2024年3月31日(日)、大野の旅の続きです。

初めての大野旅だったので、

観光案内を見て、二つのお寺を訪ねることにしました。

 

まずは、市街地から南へ10分ほど車を走らせ、

「黒谷観音」として知られる佛性寺へ向かいました。

 

 

歩いて本堂へ向かう方は、

正面奥の「黒谷観音南登口」から石段を上って行くようです。

 

 

車はもう少し先の駐車場まで進めます。

車を下りて坂道をしばらく歩きますが、

途中、左手に「八十八ヵ所霊場順遍路」の石碑がありました。

 

 

寺の裏山に、200年前から続く

四国88ヶ所の巡礼所が設置されているそうです。
 

 

HPから写真を拝借しました。

今回は時間がなくて回ることはできませんでした。

 

 

先を進むと、左手に小さな十三重の石塔と観音様かな?

 

 

反対の右手には「桜公園」と書いてありますが、

桜の開花はまだまだ先という感じでした。

 

 

そして、坂を上ったところで本堂が見えて来ました。

 

 

佛性寺は、807年、平城天皇の夢のお告げにより

京都黒谷から当地へ移転され、
大野藩主をはじめ、庶民の厚い信仰を受けてきました。

 

 

寺の縁起には、ご本尊の十一面観音は、
京都清水寺本尊の十一面千手観音、

奈良橘寺の如意輪観音と同木で制作されたとの記述があるそうです。

 

 

このご本尊は、33年に一度だけ開帳されるという秘仏です。

 

 

誰もいなくて静かな境内に見えますが、

実は、本堂の前には軽トラックが数台駐車していて、

20人くらいの地元の方が集まっていて賑やかでした。

これから清掃や行事の準備でもするような感じでしたね。

 

 

先ほどの登口から入った方は、

この急な石段を上って来られるのだと思います。

 

 

あまりに人が多かったので、

御朱印もいただかずに戻ることにしました。

 

 

続いて、さらに南の山奥へ20分ほど車を走らせます。

 

 

こちらの道路標識もそうですが、

お寺のために造られたような立派な道路でした。


 

このまま車で林の中に入って行きそうになりましたが、

ここで車を停めて、林の中をしばらく歩きます。

 

 

傍らには宝慶寺(ほうきょうじ)と書かれた石碑がありました。

 

 

林の中に六地蔵さんがおられました。

 

 

こちらは境内の別の場所で撮った写真ですが、

形は違いますが、どちらも雪除けのためでしょうか、

石像等はしっかりとした覆いの中にいらっしゃいました。

 

 

ようやくお寺の門が見えて来ました。

 

 

こちらは総門。

切妻、桟瓦葺き、一間一戸、四脚門、

中央には「薦福山」の山号額が掲げられています。

 

 

総門の右側には、

宝慶寺を開山した寂円禅師の石碑があります。

 

 

山門に向かって石段を歩いていると、

門の辺りから「おはようございます」と声を掛けられました。

住職さんなのかは不明でしたが、お若い方でした。

 

 

この参道の脇には牛犬堂があり、

私も拝見するのを楽しみにしていたのですが、

まだ雪囲いがしてありました。

ここだけでなく、お寺の主要な建物には雪囲いがしてあり、

4月に入ると外されるということでした。

 

 

折角なので、Webから写真を拝借しました。

寂円禅師がいつものように岩の上で瞑想に没頭していた時、

突然犬と牛が彼の前に現れました。

犬は危害を加えようとする獣を追い払い、

牛は禅師が托鉢に出かけられると、頭陀袋を掛けてお供しました。

禅師が亡くなると、動物たちもすぐに亡くなったので、

開山の塔の傍らに葬り、塚をこしらえたということです。

 

 

山門の目の前までやって来ましたが、

こちらも雪囲いがしてあり、扁額が見えませんでした。

入母屋、本瓦葺き、一間一戸、四脚楼門、袖廊付、

上層部には高欄が廻り、

「日本曹洞第二道場」の扁額が掲げられています。

 

 

こちらもWebより写真を拝借しました。

 

 

こちらの狛犬さんです。

 

 

足元に子どもがくっついていますよ。

 

 

山門をくぐると目の前には本堂があり、

先ほどのお寺の方が私たちのために戸を開けて下さいました。

本堂は木造平屋建て、入母屋、本瓦葺き、桁行7間。

中央には「宝慶寺」の寺号額、内陣には須弥壇が設けられており、

本尊である釈迦三尊像が安置されています。

 

 

参拝後、右手にある庫裡へ御朱印をいただきに行くと、

先ほどの方が書いて下さって、

書き終わった後に、お寺の開山までのお話や、

御朱印に書かれた「孤坐渕黙」の意味を丁寧に教えて下さいました。

 

寂円禅師の生き方を表した言葉で、

一人ただひたすら座禅をして世の中や人々に心を寄せる・・・

というようなことだったかと思います。

 

また、どこから来られたかと聞かれたり、

ここは例年3~4mの積雪があり、

今頃はまだ1mほどは残雪があるのだけど、

この冬は雪が1~2mしか積もらなかったから楽でした・・・

というような世間話もしました。

 

 

宝慶寺は、鬱蒼と茂る杉木立に囲まれた曹洞宗の古刹。

弘長元年(1261年)、日本の曹洞宗の開祖であり、

永平寺を開山した道元禅師を慕って、

中国宋朝より来日した高僧・寂円禅師によって

道元の寂滅後に開山されました。

 

宝慶寺は曹洞宗の「第二道場」、

また、永平寺の奥の院とも言われています。

 

本堂の左手にあるのが僧堂だと思います。

こちらで座禅体験などもできるようです。

 

 

総門の右手には、重要文化財の旧橋本家住宅があります。

こちらも雪囲いがしてありましたが、

毎年、4月中旬~11月初旬に一般公開(無料)されるようです。

毎日公開しているわけではないので、

行かれる方は調べて下さいね。

江戸時代中期、18世紀頃の建物です。

 

 

そして、最後に2021年4月にオープンした

道の駅「越前おおの荒島の郷」に行く予定でしたが、

ギリギリのところで「猫島」のことを思い出し、

場所が近くだったので、早速行って見ることにしました。

 

猫島と言っても、ニャンコがいるわけではなく、

経ケ岳の噴火時に飛んできたとされる「山伏岩」は、

周囲が林で覆われていて、

この林がまるで猫の顔のような形に見えることから

地元の人々からは「猫島」という愛称で呼ばれているというわけ。

 

パンフレットに下の写真が載っていたので、

撮影した場所を必死に探しましたよ。

決め手は後ろの山の形です。

 

 

でも、上の写真は前が水田、田植えの時期かな?

林も緑が鮮やかで、木々がこんもりしているけど、

私たちが行った時は、やっと冬が終わったところだから・・・。

 

近くで撮影するとこんな所です。

真ん中に岩のようなものが見えます。

木に葉っぱが付いていません!

 

 

ということで、「猫」を探してみましたが、

こういう写真が限界でした。

 

 

かろうじて、猫の耳が出ているから、それらしく見える?

 

 

最後に大きくて、きれいな道の駅へ行って、

たくさん買い物してきました。

 

 

帰りも飛ばして、12:00頃に帰宅し、

兄は13:00すぎに和歌山へ帰って行きました。

 

(おわり)