載せておきます。



今度は栄螺山(別名:唐笠山)の後ろを歩き、

階段を下りて瓢池(ひさごいけ)の方へ向かいます。


霞ヶ池と瓢池とではこれだけ高低差がある証拠です。

心臓には負担はかかりませんが、

病み上がりの膝にはかなり負担をかけてしまいました。



突き当たりに見えているのは茶室・夕顔亭。

兼六園内の中で最も古い建物になります。



お庭には伯牙断琴(はくがだんきん)の手水鉢があります。

琴の名手 ・伯牙の姿が浮き彫りにされています。




こちらが瓢池です。

中州には加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰ったと言われる

「海石塔(かいせきとう)」があります。



こちらは翠滝(みどりたき)。

霞ヶ池から流れ出て瓢池に注ぎ込む、園内最大の滝です。

高さ6.6m、幅1.6mで水量が豊富で、水音が静かに響き渡っています。



今度は夕顔亭の後ろへ回ります。



今度は噴水に向かって歩きますが、

噴水の少し手前を右方向へ入ると黄門橋が見えます。



今は滑り止めの「むしろ」か「こも」かよくわかりませんが、

黄門橋の上にきれいに敷かれています。

この橋は、青戸室石の一枚石で造られています。



黄門橋の奥にあるのが獅子巌(ししいわ)。

虎石・龍石とともに兼六園三名石と言われています。



獅子巌の左側には「白龍湍」の木札が立っています。

園内の曲水の大部分はゆったりと流れていますが、

栄螺山の裏一帯には流れが急になるところがあります。

「湍」は、水の流れが急な様を表しています。



次は、園内でも有名な日本最古の噴水です。



霞ヶ池を水源とし、池の水面との高低差による

自然の水圧だけで上がっています。

水の高さは約3.5mありますが、

霞ヶ池の水位の変化によって変わります。



この辺り、栄螺山の裏手は「常盤ヶ岡」と呼ばれ、

鬱蒼としたマツ・モミの老樹・低木の茂みなどがあり、

常に濃い緑に覆われ、夏はとても涼しいので私の好きな所です。



いよいよ兼六園のシンボル「ことじ灯籠」へ向かいます。

その前に灯籠の右横の道を少し歩いた所には、

三名石の最後、虎石があります。





徽軫(ことじ)灯籠です。

片足だけを池の中に入れた二本足の灯籠で、高さは2.67m。



前方にある虹橋を琴に見立てると、

後方の灯籠が琴の絃(いと)を支える駒に見えるので、

徽軫(ことじ=琴柱)と名付けられました。



兼六園ではお馴染みの景色ですね。

みなさんここで記念撮影されるので、

最近は、なかなか人を入れずに撮るのは至難の業。

この時はすでに10:00すぎでしたけど、

団体客がいなかったのが幸いでした・・・。


眺望台から見た風景です。

こちらは卯辰山。



こちらは白山方面かな?



こちら園内唯一の月見灯籠。

月見橋(玩月橋)のたもとにあり、高さは2,1m。

満月を象徴して、円と丸を基調に設計されています。



雁行橋(亀甲橋)



唐崎松



これで兼六園の散策を終えて、桂坂口から石川門へ。

兼六園で中国語が聞こえなかったのは久しぶりでしたね。



(つづく)

この3連休は金沢には珍しい晴天!


