2024年4月13日(土)、宇治の旅の続きです。

JR宇治駅から徒歩10分ほどで平等院に到着しました。

表門から入り、拝観料700円を払います。

 

 

 

こちらが境内図です。

表門からまっすぐ進むと、

トイレの隣に鳳凰堂拝観受付があり、

すでに長い列ができていて、

私たちも最後尾に並びました。

 

 

ここで内部拝観券を買って(300円)、拝観予約をしますが、

受付開始が9:00~なので、長い列ができていたのです。

 

本当は一番早い9:30~を希望していましたが、

すでに50名の定員に達しているということだったので、

次の9:50~の拝観券を購入することになりました。

 

私は御朱印も欲しかったので、

お友達の言葉に甘えて、拝観券の購入は友達に任せて、

境内図左下にある集印所へ先に向かいました。

 

途中、鳳凰堂の前を通ったので、

いろんな角度から写真を撮ってみました。

 

 

平等院は平安時代後期、1052年に宇治関白・藤原頼通が、

父・道長の別荘を寺院に改めたものです。

 

 

鳳凰堂は、その翌年に阿弥陀堂として建てられました。

 

 

最も大きな特徴は、

池の中島に建てられていることです。

 

 

 

正面から見た姿が、

翼を広げた鳥のように見えることと、

屋根の上に一対の鳳凰が据えられていることから、

江戸時代初め頃より「鳳凰堂」と呼ばれるようになりました。

 

 

 

鳳凰堂は東方に面して建てられ、

阿字池を隔てて西方に極楽浄土があることを示しています。

 

 

極楽浄土の宮殿をモデルにした鳳凰堂は、

中堂、左右の翼廊、背後の尾廊からなる、

他に例を見ない建物です。

 

 

平等院庭園は、

平安時代を代表する浄土庭園の様式。

 

 

鳳凰堂や阿字池、

宇治川や対岸の山々が一体となって形成され、

当時の貴族たちが求めた

極楽浄土の光景を再現しています。

 

 

平安時代に完成した最古の浄土庭園であることから、

国の史跡・名勝に指定されています。

 

 

 

御朱印も9:00~受付開始だったので、

集印所に行くと、10人くらいの方が並んでいました。

着いてまもなく受付開始となり、

窓口が5ヶ所ほどあったので、

案外早くに順番が回って来ました。

 

 

御朱印を受け取って振り返ると、

ちょうどお友達も集印所の前にやって来て合流。

こちらは六角堂。

 

 

宇治は何度か訪れていますが、

平等院に来たのは40年ぶりくらい。

続いては、当時はなかった

平等院ミュージアム「鳳翔館」に行きました。

 

 

中は撮影禁止です。

やはり目を引いたのは平安時代に造られた

国宝の初代鳳凰一対でした。

写真はHPから借用しました。

現在、屋根の上に据えられているのは2代目です。

 

 

ミュージアムのほとんどが地下にありますが、

最後に売店から出ると、そこは小高い丘の上で、

目の前には鐘楼がありました。

 

 

 

今度は鳳凰堂の裏手に行きます。

 

 

 

こちらは平等院の塔頭(塔頭)の浄土院。

15世紀後半に、平等院の修復のために開創されました。

 

 

 

羅漢堂

 

 

 

 

不動堂

 

 

池殿地蔵尊

 

 

源頼政公の墓

 

 

 

平等院の塔頭の最勝院(天台宗)。

 

 

ぐるっと一周すると、ちょうど内部拝観の時間になりました。

 

 

こちらの橋を渡って行きますが、

靴を脱いだり、歩いたりするときも、

橋の欄干や建物の柱、戸などに触れてはいけないので、

ふらつかないように、かなり気を遣いました。

 

 

こちらも撮影はできませんので、

写真をHPから拝借します。

 

中堂に安置されているのは、

仏師・定朝(じょうちょう)作の阿弥陀如来坐像。(国宝)

二重の天蓋や雲中供養菩薩像、壁扉絵も国宝です。

 

 

私はこの阿弥陀様の目の前で、

ガイドさんの説明を(約10分)を聴いていました。

 

これで平等院の散策はおしまい。

門の方へ向かいました。

 

奥の建物が観音堂(重要文化財)。

 

 

藤の花も咲き始めていました。

 

 

こちらは「扇の芝」。

 

 

平家打倒を掲げた源頼政は、

宇治川で平家軍に追撃され、平等院で自刃しました。

最期を迎えるにあたり、

軍扇を広げて、辞世の句を詠み、

西に向かい「南無阿弥陀仏」と唱えたそうです。

 

 埋もれ木の 花咲くこともなかりしに

      身のなる果てぞ 悲しかりける

 

 

正門(表門)を出ました。

 

(つづく)