2022年12月3日(土)の高岡の旅の続きです。
2022年12月に建物の一部が国宝指定された勝興寺。
今度は境内図の右半分をご紹介します。
前回は工事中で全く見られなかった部分です。
まずは本堂から見た境内の様子です。
これから向かう本坊(僧の住居)へ続く渡り廊下。
本坊と本堂を結ぶ廊下は3本もあります。
境内図を逆さまに見ていただくとわかりやすいのですが、
右奥に唐門、真ん中に「実ならずの銀杏」、その奥に鼓堂と総門、
その手前に手水舎、左端が宝蔵です。
こちらが宝蔵、奥に鼓堂も見えています。
宝蔵は江戸時代末期の建立で、重要文化財に指定されています。
梁間5.4m、桁行7.2mの2階建ての土蔵。
壁は、下部の腰壁を海鼠壁、上部は漆喰塗りとしています。
土蔵造では珍しい入母屋の置き屋根。
宝蔵の左側、本坊の入口の門が式台門(重要文化財)。
1775年(安永4年)に建立。
間口3.4mの薬医門で、木柄が太く、親柱の見付が60cm、
両端柱が50cm角のケヤキ材。
屋根は柿葺(こけらぶき)に復元されました。
天皇ご参拝の時のみ専用に使用する門です。
こちらが国宝に指定された「大広間及び式台」がある本坊。
国宝指定の理由として、勝興寺の発展に伴って、
拡張整備が行われた過程を色濃く残していることが評価されました。
本坊は、近世に建立された住宅建築様式の「書院造」。
本坊は、正面に大広間と式台を置き、
大広間の後方に書院と奥書院を、式台後方には台所を、
書院造の典型例である雁行状に配置しています。
それでは、早速中へ入りましょう。
いきなりピンボケしてしまいましたが、
奥までずっと部屋が続き、まず広さに圧倒されました。
まずは式台と言われる部分です。
大広間に向かって右側に連なる部分を「式台」といい、
勝興寺では単なる玄関だけでなく、
客の控えの間を含む空間です。
式台は、本堂建て替え前の18世紀後半の建立と考えられています。
式台は「鉄砲の間」とも言われ、
武家殿舎における遠侍(外来客の家来の控所)に対応する
性格を持つ建物として評価されます。
大広間には、格式の高い浄土真宗の対面所があります。
現在、大広間の畳が敷かれている部分はかつては2列でしたが、
門徒の増加と寺院規模の拡大により、
後になって広間は3列に整備されました。
大広間は128畳敷きで、奥の床の間に向かって
奥行きの深い構成で、「対面所」とも呼ばれています。
鮮やかな桐と菊が配置された襖(ふすま)は、
もともとあった襖紙を外したところ、
数枚下にあった襖紙がこの色柄だったことから再現されたものです。
大広間は、勝興寺に現存する最古の建物で、
1692年(元禄5年)の建立とされています。
部屋の構成は、多くの人が集まって儀式や会合を行う「広間」、
住職が来客を迎える「対面所」、それと「畳廊下」からなります。
望遠で何とか撮れましたが、
対面所には「上段の間」が設けられています。
御簾の奥に蝋人形が座っているように見えますが・・・。
極めて木太く、均整のとれた大規模な建物であり、
二列の床構えを持ち、上段を構えるなど格式が高い。
わかりやすい写真を拝借しました。
左奥が上段の間です。
こちらは「梅鉢紋蒔絵女乗物」です。
1761年(宝暦11年)、加賀藩6代藩主・前田吉徳の十男
時次郎(前田治脩=はるなが、加賀藩11代藩主)が、
勝興寺の住職として入寺の際に使用した大名駕籠(女乗り物)。
籠の外側面は、全面黒漆地に金高蒔絵の梅鉢紋と、
切金や金平蒔絵の唐草文で飾られ、内部は金紙を貼り巡らせ、
その上に極彩色で雪中松に鶴、牡丹花に鶴など、
吉祥絵が描かれています。
同種のものが石川県立美術館にも所蔵されています。
台所にやって来ました。
勝興寺では最も新しい1863年(文久3年)の建立。
梁間27m、桁行15.3mと大規模で、
西側は大土間、東側は大板床で多数の釜戸があり、
上部は豪快な梁組です。
井戸が床上に設けられるのは非常に珍しいとのこと。
寺で炊事や事務を行う建物を「庫裏」と呼ぶことが多いのですが、
勝興寺の台所は炊事・調理専門の建物です。
台所から書院へ向かう廊下。
書院の中庭かな・・・。
境内図と合わせて見て下さい。
右端に見えている建物が御内仏で、1688年(天保元年)建立。
寺族専用の仏壇が安置されています。(重要文化財)
その奥に見えている小さな建物が御霊屋(重要文化財)で、
1810年(文化7年)に建立され、第11代加賀藩主・前田治脩、
12代藩主・前田斉広の霊を祀る祠堂です。
洛中洛外図屏風(複製)
京都と祇園会の様子を描いた六曲一双の屏風。
重要文化財に指定されています。
1671年(寛文11年)建立。
勝興寺では大広間に次いで古い建物。
書院は「松の間」とも呼ばれ、松の障壁画が描かれています。
寺役人(家老)の外来上客との応接間と思われます。
書院の2枚の写真は拝借しました。
奥書院は「金の間」とも呼ばれ、金の壁紙で仕上げています。
住職の大切なお客を招く住職専用の格式高い書院と思われます。
技術の粋を凝らした引手金具や釘隠しも必見です。
この部屋は天井が低くなっているので「落ち天井の間」かな?
これで勝興寺の見学は終了。
最後に受付で御朱印を受け取って来ましたが、
よく見ると、勝興寺の角印が横になっています。
わざとそうしているのかなあとウェブで他の方のを見てみると、
他のはちゃんと正しい方向で押されていたので、
これはただの失敗?
こういうのも珍しいと思いますのでラッキーと思うことにします!
加賀藩とのつながりの深い勝興寺でした。
恐らくガイドさんの説明を聞きながら見学すると、
相当な時間がかかるかと思いますが、
一見の価値ありなお寺だと思います。
(つづく)