2023年10月27日(金)の京都の旅の続きです。

木津駅で陶芸家のお友達と再会し、

お母様の運転する車で向かったのは海住山寺。

木津川市加茂町の山の中にある小さなお寺です。

 

 

木津川市と言えば、2018年5月に浄瑠璃寺と岩船寺に行きました。

位置的には上の地図のような感じです。

 

そして、どこをどう間違えてしまったのか、

前回ご報告した行き止まりの場所は、緑の星マークの所かな。

近くに神社があるので、そこの鳥居が立っていたのでしょう。

 

 

さて、再びナビと案内看板を頼りに海住山寺に向かいました。

お寺の名前は「かいじゅうせんじ」と読みます。

あと800m、この辺りから道が狭くなり、

ヘアピンカーブも何ヶ所かありました。

 

 

 

見えて来たのは楼門。

 

 

 

境内図はこちら。

 

 

楼門から更にしばらく行くと駐車場が見えて来ます。

こんな山奥のお寺にはあまり観光客も来ないのでは・・・

と思っていましたが、意外と車がたくさん停まっていました。

でも、軽トラックも2台ほどあったし、

これは観光客ではないなとすぐにわかりました。

 

 

早速境内へ足を踏み入れます。

最初に見えて来たのは鐘楼と修行大師像。

 

 

 

そして、その先に見えて来たのが五重塔。

 

 

私がここに来たいと思ったのは、

この国宝の五重塔を見るためでした。

 

 

この五重塔は、鎌倉時代の貴重な遺構であり、

総高17.7mと、室生寺に次いで小さいそうです。

貞慶が舎利を安置するために建立を始め、

その没後、建保2年(1214年)に完成しました。

 

 

この塔の特徴は、初層の屋根の下に

裳階(もこし)と呼ぶ庇(ひさし)を設けた点です。

裳階をもつ五重塔としては法隆寺五重塔の例はありますが、

現存する平安 - 鎌倉時代の五重塔では海住山寺塔のみだそうです。

それと、心柱が初層で止められているという点です。
 

 

また、内陣を厨子(ずし)風に造り、8枚の扉に一体ずつ、

華麗な彩色で梵天・帝釈天などの天部や比丘像が描かれています。

 

実は、この日の翌日からこの五重塔の内陣や

秘仏の特別公開が始まりました。

なので、この日はその準備のために地元の方が集まり、

境内の清掃などをされていて賑やかでした。

 

五重塔の後ろの小高い所には三社明神。

天満宮・春日社・稲荷社の三社。

 

 

続いて本堂へ。

加茂盆地の北、瓶原(みかのはら)を見下ろす

三上山(海住山)中腹にある海住山寺は、

天平7年(735年)、聖武天皇の勅願により、

東大寺の良弁僧正が開創したと伝えられています。

 

 

寺の縁起では、寺院建立の折、

地面より湧出した十一面観音菩薩を本尊とし、

当初は観音寺と呼ばれたと云います。

海住山寺の名は、鎌倉時代に寺院を再興した貞慶が、

観音霊場に因んで名づけたものです。

 

 

中は撮影禁止となっていますので、写真は拝借しました。

ご本尊の木造十一面観音菩薩立像です。

平安時代の作で、国の重要文化財に指定されています。

 

 

私たち三人が一番長く観察していたのは仏像でもなく、

国宝の五重塔でもなく、こちらの狛犬さんでした。

 

まずは左側の狛犬さん。

お座りしている狛犬さんが多い中、立っています。

 

 

おちんちんもちゃんと付いていますから雄です。

 

 

 

この狛犬さんはお金を抱えています。

 

 

右側の狛犬さんです。

 

 

両方の狛犬さんとも、開いた口の中に球が入っています。

 

 

最初はよくわからなかったのですが、

中央より少し右上に目があって、左の方には丸まった尻尾も。

子犬がお母さんの首元の鈴を噛んでいるのかなあ?

 

 

ということで、「阿吽」一対の狛犬さんが多いと思いますが、

こちらの狛犬さんはオス・メス一対でした。

 

折角なので、境内を隅々まで散策します。

重要文化財の文殊堂。

 

 

文殊堂の左にある小さなお社の中には「何くそやる気地蔵」。

「何くそ何くそと祈る」と書いてあります。

 

 

こちらは「願いを叶えるなすのこしかけ」。

説明書きにはこう書いてありました。

 

 

茄子の花は一つの無駄も無く実を結び

また「成す」と語呂が同じところから、

努力は報われ願いは叶えられるという

縁起を含んでいます。

願いをこめてお座りいただき、

一心にご祈念下さい。

また、二人でお座りになり深く縁を結び、

一人で腰掛けて良縁成就を祈願下さい。

 

 

こちらは「もち上げ大師」。

うんと頑張って持ち上げ願をかける、無理のないように・・・。

お母様と私は持ち上がりましたよ。

 

 

その隣には輪廻塔があります。

お寺によって解釈は違うかと思いますが、

石柱にはめ込まれている車輪状の石(輪廻車)を回すと、

諸々の苦悩を抜け出すことができるとか、

極楽浄土へ行けるなどと言われています。

 

 

こちらは「苦ぬき」観音と「苦ぬき」地蔵。

 

 

岩風呂

 

 

ここで再度境内図を見ておきましょう。

 

 

パンフレットにも写真が載っていましたが、

境内から周囲の景色が一望できるとのことでしたけど、

境内を歩いていても、景色が見えそうな所がなく、

お掃除をされていた地元の方に尋ねてみると、

本堂の右奥からのびる道を上って高台に行くと

景色が見渡せると教えて下さったので、早速行ってみました。

 

 

道の途中にあったのは納骨堂。

 

 

日当たりのよい所は色付いて来ていました。

 

 

あと一息。

 

 

奥に行けば見えそうです。

 

 

ちょっと天気が良すぎて霞んでいました。

 

 

  みかの原 わきて流るる いづみ川

         いつ見きとてか 恋しかるらむ

 

 

この百人一首の歌で知られる瓶原(みかのはら)は、

この辺りのことでしょうかね。

 

 

 

これで海住山寺の散策を終えて帰ろうと、

地元の方々にもご挨拶をしていたら、

「この先に立派なお墓があるから見ておいで」

と熱くオススメされたので、行ってみることにしました。

 

途中、右手に見えたのが薬師堂(開山堂)。

 

 

解脱上人御廟の案内板があります。

 

 

おじさんの話では意外と近そうな感じだったけど・・・。

 

 

狭い道や木の根道を数百mは歩いたでしょうか。

 

 

ようやく御廟に到着しました。

右側の少し大きなお墓が解脱上人御廟です。

海住山寺の中興、貞慶は解脱上人とも称する

平安時代末期から鎌倉時代初期の僧。

もとは興福寺に属していましたが、その後南山城の笠置寺に移り、

晩年、59歳で没するまでの5年ほどをこの地で過ごしました。

 

 

左側は、瓶原大井手用水開削の祖・慈心上人(覚真)のお墓。

 

 

私たち三人とも、正直、健康とは言えない体なので、

最後のこの散策でちょっと疲れてしまい、

お寺の境内手前まで戻ってきた所で一休み。

ここから見る五重塔もなかなかよかったです。

 

 

境内図右側には本坊や庭園、奥の院などがありましたが、

こちらは立ち入り禁止で入ることはできませんでした。

 

 

これで海住山寺の散策はおしまい。

こうやって見ると、やはりこちらの五重塔は小さいですね。

 

 

(つづく)