去年は金曜日が大雪で市内の交通が麻痺状態。

4時間半かけてお昼頃に会社に着いて、

仕事の後は組合の旗開きに参加。

帰りは疲労困憊の体で会場から金沢駅まで、

普段の2倍の20分あまりかけて歩いて行きました。


その翌日からはセンター試験があり、

バスは少々定時より遅れながらも、

試験に大きな混乱を与えることはなかったと記憶しています。

私も少し遅れて来たバスで耳鼻科へ行きました。


そんな去年のことを思い出しながら、

金曜日は組合の旗開きに参加していましたし、

昨日1/12(土)の朝は、8:00のバスで耳鼻科へ・・・。


そして、最近、運動不足ということもあって、

天気がよいなら、帰りに兼六園を散歩しようと決めていました。


でも、年末に左膝を傷めて、

木曜日にエコーで診てもらうと水腫があったのですが、

抜くほどではないということでステロイド注射をしてもらうと、

翌日には痛みは消えていましたけど、

やはりまだ不安定な感じは残っていました。


昨日の朝も、ストレッチをして出かけて、

バス停までは膝の調子もよく歩けていたので、

これだったら大丈夫だろうと散歩を決行しました・・・。


橋場町でバスを下車すると、

まず目に入るのが主計町(かずえまち)茶屋街。



そして、前を流れるのが浅野川で、

こちらの橋は浅野川大橋。

この橋を渡ってもう少し歩くと、

右手にひがし茶屋街があります。



私は耳鼻科へ行くために道を少し戻って交差点へ。

交差点の角に立っている旧銀行の洋館は「金沢文芸館」。

2階には五木寛之文庫、3階には泉鏡花の作品や、

市民文学賞作品などが閲覧できるようになっています。



いつものように上咽頭に塩化亜鉛をたっぷり塗られ、

頭痛と喉の痛みが出てきてしまいましたが、

予定どおり、9:30頃、橋場町(金城楼前)のバス停から、

大学病院方向のバスに乗車。


次の兼六園下バス停はスルーして、

2つ目の出羽町(金沢医療センター前)で下車しました。

兼六園下→出羽町の間にあるのが兼六坂ですが、

この坂を見ると、兼六園の高低差がよくわかります。


下車した後は、少し戻ることになりますが、

バス停で振り返った時の景色が下の写真です。

右側の長い塀に囲まれた所が金沢医療センター。



まっすぐ突き当たりまで歩いて行きます。

消えかかっている横断歩道を渡った先が兼六園です。



このT字路を左折すると、成巽閣や県立美術館があります。



ここが兼六園小立野口です。

去年11月10日もここから入園しました。







土・日曜日は、県民は無料で入園できますので、

保険証を提示して無料で入園しました~。



左側に見えているのは、石川県伝統産業工芸館です。



まっすぐ進むと、Y字に道が分かれます。



去年11月は、紅葉を見るのが目的だったので、

右へ進んでこちらの山崎山周辺を歩きました。

今は人影もなくひっそりとしていました。



今回は梅林の様子が見たかったので左へ進みました。

すると、見えて来たのはコーンに囲まれたレンガ塀。



去年の大阪北部地震後の安全検査で引っ掛かり、

今は近づくことができず、このようになっているから目立ちますが、

何もなければ、気付かれずに素通りされていますね。


このレンガ塀は、1909(明治42)年に、

当時の皇太子殿下が成巽閣に宿泊する際、

警備強化を目的として建造された一部で、

文化財などではありませんが、

県は今後も保存する方向らしいので、強化対策検討中です。



このレンガ塀の後ろに建っているのが成巽閣。

前田家の奥方の御殿です。



左手にこの成巽閣の塀があるのですが、

道を挟んで右手には龍石が見えて来ます。



11月にも立ち寄りましたけど、

この季節ならではの楽しみがあります。



それが龍石の後ろに咲いている「龍石の椿」。

兼六園の椿と言えば、この椿が代表的なんですよ~。



本当はもっとアップできれいに撮りたかったのですが、

デジカメの電池が切れかかっていたため、

アップをすると電池の消耗が激しく、ピントが合わず・・・。

電池のことをすっかり忘れていました。


それでは、今回はどのようなコースを歩いたかマップでご紹介。

右下の小立野口からスタートです。

概ね右半分は11月に歩いた所なので行きませんでした。



龍石を過ぎた所で道を左折。

成巽閣の塀の前には私が大好きな苔があります。



他の場所とは違い、ここの苔だけは

年中青々としていて、とてもきれいなんですよ~。

あとで他の場所と見比べてみて下さいね。



こちらは「根上の松」を裏側から撮ったもの。

いつも前からしか撮っていなかったので。

でも、前にたくさん木があってわかりづらいですね。



こちらが成巽閣の赤門。

正面からだけでなく、こちらからも中へ入ることができます。



こちらは少し離れた所から撮った成巽閣です。

木の下に見えている屋根が付いているものが何なのかは不明。



梅林に入って行きます。

数日前の新聞1面に、ある梅の品種が満開と出ていたので、

楽しみに行きましたが、パッと全体を見渡した限りでは、

まだまだ開花はこれからという感じでしたね。



奥にちらっと見えているのが舟之御亭(ふなのおちん)。

何人もの方が休憩されていたので、

カメラをまともに向けることができませんでした。









茶室・時雨亭の裏側です。





この梅の木だけは、たくさんの可愛い花を咲かせていたのですが、

高そうなカメラを持ったおじさんが、ずっと撮影していて、

なかなか譲ってくれなかったので、

隅の方に咲いていたこの花だけを撮るのがやっとでした。







次回は、兼六園の代表的な場所が登場します!


(つづく)

