2015年11月8日(日)、善光寺散策の続きです。

山門登楼が9時からということで、

先に本堂へお参りに行きました。

前回記載し忘れましたが、山門の手前にあったかな。

手水舎です。



改めて散策マップを載せておきます。



いよいよ善光寺の本堂へ行きます。



本堂は、間口約24m、高さ約26m、奥行き約54mの

江戸時代中期を代表する仏教建築として

明治28年に国宝に指定されています。

敷地面積では、国宝建造物の中では、東大寺大仏殿、

三十三間堂に次いで3番目の大きさを誇っています。



間口に対して極端に奥行きが長くなっているのが特徴で、

本堂を上から見るとT字型をしています。

半鐘や鉦(しょう)を打つ鐘木(しゅもく)に似ていることから、

鐘木造りと呼ばれています。



まずは私たちもお線香を焚きました。

私は左利きではありません。

自分で写しているのでこうなりました。



香炉の前でお参りするお友達。



この後、境内をほうきを持ってお掃除されていた

守衛さんにお願いして二人の写真を撮ってもらいましたよ。

写真はお目にかけられませんが・・・。



そして、本堂へ上がろうかと思っていた時、

先ほどの守衛さんが「参道をあけて下さい」と言われ、

私たち観光客は参道の両端に分かれると、

紫の袈裟を着た位が高そうな尼僧様が

お付きの方と一緒に本堂から出て来られてビックリ。

撮影は禁止なので写真はありませんが・・・。



その尼僧様と入れ替わるように本堂へ入りました。

本堂内はすべて撮影禁止です。

この後ご紹介する写真はHPから借用したものです。


まず私たちは後で山門にも登る予定だったので、

内陣券と山門登楼との共通券1,000円を発券機で購入。

内陣券を買うと、内陣(畳敷きの間)・お戒壇めぐり、

善光寺史料館が拝観できます。


内陣の中は下のマップのようになっています。

私たちが本堂へ上がった時には、

私たち二人と職員以外、誰もいなかったので、

まずは内陣へ入って、ゆっくり眺めてきました。



善光寺の内陣の広さは152畳あります。

古くから大勢の参拝者が本堂(内陣)に

お籠もり(宿泊)するのが善光寺詣りの基本だったようで、

明治の中期まで続きました。

写真だと明るい感じですが、実際は薄暗いです。



上の写真の中央にも写っていますが、

内陣と内々陣を隔てる欄間には、

来迎二十五菩薩像が燦然と輝いています。



来迎とは極楽浄土からこの世へと阿弥陀如来様と

菩薩様が往生人をお迎えに来られることをいいます。

この来迎の彫像は、実際には二十五の菩薩形像と

一人の比丘形像(剃髪の僧形)より成っています。


私たち、上を見上げながら、

ただただ「すごいね~」と感心するばかりでした。


二十五菩薩像の左右に並んでいるのは、

西国、坂東、秩父の各観音霊場のご本尊です。

これらの霊場巡りの番外札所として、

特に結願にお参りされるのが善光寺です。


来迎二十五菩薩像を頭上に内陣に座ると、

左に弥勒菩薩像、右に地蔵菩薩像が安置されています。



弥勒菩薩は、現在天界の中の一つの兜率(とそつ)天で

天人のために説法されていますが、

五十六億七千万年後にこの世に出現され、

お覚りをひらいて衆生を導く仏様と、

お釈迦様に予言された菩薩様です。


地蔵菩薩は、弥勒菩薩がお覚りを開かれるまでの間、

六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天)に輪廻して

苦しむ衆生をお救い下さる菩薩様といわれています。


内々陣左側の奥、鳳凰と龍の

二枚の金襴の戸帳が懸かるところが瑠璃壇です。

ここに御本尊が安置されています。

通常、戸帳は降りたままですが、お朝事や法要など、

お経があがる時にはこの戸帳を上げますが、

ご本尊を直接参拝することはできません。



7年に一度行われる善光寺の御開帳でさえ、

ご本尊の姿は拝することができません。

御開帳時には、前立本尊と言って、

ご本尊の分身の仏様が公開されます。

つまり、今までもそして今後も善光寺のご本尊は

誰も見ることができない絶対秘仏で、

戸張の中の瑠璃壇の厨子の中に安置されています。


善光寺の御本尊様は「一光三尊阿弥陀如来像」です。

中央に阿弥陀如来、向かって右側に観音菩薩、

左側に勢至菩薩が一つの光背の中に立っています。



『善光寺縁起』によれば、善光寺如来は、

遠くお釈迦様在世の時にインドで出現され、

その後、百済に渡り、欽明天皇13年(552年)、

日本に仏教が伝来した時に、

百済より贈られたと語られています。


御本尊様は古来より「生身の如来様」といわれており、

人肌のぬくもりを持ち、人と語らい、

その眉間の白毫から智恵の光明を発しています。


奈良の法隆寺には「善光寺如来御書箱」という、

聖徳太子と善光寺如来様が取り交わした

文書を入れた文箱が現存しています。

このように、人々と触れあう如来様として信仰を集めました。


中央の阿弥陀如来の右手の印相(手の形)は、

手のひらを開いて前面にかざす施無畏印(せむいいん)で、

