2024年4月13日(土)、萬福寺散策の続きです。

前回は真ん中左手の祖師堂までご案内しました。

 

 

続いて、萬福寺の本堂で、最大の伽藍である

大雄宝殿(だいおうほうでん)に向かいます。

 

 

日本では唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物として、

大変重要かつ貴重なものです。

 

 

黄檗山萬福寺は1661年に

中国僧「隠元(いんげん)禅師」によって開創されました。

禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、

中国福建省福州府福清県にある

黄檗山萬福寺のご住職をされていました。

 

その当時、日本からの度重なる招請に応じ、

63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。

宇治の地でお寺を開くにあたり、

隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ

「黄檗山萬福寺(おうばくざんまんぷくじ)」と名付けました。

 

 

他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、

中国的な特徴を色濃く残しているということが挙げられます。

江戸初期から中頃にかけて、

萬福寺の住職は、ほとんどが中国から渡来した僧侶でした。

 

朝夕のお勤めをはじめ儀式作法なども中国式で、

般若心経も萬福寺では中国語で唱えられ、

それも歌を歌っているような抑揚があったり、

太鼓や銅鑼など様々な鳴り物を使って賑やかに読まれます。

 

ご本尊は釈迦牟尼佛。

両脇侍は迦葉、阿難の二尊者。

 

 

両脇に十八羅漢像を安置。

 

 

 

羅漢の前にいらしたのは猫っぽいけど・・・?

 

 

この円窓もこの建物の特徴。

 

 

それから、こちらは拝借した写真ですが、

「桃扉(ももど)」といい、

大雄宝殿の扉にも桃符の彫刻がされていたのですが、

扉を開いてしまうと見えなくなるので気が付きませんでした。

 

 

桃は古来より、不老長寿の果実で邪気を祓うとされていて、

この扉を毎朝勢いよく開け放って邪気を払っているそうです。

 

大雄宝殿の左側には禅堂(選佛場)があります。

 

 

黄檗山禅堂では僧衆は東単に、

役寮(指導する老師)などの外寮は西単に、

各々対面して座禅します。

堂内の柱の1本は逆柱で黄檗七不思議の一つ。

 

 

続いて、一番奥に建つ法堂(はっとう)に向かいます。

 

 

禅寺における重要伽藍のひとつで説法を行う場所。

 

 

内部には須弥壇のみが置かれています。

説法の他、上堂や住持の晋山式にも使われています。

 

 

外の扁額に書いてある「獅子吼(ししく)」)とは、

百獣の王である獅子が一度ほえれば、

百獣全てが従うことに喩えて、釈迦の説法を指しています。

我が家の近くに「獅子吼高原」がありますが、

名前の由来を調べて見ようかな。

 

 

右側から見た法堂。

開山堂や法堂正面の勾欄は、

卍や卍くずしの文様になっています。

これらはすでに奈良時代の法隆寺などの

南都寺院に使われていますが、

江戸時代初期に改めて黄檗を通じてもたらされたものです。

 

 

境内を折り返して、帰りは境内の右側を歩きます。

 

 

折り返してすぐ、寺務所の前に売店があり、

御朱印もこちらでいただきました。

 

売店の前で後ろを振り向くと、

探していたお魚さんがいらっしゃいました。

40年ほど前、ここで撮った写真が残っていて懐かしかったです。

 

 

こちらは「開梆(かいぱん)」といい、

黄檗宗の寺院特有の木製の法具で、

日常の行事や儀式の時刻を知らせます。

「魚梆(ぎょほう)」、「魚板(ぎょばん)」、

「魚鼓(ぎょこ)」とも呼ばれます。

 

 

隠元禅師が渡来した際、日本に伝えました。

丸い球は自分の煩悩で、煩悩を絞って吐き出すところ。

もっと吐き出させるために叩くそうです。

反対側から見ると、叩いた跡が見られます。

 

 

この開梆は斎堂の前にあり、木魚の原型です。

 

 

斎堂は、萬福寺僧衆の食堂です。

約300人が一堂に会して食事できます。

 

 

奥に見えているのは雲版(うんぱん)。

朝と昼の食事と朝課の時に打つもので、青銅製。

 

 

斎堂の右隣には伽藍堂。

祖師堂と同時期に、同じ大きさで、

相対して建立されました。

伽藍を守護する伽藍神を祀るお堂です。

 

 

ご本尊として華光菩薩像を、

両側には三面大黒天と弁財天が安置されています。

 

 

華光菩薩像は、文官の服装をしていて三目であり、

右手に黄金の山型の持物があるのが特徴。

明代の伽藍神像の貴重な作例として、

学術的価値が高いそうです。

 

 

その右側には鐘楼。

少し離れてから撮った写真です。

 

 

説明書きがありました。

 

 

 

鐘楼の右後ろには聯灯堂(れんとうどう)。

過去七佛より西天東土の歴代祖師、

黄檗宗派の僧侶を祀っています。

 

 

これで主要な伽藍のご紹介はおしまい。

最後に、萬福寺と言えば有名なのが普茶料理。

 

隠元禅師が中国から伝えた精進料理で、

「普茶」とは「普く(あまねく)大衆と茶を供にする」

という意味を示すところから生まれた言葉です。

 

 

今回はいただく機会がありませんでしたので、

写真を拝借しましたが、

左上の小皿に大好きな茶団子も乗っていました。


席に上下の隔たりなく一卓に四人が座して、

和気藹藹のうちに料理を残さず食するのが普茶の作法です。

 

これで萬福寺の散策はおしまい。

のんびり散策していたので1時間かかりました。

でも、平等院周辺と違って、

静かで、とても落ち着いて過ごすことができました。

 

 

さすがに私の足も棒のようになってしまったので、

帰りは電車ではなく、タクシーを呼ぶ予定でした。

 

実は、萬福寺に着いた時に、

門の前にタクシーが1台待機していたので、

あのタクシーが帰りまでいたらいいなあと思っていたら、

本当にまだ待機していたので乗ることにしました。

 

宇治橋を渡った所、大鳥居の近く、

宇治橋商店街の入口までお願いしました。

 

このタクシーに初乗り運賃はなく、

1km500円と書いてあり、距離が全くわからなかったので、

ちょっと不安もありましたが、

運転手さんは渋滞していた宇治橋の上で

メーターを止めて下さって1,200円でした。

意外と安くてびっくりしました。

 

次回は、宇治の最終回です。

 

(つづく)