長年和歌山に住んでいる上の兄が、

年末に初めて「たま電車」に乗ったそうで、

いつも共有しているフォトアルバムにアップしてありました。


ニャンコ好きにはたまらない「たま電車」。

私も一度は乗ってみたいけど、いつになるかなあ・・・。


ということで、兄の写真を拝借しまして、

可愛い「たま電車」の写真を載せておきます。

































ちなみに行きは「いちご電車」だったそうです。

写真を撮っていたのは兄だけだったみたいで、

ちょっと恥ずかしかった・・・と感想を述べていました。


本棚があったり、キッズ車輌みたいなのがあったりして、

とても可愛いですね~。


詳しくは、和歌山電鐵のHPをご覧下さい。

おサイフケータイ・・・

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こんばんは。


昨日の仕事はじめの日だけ、とてもよいお天気でしたが、

年末年始のお休み期間中は、ずっと雪か雨でした。

そして、今日も朝から雨、今も雨が降っています。


実は、年末は29日(土)はスーパーへ買い物に行き、

その帰りに整形外科で下ろしてもらってリハビリ。

帰りは膝が痛くても、徒歩で帰って来ました。


30日(日)は、朝一で妙立寺(忍者寺)の向かいにある西方寺へ

納骨堂に置いたままになっていたチロちゃんを迎えに行き、

その帰りにドラッグストアで膝サポーターを買ったり、

またまたスーパーで買い物して帰りました。


この6日間のお休みで出かけたのは、この2日間のみ。

昨日の朝、出勤のために外に出たのが今年初めての外出でした。


でも、寝正月だったわけではありません。

年末は家の掃除や料理を一人でやっていて大忙し。


自分の部屋の掃除すらできなかったので、

お正月は部屋の片付けと同時に、

チロちゃんのお骨と位牌をトラキチたちと同じ祭壇に置くために、

祭壇の模様替えもしていました。


今日も少し片付けをして、やっと少しスッキリしました。

本当はもっと断捨離して、物を少なくしたいけれど、

こちらはもう少し時間がかかりそうです。


さて、昨年、初挑戦(笑)したのがおサイフケータイ。

ちょうど夏にRカードの更新時期が来たので、

その時に、今まで付けていなかったEdy機能を一応付けましたが、

開始手続きは全くせずに放置していました。


11月頃だったかに、

Edyの申込時にオートチャージにするとしておきながら、

全く何も手続きしていなかったので、

Edyから「3ヶ月で一旦申し込まれた内容を無効にしますよ」

という案内が届いたので、面倒くさいなあと思いつつ、

とりあえず、使える状態にしておこうかと重い腰を上げました。


結局、オートチャージにはせず、その都度チャージするのにして、

とりあえず3,000円だけチャージしてみました。


そして、ドキドキしながら、コンビニで買い物した時に、

「Edyは初めてなんですけど、やってみてもいいですか?」

と言って、携帯を置いてみたのですが無反応。


恥ずかしながら、Felicaの場所を勘違いしていて、

スマホケースを付けたままだと、

Felicaを隠すことになり、認識されなかったのです。

そこに気付くまでに時間がかかりました。


最終的に、開始手続きを始めてから、

最初に「チャリーン」と決済されるまで1ヶ月かかりました。

本当に自分が「おばちゃん」だと認めざるを得なかったです。


しかし、いつもスマホはケースに装着して使っているので、

おサイフケータイを使う時は、予め外しておかないといけなくて、

ちょっと面倒なことになっています。

コンビニのカードも予め財布から出しておかないといけないし・・・。


そこまで準備しておけば、

買い物する時にはお財布は出さなくてもよいので、

とても楽ですよね。


コンビニではいつもカード(au WALLETなど)払いをしていて、

財布は出さなきゃいけないけど、

お金のやりとりがないので、本当に楽です!


普段、スーパーに買い物に行くことはほとんどないので、

どうしても欲しいものはネット通販で買っています。

なので、現金を使うのは、毎日職場で買うヤクルトくらいかな?


