2022年12月3日(土)の高岡の旅の続きです。

今回の旅のきっかけは、勝興寺が国宝指定されることになり、

兄が見たいと興味を示したからでした。

 

9:00に開門するので5分前に到着する予定で國泰寺を出発しましたが、

急きょ、雨晴海岸に立ち寄ることにしたため、

勝興寺には9:10くらいの到着となってしまいました。

雨晴海岸からは車で6分ほどです。

 

 

ナビの案内のとおりに最短コースで走ると、

ものすごい狭い住宅地内の道を案内され思わず笑いましたが、

最終的には総門前に到着することになります。

こちらの写真はGoogleマップから拝借しました。

 

 

2010年5月に訪れた時は、駐車場がわからず、

この道に路駐してしまったのですが、

今回はさすがに10月に「国宝へ」という報道がされてから、

毎日1000人を超える観光客が訪れているということで、

駐車場は十分確保されているとは思いましたが、

肝心の駐車場の案内が出ていませんでした。

 

総門の下で3~4人の誘導係のおじさんがおしゃべりしていたので、

私が一足先に車を降りておじさんに尋ねると、

「ここを通ってこっちに入って来て下さい」と言われ、

総門の奥、右手に駐車場が見えました。

 

でも、総門をくぐってもよいのか心配だったので、

再度おじさんに確認すると大丈夫とのことで、

兄に手招きして、総門をくぐって駐車してもらいました。

 

私はその間、おじさんとおしゃべりしていました。

「今日は最高の天気になったね~」

「本当に、ラッキーでした!」

 

約3万㎡の勝興寺の伽藍略図です。

勝興寺には国宝2棟、重要文化財10棟の建造物があります。

 

 

こちらは総門の内側から撮った写真です。

1840年(天保11年)に建立。

高さ8.7m、桁行5.5m、梁間3.1mの高麗門。

重要文化財指定の高麗門としては最大級の門。

屋根には城郭を思わせる鯱が乗っていますよ。

 

 

総門をくぐって左手に進むと受付があり、

拝観料一人500円を支払い、御朱印もお願いしました。

 

小さな川(堀)に沿ってさらに左手に進むと唐門が見えて来ますが、

橋を渡る時に右手を見ると鼓堂が見えます。

総門の奥にあったのですが、

受付へ向かってしまい気付きませんでした。

 

 

1733年(享保18年)に建立、重要文化財です。

2層の入母屋造りの建物で、櫓(やぐら)に似た外観。

今は太鼓は吊されていないそうです。

鼓堂の写真は拝借しました。

 

 

本堂への入口に建つ唐門も重要文化財。

1769年(明和6年)に京都の興正寺で建立され、

1893年(明治26年)に2艘の北前船を利用し勝興寺へ移築されました。

 

 

高さ10.2m、間口6m、屋根の横幅10.4mと大規模の四脚門で、

前後の軒に曲線を連ねた唐破風(からはふ)付きの切妻造り。

屋根の前後を唐破風造りで通した「前後唐破風造」は、

全国でも類例のない形式だそうです。

 

 

2014年(平成26年)まで行われた修復で、

銅板葺きから檜皮(ひわだ)葺きに復元されました。

 

 

以前はこのようなブルーのラインはなかったのですが、

こちらも復元されたのでしょうか・・・。

 

 

唐門には見事な彫刻や金具などの装飾が随所に施されています。

 

 

 

扉に施されたのは、「抱牡丹紋(近衛牡丹)」と称される家紋です。

「牡丹」を家紋として用いたのは、

摂関家の中でも筆頭の近衛家・鷹司家に限られ、

鎌倉時代には天皇家の紋章である「菊・桐」に次いで権威ある家紋でした。

 

 

金ピカの真新しい金具の装飾です。

 

 

 

唐門をくぐって、正面に建つのが本堂。

 

 

ここで簡単に勝興寺についてご紹介します。

1471年(文明3年)に本願寺八世の蓮如上人が、

越中国礪波(となみ)郡蟹谷庄土山(現在の南砺市土山)に

草堂「土山御坊(どやまごぼう)」を建て、

次男の蓮乗を住職として越中布教の拠点としたのが起源。

 

その後、幾多の変遷を重ね、

1584年(天正12年)に戦国武将・佐々成政から

古国府の寺地の寄進を受けたことから現在の地での歴史が始まりました。

 

 

越中の一向一揆の一大拠点ともなった歴史もあり、

現在も土塁と濠で囲まれ、城郭寺院の面影をとどめています。

江戸時代には加賀藩・前田家との結びつきを強めました。

 

建造物群の配置は、概ね江戸時代後期の伽藍配置を今日まで継承し、

近世の境内景観をほぼ完璧に残す、

全国的にみても貴重な例として価値が高いと評価されています。

 

「平成の大修理」は本堂を半解体修理する第1期工事が

1998年に始まり、2004年に完工。

2005年からの第2期工事では、寺の住居機能を担う本坊4棟、

総門、唐門、式台門、御霊屋、鼓堂、宝蔵、経堂の諸門及び諸堂7棟、

合計11棟の修理が行われ、2020年度中に完工しました。

 

 

私が前回2010年5月に訪れた時は、

本堂の右側が工事中でシートに覆われていたため、

今回はその部分を見るのを楽しみにしていました。

 

勝興寺の「本堂」と「大広間及び式台」の2棟が、

正式に国宝に指定されたのが2022年12月12日なので、

私たちは国宝になる直前に訪れたことになります。

 

私の勝興寺の印象は、

とにかく「本堂が大きい」ということです。

次回、ご紹介します。

 

(つづく)