2024年4月13日(土)、宇治の旅の続きです。

 

宇治に来た時はJR宇治駅で下車しましたが、

今度は京阪宇治駅に向かいました。

 

 

 

次の目的地は黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)。

位置関係は下の地図でご確認下さい。

 

 

京阪電車に乗るのは初めてです。

12:42京阪宇治駅始発の電車に乗りました。

 

 

黄檗駅までは2駅4分間の乗車でした。

黄檗駅は小さな無人駅で、駅前で次はどっちかなと迷っていると、

通りがかりの若い男性が声を掛けて下さって、

萬福寺までの道を教えて下さいました。

 

 

静かな住宅街を歩きます。

 

 

途中、「干支の寺」がありました。

正式には宝善院といい、萬福寺の塔頭寺院。

境内には、干支の守本尊である八体の佛様が安置されていて、

参られた方の一生一代の安寧を護持いただけると伝わっています。

 

 

京阪黄檗駅から徒歩10分ほどで萬福寺総門に到着。

中央の屋根を高くし、

左右を一段低くした中国門の牌楼(ぱいろう)式を用い、

漢門とも呼ばれました。

 

 

日本でいう「禅宗」は、

臨済宗・曹洞宗・黄檗宗の三宗に分類されています。


萬福寺の建造物は、

中国明朝様式を取り入れた伽藍配置。

創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は

日本では他に例が無く、

代表的禅宗伽藍建築群として、

主要建物23棟、回廊、額などが

国の重要文化財に指定されています。

 

 

萬福寺は私の大好きな七堂伽藍のお寺で、

しかも中国風・・・とても懐かしかったです。

こんもりした木に次の建物が隠れていますが・・・。

 

境内の参道には正方形の平石を菱形に敷き、

両側を石條(せきじょう)で挟んでいます。

 

 

これは龍の背の鱗をモチーフ化したもので、

中国では龍文は天子・皇帝の位を表すため、

黄檗山では菱形の石の上に立てるのは住持のみです。

 

一般の方はこの話を知らなかったことにして、

どうぞ真ん中をお歩き下さいということでしたが、

訪れる前に知ってしまったので、

私たちは端を歩いて散策しました。

 

次に見えて来たのが三門です。

三間三戸、重層の楼門造りで、

左右に裳階(もこし)、山廊があります。

正面の額「黄檗山」・「萬福寺」は、

この寺を開創した隠元禅師の書です。

ここで拝観料を払います。

 

 

境内が広いので、

真ん中に建つ主要な建物を眺めつつ、

行きは左側の建物、帰りは右側の建物を見学しました。

 

三門をくぐってすぐ左に曲がると、

開山堂の正門、通玄門という朱色の門があります。

この門は重要な結界の一つなので、円柱となっています。

奥深く玄妙なる真理=仏祖の位に通達する門。

 

 

門をくぐると氷裂文の石畳(同じ形の石は全くない)、

白壁・卍の勾欄・白砂などが目前に広がり、

真正面に開山堂があります。

 


ここに黄檗開山・隠元禅師をお祀りしてあります。

写真はHPから拝借しました。

1663年造立、木造、像高161.7cm。

実物の毛髪・髭が植えられ、

しわなども克明に彫られて、写実的な像です。

禅師の生前に師の古希を祝して造られた寿像です。

 

 

開山堂の左手にあるのが非公開の松隠堂。

隠元禅師が1664年に萬福寺の住職を退いたのち居住した所。

 

 

真ん中の参道に戻り、次に見えて来たのが天王殿。

 

 

萬福寺の玄関として天王殿が設けられています。
中国では一般的な建て方で、

四天王と弥勒菩薩と韋駄天を同様に祀ります。

 

 

×型の組子を入れた匂欄は、日本では特異なたすき匂欄で、

中国で使用されているデザインです。

 

 

弥勒菩薩(布袋)坐像は1663年の造立、木造、像高110.3cm。

布袋(ほてい)は弥勒菩薩の化身といわれています。

中国のお寺では、まず布袋様にお参りして、

あの大きなお腹で人間の三毒を取り払ってもらってから、

ご本尊のお釈迦様にあいさつに行くことになっています。

 

 

三毒は、人々が日常生活で直面する多くの問題や困難、

対人関係のトラブルの根底にあるとされています。 

「貪(とん)」は過度な欲望や執着を、

「瞋(しん)」は怒りや憎しみを、

「痴(ち)」は無知や誤解を引き起こします。

 

中国のお友達は、

この仏像を「笑面佛」と呼ぶんだよと教えてくれました。

あの大きなお腹に悪いことを全部しまいこんで、

顔はいつもニコニコ笑っていなさい・・・ということかな。

 

弥勒菩薩像の左右には四天王像。

 

広目天

 

多聞天

 

持国天

 

増長天

 

足が速い韋駄天像は、

日本では食事の場所、庫裡等に安置されていますが、

中国のお寺では、弥勒菩薩像の裏側に

必ず韋駄天像が安置されています。

 

 

韋駄天の目線の先、本堂にいらっしゃるお釈迦様に

何かあった時には、すぐに駆けつけられるように、

向かい合わせの位置に安置されているのです。

 

 

続いて、天王殿の左手へ進むと、

小さなお庭が見えて来ました。

 

 

この球体は何を表しているのでしょう?

 

 

廻廊を進むと合山鐘(がっさんしょう)がありました。

 

 

反対側から見ると・・・。

柱に「祈りの鐘」と書いてありました。

 

 

廻廊の先はこうなっています。

 

 

廻廊の途中、少し高い所には寿塔があります。

1663年に建立された本瓦葺きの六角堂で、

隠元禅師の生前に築造された墳墓。

 

 

次は祖師堂。

 

 

1669年に建立。

中国禅宗の祖である達磨大師坐像と、

開山隠元禅師からの歴代管長の位牌を安置しています。

 

 

達摩大師坐像は1663年に造立、木造、像高166.5cm。

もともとは体全体に金色が施されていたようですが、

現在は下地の朱漆色が目立っています。

前歯が2本に表現されているのが特徴。

 

 

大きなお寺なので、前半はここまで。

 

(つづく)