これからどんどんキャッシュレスの時代になって行くと思いますが、

何とかギリギリついて行っている感じです。


そもそもスマホは持っていても、

必要最小限のことしかやっていなくて、

朝起きたら、帰宅したら、まずパソコンを立ち上げている毎日です。

まだまだアナログな私です・・・。

2018年の総括・・・

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本来なら年末に書くべきブログですが、

書きかけていた「前田家ゆかりの地めぐり③」を、

何とか年内にアップしたいと、

紅白歌合戦をBGMにして必死に編集して、

何とかギリギリ3秒前にアップすることができてホッ。

それが精一杯でした・・・。


それでは、2018年を振り返ってみようと思います。

思い出したくないこともたくさんありましたね。



【1月】


1/12に、この冬初めての大雪に見舞われました。

金沢でも17年ぶりの大雪ということで、

いつもの朝の通勤バスも来ないという異常事態に・・・。

バスの運転手が出勤できなかったのが原因でした。

仕方なく、歩いて会社へ向かうことになり、

4時間半かけて、何とか辿り着くことができました。


長距離を歩いたりして、左膝の調子が悪くなり、

関節が固くなっていたのでリハビリを勧められ、

初めて理学療法士によるリハビリを始めました。



【2月】


忘れもしません、2/6に再び大雪となり、

やはり通勤バスが来なかったため、

今回は無理をせず、お休みをいただきました。

大雪で仕事を休んだのは初めてでした。


翌日もバスが来なかったので、繁華街まで歩きました。

その翌日に大事な仕事が控えていたので、

この日は初めて会社に泊まりました。

とにかく、連日、バスダイヤが乱れ、

バスに座れないだけでなく、満員バスでギューギュー、

駅から会社までは毎日20分あまり歩いていましたね。

みんなが「思い出したくない」という疲労困憊の日々でした。


そして、やっと雪が落ち着いてきた頃、

ある職員が、娘二人がインフルエンザになっていたのに、

マスクもしないで出勤していて、

その後、本人もインフルエンザB型にかかって欠勤。


「まさか、ヤバいんじゃない?職場閉鎖になるかもよ~」

と冗談を言っていたら、私の体調に異変が起こり、

普段、風邪を引いても発熱しないのに37度の微熱。

何となくだるくて、もしや・・・と耳鼻科に行ったら、

人生初のインフルエンザに感染していました。


その後、次から次と3人が感染し、

もう少しで本当に職場閉鎖になるところでした・・・。

原因となった職員は、3月末で退職しました。

いろいろと問題があった人だったので、

4月以降は職場の雰囲気も明るくなりました。



【3月】


3/17に母が胸骨圧迫骨折で入院しました。

当初は1~2ヶ月の入院予定でしたが、

結局、退院できたのは6月中旬でした。


それ以来、家事の一切をやることになったりして、

ストレスが溜まっていたのでしょうか、

抜け毛がひどくなり、一時は頭頂部もかなり薄くなって、

美容室や皮膚科の先生に相談したりしました・・・。



【4月】


4月に入ってから、左の首が痛くて振り向けなくなり、

整形外科で首を初めて診ていただきました。

レントゲンを撮った結果、首はストレートネックで、

肩こりなどを起こしやすい状態でした。


先生の診断は筋膜炎ということで、

首を回した時に一番痛みが出る所に

トリガーポイント注射を打って筋膜リリースをしました。


また、この日から赤外線・低周波・ウォーターベッドを使った

器械によるリハビリも始めました。


4/27~30に、母の見舞いも兼ねて

和歌山に住む兄が帰って来て、

いつものように家の掃除などを手伝ってくれました。



【5月】


京都出張を利用した形で、5/19(土)に宝塚へ。

去年の厦門旅行で仲良くさせていただいた西宮在住の

82才と84才のご夫婦との半年ぶりの再会でしたが、

今回はお二人からのご招待で、

初めて宝塚歌劇団の公演を鑑賞させていただきました。



その日は奈良駅前のホテルで宿泊し、

翌5/20(日)は京都・木津川市にある浄瑠璃寺と岩船寺へ。



浄瑠璃寺は別名・九体寺と呼ばれていますが、

この九体の阿弥陀如来坐像は、

この後、7月から修理・修復のために

年に1~2体ずつ寺を出られるということで、

今後約5年間は9体が揃わないこととなります。

このことは現地で知りましたが、

幸運にも九体とお会いできてよかったです。



午後は奈良市内に戻り、新薬師寺と奈良町を散策。

夕方、京都に移動し、お友達とはここでお別れ。


5/21(月)は午後から仕事でしたが、

午前中は大津に住む親友と京都駅で待ち合わせして、

一緒に東寺を散策してきました。



毎月21日は弘法大師の月命日ということで、

境内では「弘法さん」と呼ばれる弘法市が開かれていました。

ここで可愛いニャンコの陶器と出会い、

その作家さんとのご縁もできました。


午後は会議・研修会・懇親会に参加し、

翌日は嵐電に乗って帷子ノ辻駅まで行き、

「太秦の撮影所跡」を訪ねて、近所を散策しました。


普通の住宅街に「史跡 蛇塚」があり、

まさか中に入ることができるとは・・・ラッキーでした。




【6月】


6/10で大動脈解離を発症してから7年が経過しました。

今でもその時のことは鮮明に覚えているので、

あっという間の7年でした。

偽腔開存型の場合、予後についてはあまりよろしくないようですが、

もうここまで来たら、人生楽しむしかないですね!


6/26の夕方、朝まで元気だったテンちゃんの様子が急変し、

私が帰宅した時には入院中で会えず、

テンちゃんはその日の夜遅くにそのまま息を引き取り、

深夜に無言の帰宅、対面となってしまいました。



未だに何が起こったのか、夢のことのようで・・・。

とても人なつこくて、暑がりだったから、

いつも私の部屋で涼んでいたんですよね~。

寂しくなりました・・・。



【7月】


7/15(日)、帰省中だった上の兄と白山白川郷ホワイトロードや

利賀村などをドライブしてきました。




【9月】


9/23(日)も帰省中の兄と、急きょ白山下までプチドライブ。

ちょうど蕎麦の花が満開の季節だったので、

旧鳥越村に行ってみたけれど、

以前のような一面真っ白な広い蕎麦畑は見られず残念でした。

その代わりに、道沿いにあった弘法池に立ち寄りました。




【10月】


9月の福山出張の代わりに一人旅を計画し、

姫路のブログ友達みやびさんの家を4年ぶりに訪問しました。

播磨国総社・射楯兵主神社も案内して下さいました。





翌日は岡山へ移動し、倉敷に住む中学時代の親友と

38年ぶりに再会を果たし、一緒に岡山後楽園を散策しました。




【11月】


11/3(土)に今年4回目となりましたが、

和歌山に住む兄がいつも寝てばかりいる母を連れ出すため、

まずこの日は紅葉を見に今年3回目の白山麓へプチドライブ。

メインは手取峡谷の綿ヶ滝でした。



翌11/4(日)は能登方面へドライブ。

行き先は適当でしたが、新たな出会いもあり、楽しかったです!


