2022年12月3日(土)の高岡の旅の続きです。

昨年12月に本堂等が国宝に指定されたばかりの勝興寺。

唐門をくぐって、いよいよ本堂へ。

 

 

勝興寺には”七不思議”があります。

本堂の手前にある石は「天から降った石」と言われています。

 

 

200年ほど前に国分(こくぶ)の浜に、天から落ちてきたと・・・。
夜になると波が当たって泣いているような音がするので、

勝興寺の本堂前に置いたところ、ピタリと音が止んだのだそうです。

そばに置かれた小石で叩くと金属のような音がします。

 

 

この石の後ろ、本堂に近い所にあるのが「実ならずの銀杏」。

この時はすでに葉が落ちて銀杏と気付かなかったのですけど、

本堂から見た写真を拝借して載せておきます。

 

樹齢300年ほどの銀杏の木。

昔、子供が銀杏の実を取ろうとして木から落ちたり、

実の取り合いで喧嘩になったりして、ご住職がお経を唱えたところ、

翌年からぱったり実をつけなくなったのだそうです。

兄に話すと、「雄の木だったんじゃないの?」とあっさり・・・。

 

 

本堂の左側を見てみると、別の大きな銀杏の木がありました。

 

 

國泰寺では、モミジの落ち葉の絨毯が見られましたが、

こちらではイチョウの黄金、いやいや黄色の絨毯がきれいでした。

 

 

銀杏の木の後には鐘楼と経堂が建っています。

 

 

左奥にあるのが鐘楼。

 

 

 

こちらが経堂(重要文化財)です。

1805年(文化2年)に建立された経典を収蔵するお堂。

9.4m四方の宝形造で、高さは15.2mあります。

 

 

平成の修復工事で、桟瓦屋根が創建当初の杉板を積み重ね、

竹の釘で打ち付ける「こけら葺」に葺き替えられました。

 

 

内部にある大形八角輪蔵は、極彩色に彩られています。

また、箪笥式の桐箱が各面に縦9列、横4列の計36個、

全288個の引き出しの中には教典が保管されており、

輪蔵を1回転すれば、

千を超える教典を読んだのと同じ功徳を授かれるそうです。

輪蔵の写真は拝借しました。

 

 

経蔵のお隣にある池は「水の枯れない池」。

勝興寺で火事があった時に、経堂の重層屋根に彫られた龍が、

この池の水を口に含んで火を消したと言われ、

それ以来、この池の水はどんな干ばつの年でも

決して干上がることがないそうです。

 

 

池の奥に建っているのは「越中国府碑」。

境内は、天平~平安時代には令制国の国司が政務を執る

国府が置かれた越中古国府跡。

 

 

石碑の裏には、万葉歌人・大伴家持の歌が原文のまま刻まれています。

大伴家持は、29歳だった746年(天平18年)から5年間、

少納言に出世して帰京するまでこの地に国守として赴任しました。

 

 

さらにその奥には墳墓のようなものがあります。

「納骨堂」と名付けられており、

代々の住職の遺骨が納められています。

 

 

いよいよ本堂へ向かいます。

経堂の辺りから見た本堂の左側面です。

 

 

本堂が「国宝」指定となった理由は、

住職を務めた前田治脩(はるなが)が還俗した際に、

本堂の建て替えを次の住職に依頼して加賀藩から大きな資金援助をし、

当時拡大していた浄土真宗の門徒に対して本願寺から寄進を促したことなど、

さまざまな歴史的背景が評価されたからです。

前田治脩は住職を務めた後に還俗して11代加賀藩主となりました。

 

 

本堂は、1795年(寛政7年)に建立されました。

間口39.3m、奥行き37.4m、高さ23.5mの大型の仏堂で、

国宝・重要文化財の建造物の中で全国8番目の規模を誇り、

地方においては破格の規模となります。

私の第一印象も「本堂が大きい」でしたから・・・。

 

 

一般的な社寺建築は南向きですが、この本堂は東向き。

これは西方浄土の仏教思想によるもので、

浄土真宗の本尊・阿弥陀如来が浄土より民衆を迎える

「来迎」の教えを具現化したものとされ、

そのため、浄土のある西を向いて参拝することになります。 

 

 

本堂内陣は西本願寺以上のきらびやかさで、

金の欄間などの装飾が施され、

格子天井には色鮮やかな菊紋様が描かれています。

 

 

両サイドには大蝋燭(通称:デカロウソク)が安置されています。

浄土真宗の開祖・親鸞の遺徳を偲ぶ

御正忌報恩講(1/16)の法要の目玉が大蝋燭。

 

 

高町と下町の門徒が1年交代でロウソクの寄進を行う慣例から、

その大きさを競ったため毎年巨大化してきたそうですが、

物事には限度が肝心なため、

現在の高さ1.8m(燭台を合わせると3m)で妥協させたそうです。

重量は150kg!

 

 

本願寺の宮大工が建築に関わっていて、装飾彫刻も見応えがあります。

 

 

 

正面中央にある向拝には柱が4本ありますが、

右側中央寄りの柱には複雑な木目模様を呈する箇所があり、

目を凝らすと龍の顔が浮かび上がってきます。

 

 

その少し上には楕円形の埋木があり、

視点を変えると満月にも見えてきます。

更には、龍の右下には杯の形をした埋木が踊ります。

 


 

これらを一連の造作と解釈すると、山号「雲龍山」に引っ掛け、

「龍が月見酒をする」図と読み解けます。

通常、こうした目立つ木目は人目を避けて配されますが、

意図的に木目を龍の顔に見立てて発想させる遊び心が・・・。

 

本堂の七不思議として、

まずは「屋根を支える魔除けの柱」があります。

本堂はほとんどがケヤキで作られていますが、

この柱(写真中央)だけが表面に厚さ45mmの桜の木を張り付け、

しかも逆さまに取り付けられています。(逆柱)

 

 

逆柱は、日光東照宮の陽明門などにも見られ、

1ヶ所だけ不完全な部分を意図的につくり、

建物が崩壊しないようにする魔除けの一種とされる大工の秘伝です。

 

続いて、「雲龍の硯(すずり)」です。

見事な雲龍図がレリーフされています。
本願寺8世・蓮如上人が愛用した硯とされ、別名「墨が涸れない硯」。

上人が使われる時だけ自然に水が湧き出したと伝わっています。

 

 

本堂の前に植わっているのが「三葉の松」。

 

 

西洋の松は3葉のものが多いようですが、日本の在来種では珍しく、

3枚葉を見つけたら幸せになれるというジンクスがあるそうです。

 

 

こちらは本堂の右側の側面で、

私も含め、みなさんここで上を向いて探すものがあります。

それが「屋根を支える猿」です。

 

 

肉眼では到底無理なので、デジカメの望遠で適当に撮影。

あとで写っていることが確認できました。

本堂の4隅上部に屋根を支えているような格好をしたものがいます。

 

 

 

 

これは長年「猿」であると言われてきましたが、

近年になって裸にふんどしをつけた

「天邪鬼(あまのじゃく)」だと判明しました。

 

 

なかなか盛りだくさんな勝興寺でしょ?

次回はもう一つの国宝の建物へ向かいます。

 

(つづく)