2022年12月3日(土)の高岡の旅の続きです。

 

前回は総門、山門、大庫裏、鐘楼、禅堂まで紹介したので、

続いて仏殿へご案内します。

 

 

正面に見えているのが仏殿(国宝)です。

1659年(万治2年)に建立。

 

 

入母屋造、一重裳階(もこし)付きの総檜(ひのき)造りで、

屋根は当初は杮(こけら)葺きでしたが、

現状は総重量約47トンの鉛瓦葺きとなっています。

 

 

鉛板で葺かれた屋根は、全国的に見ても金沢市にある

金沢城の石川門と瑞龍寺の仏殿だけだそうです。

 

 

鉛製の瓦を用いる理由は、

俗説では非常時に鉄砲の弾にするためとも言われますが、

実際は冬季の積雪対策のようです。

 

 

堂内は、高い天井に真っ直ぐ伸びた柱、

天井には優雅な曲線をもつエビ虹梁などがあります。

また、床一面の戸室石の四半敷き、

須弥壇や木階の精巧な細工なども見ものです。

 

内部を土間床とし、天井の構造材を見せて装飾としている点、

組物(柱上にあり、軒や天井を支える構造材)を密に配する点などは

禅宗様建築の特色です。

 


仏像は、約300年前に中国から伝来したもので、

本尊の釈迦如来、脇仏の文殊菩薩・普賢菩薩の

釈迦三尊などが安置されています。

 

天蓋も当時のもので、

蓮の繊維と絹で織られたものと言われています。

天蓋内側には彩色された木彫「飛天」があり、

天女2体が鮮やかな衣をまとって空を舞っているそうです。

 

 

仏殿の後ろに見えて来たのが法堂(はっとう)で、国宝です。

1655年(明暦元年)の建立。

 

 

総桧造りの入母屋造、銅板葺き。

正面中央が軒唐破風となっています。

 

 

瑞龍寺の伽藍の中では最も大きな建物(建坪186坪)。

 

 

内部を土間床とする仏殿に対し、法堂は畳敷きで、

横2列、縦3列の6部屋を配する方丈形式の間取りです。

 

 

手前の3部屋の前面には広縁(板間)があり、

その前面は左右に細長い土間廊下。

こうした平面形式は曹洞宗建築の特色を示しています。

写真がぼけてしまいました。

 

 

中央奥に仏壇と大間のある内陣があり、

左側には書院・上段の間があります。

 

 

内陣の襖およぴ壁は、金箔押しとなっていて、

二代藩主・前田利長の位牌を建物中央奥に安置しています。

 

 

中央部の2室の天井は格子天井になっていて、

狩野安信による草花の絵が描かれています。

こちらの写真はHPより拝借しました。

 

 

法堂には東司の守護神(トイレの神様)、

烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)が祀られています。

本来は東司に祀られていましたが、

250年前に東司を火事で消失したため、今は法堂に・・・。

衣には極彩色が残っています。

 

 

こちらは法堂の右手にある大茶堂(重要文化財)の入口部分。

防火建造物である土蔵造りの手法を用い、外壁を大壁とし、

内部は土天井とするなど大変珍しいもので、

伽藍への類焼を防ぐ防火壁の役目をなす建物となっていました。

土間には、賓頭盧尊者(おびんずる様)が安置されています。

 

 

瑞龍寺の大茶堂は、瑞龍寺創建時に造られた建物。

住職の接賓、行事の打合せ、門徒への法儀に使用されます。

昭和初期に内部を仕切り、接客用の書院が造られましたが、

近年の大修復で創建当初の姿に復元されました。

写真は拝借しました。

 

 

こちらは前田家と織田家の石廟。

向かって右から前田利長・前田利家・織田信長・側室正覚院・

織田信忠の順。写真は拝借しました。

 

 

壮大な伽藍配置様式、美しくて立派な建物、

山門から法堂にかけては、加賀藩の許可なしには使えなかった

戸室石(とむろいし)が要所に配置されていて、

加賀藩にとって瑞龍寺がいかに大切な場所だったかがわかります。

加賀藩百二十万石の財力を如実に示す建造物と言えます。

 

 

瑞龍寺は私好みの深い森や巨木に囲まれた寺院ではありませんが、

やはり仏殿を囲むように左右対称に造られた回廊、

禅寺特有の七堂伽藍が本当に美しく、

さすが国宝に指定されるだけあって、見応えがある境内でした。

 

 

こちらが瑞龍寺のカラフルな御朱印です。

 

 

私たち2人とも血糖値が高いので買いませんでしたが、

入口受付近くの麒麟茶屋では、麒麟焼きなるものが売られていて、

大納言あずきが食べてみたかったなあと看板を見ていました。

 

 

今回は総門のすぐ横の駐車場に停めることができ、

こちらの稲荷大明神・金比羅大権現の前を通りました。

 

 

それから、前田利長公の墓所と菩提寺だった瑞龍寺を

東西に結ぶ参道があり、約八町(870m)あることから

「八丁道」と呼ばれています。
沿道には、石燈籠が並び、松並木と白い石畳が続きます。

写真は拝借しました。

 

 

瑞龍寺の散策を終えたら時刻は12:20。

車で15分移動して最後に立ち寄ったのは道の駅。

瑞龍寺から、まっすぐ西へ移動した所にあります。

 

 

こちらの道の駅・万葉の里高岡は前年にも友達と来たばかり。

私が大好きなコロッケソースなどの買い物をしている間、

兄はこちらのコーナーで長い間おみやげ探しをしていたようです。

 

 

この後、当初の計画では小矢部や津幡町に寄りながら、

金沢へ向かう予定だったのですが、

時間も早かったことから、急きょ兄の買い物に付き合うため、

車で45分かけて能登半島の中ほどにある中能登町へ移動。

paypayで支払うと20%ポイント還元されるという情報を得たようで、

スーパー、ドラッグストア、GS、道の駅などで買い物しました。

 

 

正直、朝から歩き通しで、持病の腰痛がMAX状態。

買い物に付き合うのが一番しんどかったのですが、

そんな痛みを吹き飛ばしてくれるほどの青空の下のドライブと

素敵な寺社散策はとても楽しかったです。

 

まさか12月にこんな旅ができるとは思ってもみませんでした。

兄は翌日朝、少し買い物をしてから帰りましたが、

翌日も朝から土砂降りで、12/3だけが奇跡の晴天でした!

 

(おわり)