久しぶりに走った千里浜なぎさドライブウェイにいた

シギの4兄弟(?)は可愛かったですね。



だんだん痩せてきた見附島(軍艦島)も10年ぶりでした。



そして偶然にも珠洲の静かな山村に、

弘法大師が建てた法住寺があると知りビックリ!

兄も興味を持って付き合ってくれて嬉しかったです。

石川の人でも知っている人は少ないと思います。





11/10(土)は西宮のご夫婦が金沢に来て下さって、

ご主人の希望により「前田家ゆかりの地めぐり」をしてきました。

私も事前に予習したりして、とても勉強になりました。




【12月】


初旬に大きな仕事が終わると、

年末まではのんびりと過ごしていましたが、

まさかクリスマスに突然のお別れが待っているとは・・・。

トラキチのお友達への年賀状も急きょ作り替えることに。


今頃はチロもトラキチ、フク、テンと再会して、

楽しく過ごしていると思いますが、私はちょっと寂しくなりました・・・。



今年もあちこち旅をすることができました。

こうやって見てみると、今年は偶然ではありましたが、

弘法大師様とご縁がある旅だったと思います。


2018年も2ヶ月(奇数月)ごとに大学病院を受診し、

大動脈解離や大動脈基部の大きさには著変はありませんでした。


目の方は、右眼にキラキラ光るものが見え、

網膜剥離の前兆ではないかと慌てて診ていただいたら、

老化現象の一つである光視症と判明。

4ヶ月ほど経ち、今も右眼は光の輪が見えたりしていますが、

原因がわかったことで、あまり気にならなくはなりました。


1月末から両膝のリハビリをスタートし、

1ヶ月に3回くらい通って、かなり膝の状態はよくなりました。

磨り減った軟骨は治らないので、

痛みがひどくなった時には注射をしてもらいますけど、

リハビリと注射でよい状態をキープすることができました。


ただ、年末の3連休の直後に急に左膝がおかしくなり、

痛みもひどいし、膝も上がらなくなり、

ネットで検索すると、股関節も関係がありそうだったので、

股関節を動かす体操をしてみたりもしました。


12/29(土)、今年最後のリハビリの時に、

理学療法士の先生に左膝の状態を診ていただくと、

やはりいつもより状態が悪く、

関節というよりは筋を傷めて炎症を起こしている感じとのことでした。


それで、湿布による消炎と、歩く時には、

柔らかいタイプのサポーターの使用を勧められ、

年末に買いに行ったりしていました。


4月から治療していた首の方は、

2ヶ月ほど注射を続けた結果、首の引っかかりはなくなりました。

でも、ストレートネックと、事務仕事の姿勢から、

肩もこりやすいので、器械のリハビリは継続しています。


一番気になっているのは、すべり症から来る脊柱管狭窄の症状。

ひどい時は、右足の付け根から先までずっと痺れていますし、

歩く時も、その時の姿勢等によっては早々に腰痛が出たりして、

自分がだんだんお婆さんに近づいて行くなあと感じています。


更年期に入って、コレステロールや血糖値が高くなったり、

初めて骨密度を測ったら、骨減少症になっていることがわかったり、

暴飲暴食をしているわけではありませんが、

どんどん太る一方だったりして、

女性ホルモンの恩恵が受けられないとこうなるのかなあ・・・。


2月には健診もあるので、お正月明けからは気持ちを切り替え、

何とかダイエットに取り組みたいと思います。


今年も無事に1年過ごしたいですね!

あけましておめでとうございます!



昨年末は、毎年恒例の「総括」も書くことができず、

自分の部屋の大掃除もすることができず、

このお正月は年末のつづきをやることになりそうです。


母親がもう寝てばかりいて、家事をやらなくなったので、

年末の大掃除、洗濯、料理・・・など、

全て私一人でやっていて、さすがに疲れてしまいました。


日頃の睡眠不足をこのお休み中に解消したかったけれど、

寝たいと思った時に寝られず、

今もこうしてこんな時間にブログを更新して、

いつ寝るのでしょうね・・・。


今年も元気で過ごせることが一番!

そして、また好きな旅に出かけられたらよいなあと思います。


今年もどうぞよろしくお願いいたします!