衆生の畏れを取り除くことを意味しています。


左手の印相には大きな特徴があり、

手を下げ、第二指、第三指を伸ばし、

他の指を曲げた形をしており、

刀剣印(とうけんいん)と呼ばれるとても珍しい印相です。


左右の菩薩の印相も、梵篋印(ぼんきょういん)と呼ばれ、

胸の前に左右の手のひらを上下に重ね合わせる

珍しい格好をしていて、中には真珠の薬箱があると、

善光寺縁起では伝えられています。


また、三尊像は蓮の花びらが散り終えて残った

蕊(しべ)が重なった臼型の蓮台に立っています。

このような特徴を全て備えた一光三尊阿弥陀如来像を

通称「善光寺式阿弥陀三尊像」と呼び、

全国各地にある善光寺のご本尊として安置されています。


内々陣の右側にかけて、三体の像が祀られています。

善光寺を開山された本田善光卿を中心に、

向かって右に奥様の弥生御前、

左は息子の善佐卿で「御三卿の間」と呼んでいます。

どおりで本堂の前に立葵の家紋が掲げられていたのですね。



善光寺の寺号は、開山・善光卿の名に由来します。

この御三卿像は神道の男神女神との様式的類似がみられ、

神像として祀られています。

一つの堂内に西に御本尊様、東にご神体である

御三卿をお祀りしているところが善光寺の特徴です。


戸帳の懸かる瑠璃壇の手前に三基の燈明があります。

不滅の常燈明または不滅の法燈ともいわれます。



開山善光卿の代に御本尊様の白毫(眉間にある白い毛)から

放たれた光によって点されたといわれるもので、

以来1400年の間、絶やされることなく受け継がれています。

善光寺を参詣した者は、この常燈明を拝んだだけでも

極楽往生疑いなしといわれています。


内陣での参拝を終えると、

有名な「お戒壇巡り」の入口にやって来ました。

私は真っ暗な所は苦手ですし、

混んでいる時に他の人に迷惑をかけても・・・と思い、

お戒壇巡りは別にいいかなとスルーするつもりでしたが、

この時は周りに誰もいなくて二人の貸し切り状態。

それならゆっくり行けばいいか・・・と突然やる気が起こり、

なぜか私が先を行くことに。



お戒壇巡りとは、瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り、

中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、

錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たし、

往生の際にお迎えに来ていただけるという

約束をいただく道場です。


七段の段を下るとお戒壇めぐりのスタート。

「この高さに手を当てて壁伝いに・・・」と書いてあり、

背の高い私はかなり腰をかがめて右手を壁に付き、

壁から手を離さないように、お友達と話しながら前進。


途中、丸い柱に当たる度にちょっと驚きましたが、

どれくらい歩いたでしょうか、

無事に錠前に触れることができてホッとしました。

触ることができれば、あとは帰るだけ・・・ということで、

帰り道は早く出ようと早歩きしたら、

ちょっとお友達を置き去り状態にしてしまいました(笑)。

実際には約45mの距離があるそうです。


ご開帳の時はお戒壇巡りをするのに数時間待ち・・・

ということもあったそうなので、やっぱり早起きして、

朝早い時間にぜひ挑戦してみて下さい。


最後に順番は逆になりましたが、本堂入口付近を見学。

まずは「びんずる尊者」、おびんずるさんです。

この像は今までもいろんなお寺でお会いしました。

びんずる(賓頭廬)尊者はお釈迦様の弟子、

十六羅漢の一人で、神通力が大変強い方でした。



俗に「撫仏」といわれ、病人が自らの患部と

同じ所を触れることで、その神通力にあやかり、

治していただくという信仰があります。

私も心臓やお腹を中心に撫でてきました。


びんずる尊者像の脇に生けられた一本の松を

「親鸞聖人お花松」と呼んでいます。



鎌倉時代、親鸞聖人は、

配流先の越後から関東へ向かう途中、善光寺に参拝。

100日間逗流され、その折り善光寺本尊に

松の木を奉納されました。

松は常緑樹ですので、一年中ご本尊をお祀りしたい

との思いが込められたのでしょう。


親鸞聖人お花松の左手に、

一段高くなった舞台が置かれています。

この舞台が「妻戸台」です。



鎌倉時代、時宗二祖他阿真教上人の一行が

本堂前庭の舞台で踊り念仏を奉納されました。

現在外陣にある妻戸台は、かつて他阿上人が

踊り念仏をした舞台の名残といわれています。

法要の時には、瑠璃壇からの鐘の音と

妻戸の鐘の音が呼応して、壮麗な雰囲気を醸し出します。


本堂ご紹介の最後は、外陣妻戸壇の東側にある閻魔像。

我々は死後にこの閻魔様に裁かれるといわれています。



内陣入口には大鏡がありますが、

この鏡は私たちの嘘を映し出す

閻魔様の鏡を表象したものといわれています。


これで本堂の参拝&見学は終了。

本堂の目の前には「御百度詣数取」と

書かれた石がありました。



これで本堂のご紹介はおしまい。



(つづく)