2019年4月28日(日)は、帰省中の兄、母、私の三人で、

ドライブに出かけました。


兄の帰省中(4/27~30)、天気予報で晴れだったのはこの日だけ。

兄から「どこか行きたいから、探しといて~」と言われたものの、

もう北陸3県では行きたい所が浮かんで来ませんでした。


どうしようかなあ~と思っているうちに、とうとう当日になり、

早朝3時頃、目が覚めるとパソコンに向かい、

以前、兄が気になる所リストをメールで送って来ていたので、

それを見ながら急きょドライブ計画を作りました。


そして、早起きの兄に出来たての計画を見せると、

「それじゃあ6:30に家を出発するよ」ということに・・・。


今回は福井方面へ行くことにしたのですが、

いつも和歌山-金沢間を下道だけで走っている兄に、

「高速は使う?」と確認すると、

「加賀インターから乗る」ということだったので、

「それなら、ここに寄れる?」とお願いして寄ってもらったのが

今回ご紹介する神社でした。


加賀市の場所は石川県の最南端。



わが家からは山側外環状道路や国道8号線などを通り加賀市へ。

北陸自動車道の加賀インターに向かう途中に立ち寄りました。



加賀市が近くなると車窓からは白山もよく見えました。

走りながら写真を撮っている割にはきれいに撮れました。







加賀市と言えば、バブル期に建てられたこの巨大な観音様が

今も存在感だけはありますが、壊すにも費用がかかりますしね・・・。



こちらが「加賀國二之宮 菅生(すごう)石部(いそべ)神社」です。



むかし疫病が流行し、それを鎮めるために用明天皇元年(585年)、

宮中で祀っていた神々(現菅生石部神)をこの地に遷し、

併せて五穀の豊穣を祈願したことにはじまりますので、

1400年あまりの歴史を有する古社です。



石段を上った所にあるのは神門。(加賀市指定文化財)



文政7年(1824年)に起工、9年落成、総欅造、唐様の楼門。

大聖寺藩主、有力町人、各階層の人々からの寄進によるもので、

大聖寺・加賀両藩の大工棟梁を動員して造立されました。







こちらには梅鉢紋が彫られていました。

かつて京都の北野天満宮領として天神信仰が盛んでしたし、

同じ梅鉢紋を家紋とする加賀藩前田家からの崇敬も篤く、

多くの寄進を受けていたからでしょうか・・・。



神門の石碑の後ろには変わった形の灯籠(?)。



こちらが境内、意外と広くて立派な神社でした。



正面の建物が拝殿、拝殿の奥に本殿があります。



拝殿の手前左側には神牛。



右側には神馬。



御祭神は、日子穂穂出見命(ヒコホホデミノミコト)・

豊玉毘賣命(トヨタマヒメノミコト)・

鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)の御三神。



拝殿の手前右手には神楽殿のような建物があります。



拝殿の左側には赤い鳥居が見えます。



境内末社の稲荷社です。



鳥居が続きます。







社の目の前にも小さな狐さんがいらっしゃいます。



ここから本殿が見えました。



上から眺めると、鳥居の並びがきれいですね。



拝殿側から見た神門。



神門の手前右側には手水舎。



今度は拝殿の右側へ・・・大きな木は御神木。





こちらの奥にも境内末社がありました。





鳥居をくぐると、石の動物がいっぱい!見えるかなあ~。

ここにも青銅色の神牛がいますね。



狛犬





隅っこに追いやられてしまった哀愁漂う昔の神牛(?)。



こちらは「白山社」と「事比羅社」ですが、

ここに動物らしきものがたくさん鎮座しています。 



まずは石段の左右ですが、こちらも狛犬かな?

お顔がハッキリわかりませんが、座り方は狛犬ですよね。





そして、石段の上には左右3体ずつ、大きさの違う動物が・・・。

こちらもすべて狛犬なんでしょうね・・・きっと。



並び方が何とも可愛らしい・・・。



こちらからも本殿がよく見えました。





どんな神社かもわからず寄ってみましたが、

さすがに加賀國二之宮だけあって社殿は立派でしたし、

境内も意外に広く、また境内社も見応えがありました。

兄も私も大満足でした・・・。



次回からは福井の旅です。


(つづく)