2018年11月10日(土)、前田家ゆかりの地めぐりの続きです。


珠姫の寺として親しまれている天徳院の散策の後は、

やはり大学病院のすぐそばにある宝円寺に向かいました。



宝円寺も2度ほど門の前までは来ていますが、

門より中には入ったことがなかったので、

私もとても楽しみにしていました。



こちらの山門と築地塀(ついじべい)は、

庫裡、本堂とともに国の登録有形文化財に指定されています。



山門は大型の一間薬医門、切妻造桟瓦葺で、

冠木上には龍を象った蟇股を飾っています。

築地塀は精緻な石積基礎上に建ち、両端を前方に出した配置。




護国山宝円寺は、加賀藩初代藩主・前田利家が建立した寺で、

藩主一族の位牌が安置された前田家の菩提寺です。



はじめ、越前府中(現福井県越前市)に在城のころ、

高瀬村にあった宝円寺の大透圭徐(だいとうけいじょ)和尚に帰依し、

天正9年(1581年)、前田利家公が能登一国を領して

能登七尾小丸山城主になると、

同和尚を迎えて七尾宝円寺を創建(のち長齢寺と改称)。


さらに天正11年(1583年)に金沢城主になると、

金沢に招いて今の兼六園東隅に、

石川門と相対して宝円寺を創建されました。



その後、「宝円寺」は藩公から

毎年220余石の供養米を寄進されるまでとなり、

更には前田藩累代の菩提寺となって、

曹洞宗全寺院の触頭(ふれがしら)とされました。


元和6年(1620年)、現在地11,600坪(約3,515㎡)の替地を賜り移転し、

華麗なる伽藍建ち並ぶその様は誠に人の目を驚かせました。


寛文9年(1669年)、五代藩主・前田綱紀公によって

本堂・客殿・庫裏・山門が改築され、その際の伽藍は

「北陸の日光東照宮」と称されるほど絢爛豪華なものでした。



ちょうどお庭をお掃除されていたお寺の方に見学したい旨を伝えると、

金色の梅鉢紋が輝く玄関の戸(上の写真)を開けて下さいました。

拝観料は500円で、基本的に堂内は写真撮影禁止です。



まず最初に説明して下さったのが扁額の中に納められていた

「北陸の日光東照宮」と言われていた時代の境内図でした。

曹洞宗ですから、私好みの七堂伽藍が並ぶ配置で、

絵を見ているだけで立派なお寺だったことが想像できました。


お話によると、大学病院は「宝町」にあるのですが、

この町名は、そこが以前は宝円寺の境内だった名残だそうで、

今の地図で宝町を示すと地図の色付けした範囲となり、

いかに大きなお寺だったかがわかりますね。



しかし、宝暦9年(1759年)の大火で類焼、

明治元年に不幸にも寺内からの失火で再び全伽藍を失い、

その後、今の本堂と庫裏を造営し、現在に至っています。

本当に残念です。往事の伽藍を拝見したかった!


宝円寺には藩主一族の位牌が安置されていますが、

前田利家は慶長4年(1599年)3月3日に急逝され(62歳)、

4月6日に宝円寺にて二世象山和尚により葬儀を行い、

4月8日に野田山に葬られています。


堂内で唯一写真撮影がOKだったのは仁王像。

大きさはわかりづらいかもしれませんが、4m54cmもあります。

赤い色が派手ですが、仁王像はもともと朱赤色が多く、

長年、外で雨風などに晒されて色褪せていくそうです。



左側の口を閉じた吽形の金剛力士像は、

焼失してしまったため、新たに阿形の作風に合わせて、

高岡の佛師である本保喜作が彫ったものです。



右側の阿形の金剛力士像は幸運にも焼け残り、

修復されたそうです。

木造寄木造で鎌倉時代十三世紀の作と推定。

利家公の寄進で、佛師運慶の末葉の調製といわれています。



話によると、明治元年火災の時、一躰は焼失、

一躰がまさに火に包まれんとした時、

小立野の力士・亀坂の源八が抱え出して助かったとのこと。

まさに「火事場の馬鹿力」だったのでしょうね。


この他、お庭にあった石碑などを遠くから写しました。

ニャンコの写真はありませんが、黒猫ちゃんが遊んでいました。

三毛猫ちゃんは中でお昼寝中で会えませんでした。









これでご主人が希望された3ヶ所の見学を終えましたが、

まだ時間があったので、すぐ近くの兼六園に立ち寄りました。


こちらは兼六園の園内図ですが、

私たちは地図右下の小立野口から入園しました。



兼六園には自然な高低差があり、

小立野口周辺が一番高所になりますので、

お体が不自由な方には小立野口から入園するのをお勧めします。


そして、11月初旬ということで、

紅葉を楽しむには少し早いとは思いましたが、

小立野口からすぐの所にある山崎山が紅葉の名所なので、

お二人にも楽しんでいただけるかなと思いご案内しました。


今回はお二人のお体のことと、紅葉の山崎山、

11/1に施されたばかりの雪吊りの唐崎松を見ていただきたく、

下の地図のように散策してきました。

このように歩いた場合、道はすべて平坦です。





山崎山











日本武尊像



七福神山



雁行橋(亀甲橋)



唐崎松



根上松



龍石







紅葉は色付き始めでしたけど、

緑、黄色、オレンジ、赤のコントラストがとてもきれいでした。

お二人も久しぶりの兼六園だったそうで、喜んでいただけました。


そして、時間もあとわずかとなってきましたが、

車だとすぐに移動できることもあり、

最後に前田利家を祀る尾山神社に寄りました。


タクシーの駐車場の関係もあったのですが、

尾山神社の横から入ったのは初めてでした。

結婚式の時などはこちらから入るようです。



金沢市のシンボル、明治8年建築の神門。











織田信長公に仕えていた青年時代の利家像(赤母衣衆)



神苑









この後、金沢駅に戻ると、ちょうど16:00でした。

駅の喫茶店で1時間ほどおしゃべりして、

17:00すぎにお別れしました。


駅は通勤で毎日来ていますが、

土曜日の午後はものすごい人混みでビックリしました。

兼六園も写真は人が写らないようにしていますが、

実際はすごい人出でしたよ。


今回はお二人のおかげで、私もとても勉強になりましたし、

きれいな紅葉も楽しむことができました。


みなさんも、ぜひいらして下さい!


