旅行2日目、2013年12月13日(金)の旅の続きです。

ランチの後は、再び観光に向かいます。

次の目的地に行く途中、車窓から見えたものとは・・・。



まずは、上の地図の中央A地点、中山南路の真ん中、

ロータリーのようになっている所に「景福門」があります。



清の時代、台北を治めるため台北府城がつくられ、

台北府城は城壁に護られ、5箇所の城門がありました。

東西南北に、景福門、寶成門、麗正門、承恩門、

南西に重熙門を設置。

それぞれが現在の、東門、西門、南門、北門、小南門。



日本統治時代に、台北府城の城壁は取り壊され、

1900年代の都市整備計画の中で、寶成門も取り壊されました。

景福門、麗正門、重熙門は、

もともと福建様式で建てられていましたが、

1965年に、景観統一の目的で北方様式に改築されています。


建設当時の姿で残っているのは、

忠孝西路と中華路の交差点に立つ、北門(承恩門)のみ。

参考までに、こちらが北門。



車窓から撮った写真が汚いので、

Webからお借りした景福門の写真も載せておきます。



景福門の横を通り過ぎ、バスはさらに西の方へ進みます。



すると見えてきたのが、赤茶色と白のきれいな建物。

こちらが「総統府」になります。



走りながらの撮影はなかなか厳しい!



ということで、こちらもきれいな写真を載せておきます。



中華民国総統府は、中華民国の元首・総統の官邸。

日本統治時代の1919年に完成した建物。

当時は台湾総督府として利用されていました。


第二次世界大戦末期のアメリカ軍の空襲で内部が全焼。

その後、中華民国政府が接収・修復し、

1948年に旧態に戻りました。

それから、蒋介石総統生誕60周年を記念し、

「介寿(蒋介石の長寿を祝うの意)館」と名を改めました。


翌1949年、国民党が国共内戦の際、

中国に追われる形で、まだ当時日本の領土であった台湾に

中華民国の首都機能を移転し、

以降、中華民国の総統府として利用されるようになりました。

上空からの写真では、日本の「日」の字に見えるらしい。


平日の午前9時から12時までは無料で内部見学が可能で、

日本語ガイドが案内してくれるそうなので、

次の機会にはぜひ中を見学したいなあと思います。


バスの車窓から総統府を見るのもツアーの予定に入っていました。

そして、再び戻るようにして景福門の横を通過。

こちらが景福門の裏側になります。



そして、まもなく、次の目的地「中正紀年堂」に到着。

この大忠門の前でバスを下りました。



目の前に巨大な建物が現れました。



ここが正面かと思ったら、右前方遠くに正門が見えました。

扁額には「自由廣場」と書いてあります。




真下まで来ると大きさが実感できます。

この後、建物の中に入ります。



故蒋介石総統を記念して建てられた中正紀念堂は、

北京にある天壇の様式を取り入れ、

白壁に鮮やかな藍色の屋根瓦、

屋根の突端に据えられた宝頂と呼ばれる黄色の瑠璃瓦が特徴。

天気が悪くて、色がハッキリしませんが・・・。

高さは70mあります。


まずは1階の資料展示室から見学。

中も天井が高く、広々しています。

こちらは天井を見上げた写真。



あとはこんなようなものがあったよ~という写真だけ。

ぼけている写真もあります、ごめんなさい。













この後、エレベーターに乗って上へ。

するとそこには、蒋介石のブロンズ像が鎮座していました。

像の高さは6.3mあります。



天井を見上げると、おなじみ青天白日のマーク。



ご参考までに、台湾の国旗をご紹介。

青天白日満地紅旗。赤、青、白は孫文の三民主義。

赤は民族主義で自由、青は民権主義で正義、

白は民主主義で友愛を表現。

太陽の光線は十二刻を表しています。



ブロンズ像に向かって左側の壁の文字。



反対側、右側の文字。



お堂の外からの眺めです。

下の方に階段が5~6段あるのを憶えておいてね。



人の大きさを見て下さい、大きさがわかるでしょ?



大きな額に「中正紀年堂」の文字。

2007年には「中正紀念堂」から「台湾民主紀念館」へ名称変更。

その後再度改名し直し、「中正紀念堂」の名に戻っています。




上からの眺めです。



先ほど右斜め前に見えていた正門が真正面奥に見えます。



アップで見てみます。大きさがわかりますね。



約25万㎡という広大な敷地の中には「紀念堂」の他、

世界に誇る「国家戯劇院」と「国家音楽廰」があります。

さてと、左右の建物、どっちがどっちかな?




続いて、祭堂を出て左側へ行ってみました。



今度は祭堂を出て右側、最初に入ってきた門です。

左右対称につくられているようですね。



同敷地内には四季折々咲き乱れる花や木が植えられ、

池や石橋を配した中国式庭園などもあるようですよ。

帰りは階段を歩いて下りたのですが、数を数えると84段。


ガイドさん曰く、蒋介石が1975年に亡くなった時の年齢が89歳。

その数に合わせてあると言っていたのに足りないなあと思ったら、

先ほどの祭堂へ入る所に5~6段あったので、

それを足せば89か90になります。

台湾では数え年を使うので90段が正しいのかもしれません。


バスを大忠門の前で待っている間にパチリ。

街もとてもきれいです。



続いて、本日2度目のお買い物タイム。

新生北路二段あたりの民芸店で約1時間も。

私たち、欲しい物がなかったから、暇で暇で・・・。

この時間、観光に当ててほしかったなあ。

座る所もないし、ただ待つのも疲れるものです。


(つづく)