(おわり)

2018年11月10日(土)、前田家ゆかりの地めぐりの続きです。



前田家墓所の散策を終えると、

まだまだ時間に余裕があったので、

近所にある私の大好きな大乗寺にご案内しました。

車だと2分くらいで着いてしまいます。



大乗寺は前田家ゆかりのお寺ではありませんが、

永平寺、總持寺の両大本山とも特別の由緒をもつ

大本山永平寺の四門首の一つである曹洞宗の寺院です。



私はこの大乗寺もそうですが、

曹洞宗寺院建築の典型的な七堂伽藍のお寺が好みなのです。

これまでご主人と話をしていると、

私とお寺などの好みもきっと同じなのではないかと思い、

気に入っていただけるとよいなあとご案内しました。



総門(黒門)



山門(赤門)



永平寺の第三代・徹通義介禅師(てつつうぎかいぜんじ)は

正応2年(1289年)に加賀の地へ移り、

守護職冨樫氏の帰依を受けて、野々市に大乗寺を開きました。

江戸時代初期には、加賀藩家老・本多家の菩提寺となっています。



こちらは仏殿、国の重要文化財に指定されています。



法堂



後日ご主人から届いた礼状には、

大乗寺に案内してくれてありがとう・・・と書いてあり、

気に入っていただけたのではないかと思います。

大乗寺を紹介した過去のブログはこちら



続いて、いつもお世話になっている大学病院がある

小立野(こだつの)台へ向かいました。


車中では、金沢の美味しい料理について質問され、

金沢と言えば、海鮮、特にこの時期だとカニが話題になりますが、

この時は私と運転手さんとで加賀野菜を使った料理、

はす蒸しや、加賀太キュウリと海老のあんかけなどをお勧めし、

とても興味を持っておられましたよ。



次に訪れたのは天徳院。

元和9年(1623年)に加賀藩3代藩主・前田利常公は

正室珠姫菩提のため、金沢城の東(小立野台)に

4万坪の敷地を定めて天徳院を創建しました。



珠姫は2代将軍徳川秀忠公の次女として生まれ、

3才で利常に輿入れしましたが、

元和8年(1622年)、24才の若さで亡くなりました。

名の由来は、珠姫様の戒名「天徳院殿乾運淳貞大禅定尼」に因み、

珠姫の寺として親しまれています。



石川県指定有形文化財の山門は、

元禄6年(1693年)、黄檗宗五代管長・高泉性敦和尚の指導により

明朝式に造営され、二階には木造釈迦牟尼仏像と

十六羅漢像が安置されています(非公開)。



今までこの門の前までは何度も来ていましたが、

門より先へは入ったことがありませんでした。











天徳院で有名なのは、からくり人形劇。

幼子の時に徳川家と前田家の友好・主従関係の証として

江戸から嫁いだ珠姫の人生を再現しています。



お二人にからくり人形劇をご覧になりたいか尋ねると、

特に観なくてもよいということで、

無料で入れる門の奥のお庭だけ散策することにしました。





以前は門の前に受付があったので、

拝観料を払わないと門をくぐれませんでしたが、

この時はこの廊下の奥に受付があると案内がありました。



それでは色づき始めたお庭の様子をどうぞ。













こちらは鎮守堂、別名弁天堂ともいい、

堂内には祈願をする人の願いを合力によって救うとされている

霊験あらたかな大弁財尊天十五童子、白山妙理大権現、

金龍稲荷大明神の三尊が合祀されています。



正面には天狗のお面が飾られていました。



中の写真はHPから拝借しました。









こちらが門をくぐった後、一番奥にあった入口。

ここから入ることはできません。

ガラス戸には梅鉢紋が入っていました。







今度は振り返って奥から見た山門です。

こちから見た紅葉がきれいでしたね。









こちらは山門前の参道にあった本の形をした石碑。



次は宝円寺に向かいます。


(つづく)

2018年11月10日(土)、兵庫県西宮市在住のお友達が、

夫婦揃って金沢に遊びに来て下さいました。


お友達と言っても、82才と84才のご夫婦で、

私の母がちょうど二人の間の83才なので、

私のお友達の中でも最高齢のお二人です。


去年11月の中国・厦門旅行の時に知り合い、

意気投合、とても仲良くさせていただき、

今年5月には宝塚歌劇にご招待いただきました。


そして、ちょうど1週間前にご主人から電話があり、

11月8日から長野の方へ旅に出るのだけど、

その帰りに金沢に寄りたいので、

もしも時間があったらお付き合いいただけませんか・・・

とのことで、いつも一緒に旅する友達は仕事でしたので、

私一人でお会いすることにしました。


お二人はすでに金沢には何度も来られているので、

「どこかご希望の場所はありますか?」と尋ねると、

ご主人から「前田家ゆかりの場所を訪ねたい」と、

野田山の前田家墓所、天徳院、宝円寺の

3ヶ所の名前が挙がりました。


そこで、野田山と言えば、私の散歩コースではありますが、

駅からですと距離がありますし、バスも不便、

お二人は心臓に持病があることもあり、

今回は初めてタクシーを3時間チャーターして、

一応、観光案内ができる運転手さんをお願いしました。


今回、お二人は秋山郷→飯山→高岡と旅され、

当日は高岡からの電車が12:41に金沢に到着ということで、

改札前でお待ちし、半年ぶりの再会となりました。


タクシーとは13:00に音楽堂の前で待ち合わせし、

早速、最初の目的地、前田家墓所へ向けて出発!


運転手さんが最初に話された言葉で、

すぐに関西出身の方だとわかり、

お二人も同じ関西だったので、すぐに話に花が咲きました。

運転手さんは転勤族で、最後に勤めた金沢が気に入り、

定年後、金沢に住むことに決めたそうです。


その後、タクシー移動中は、後部座席のご主人が、

 前へ顔を出す形で質問攻め。


例えば、野田山に向かって寺町の大通りを走っていると、

「金沢と言えば浄土真宗だと思うけど、

 なぜ、この辺りには真言宗や日蓮宗のお寺が多いの?」

というような質問が飛んできました。


いつも通っている道ですが、

お寺の宗派など気にしたことがありませんでした。

でも、運転手さんはちゃんと答えていましたよ。

一向宗(浄土真宗)の動き(一揆)を監視するため・・・。

思わずなるほど・・・と頷いてしまいました。



駅から20分ほどで野田山にある前田家墓所に到着しました。



運転手さんは、前日がひどい雨風だったので、

足下がどうなっているのか、

わざわざ朝早くに一度見に来て下さったそうです。



幸い足下はよかったのですが、

折角色付いていたモミジなどがみんな散っていました。



前田家墓所に訪れたのは2回目で、

前回は2016/2/29、残雪が少し残る時期でした。

なので墓地らしい殺風景な景色でしたが、

来てみてビックリ、こんなに紅葉がきれいな所だったとは・・・。

墓地の詳細は前回のブログ をご覧下さい。



今回は私が案内していましたので、

写真は少ししか撮ることができませんでした。

案内したのは下記の墓所図の辺りだけです。



国の史跡である前田家墓所は、金沢市南東部、

野田山墓地の最高所にあり、

金沢城からほぼ南、直線距離で3.5kmの所に位置しています。

標高は最も高い所で180m、東西に約400m、南北に約350m。


墓所内には、加賀藩歴代藩主を中心に、

藩主正室、生母、子女ら計84基の墳墓が造られています。


最初に見えて来たのは、

⑯幸(初代・前田利家長女)の墓と石廟。



続いては、Bの2代藩主・前田利長の墓。



こちらは①前田利家の正室・松のお墓です。



そして、突き当たりに見えてきたのがAの前田利家のお墓。

鳥居の向きが利家の墓だけ違います。



やはり予想どおり、この鳥居について、ご主人から尋ねられました。

予習しておいてよかったです。



江戸時代の墓所は仏式でしたが、

前田家が明治7年に神式葬に転換したため、

明治10年に墓所も改められ、墓所の正面に鳥居が建てられました。



こちらが前田利家の墳墓ですが、

藩主の墓は土を方形に3段重ねたピラミッド状の形をしていて、

初代利家の墓は一辺が約19m、以降の藩主墓で約16mあり、

高さは5m以上あります。



徳川家康や豊臣秀吉などのお墓も立派だとは思いますが、

このような巨大な墳墓というのは珍しく、

ご主人も写真をたくさん撮り、感心していましたよ。


個々の墳墓の大きさ、墓所全体の面積ともに全国最大級の規模で、

このような大規模な墓所を継続的に造営し続けられたのも、

加賀百万石の大名家であったことが大きな理由の一つと言えます。


こちらは墓所の一番高い所にある⑮利家の兄・利久のお墓です。

前田利家は織田信長の命により初代藩主となりましたが、

常に兄を重んじた人でした。



あとは適当に撮った写真を載せておきます。









この後、駐車場に戻りました。



ご覧のように、雲は可愛らしく浮かんでいましたが、

前日とは打って変わって爽やかな青空が広がっていました。



市内も一望できます。こちらは金沢駅前のビル群。



こちらは本多の森。

県立美術館や成巽閣、兼六園などがあります。



こちらは真正面に見えていた風景で、後ろの山は卯辰山。

ご主人から「奥に建つベージュの大きな建物はなんですか?」

という質問がありましたが、あそこが大学病院です!



この後、大学病院がある小立野台へ向かいます。


(つづく)