2013年4月20日(土)の能登七福神めぐりの旅の続きです。
和倉温泉街とはお別れし、再び国道249号線に戻ります。
次の目的地は、本当は午前中、
七尾市街地に向かう途中に寄りたかった田鶴浜にあるお寺。
「みそまんじゅうの竹内本店」よりは七尾寄りにあります。
田鶴浜駅前を通り過ぎ、田鶴浜西交差点を左折、
しばらく行くと右手に郵便局が見えてきますが、
その少し手前に駐車場があります。
次なる霊場は恵比寿天をお祀りしている東嶺寺です。
しかし、駐車場の隣にあったのは・・・。
こちらは住吉神社でした。
せっかくですので、こちらも参拝してきました。
確かに地図を見ても、
住吉神社と東嶺寺は同じ敷地内にあるようでした。
そこで、通りかかった地元のおじさんに尋ねてみると、
住吉神社の横から後ろへ回るとよいということで、
住吉神社を右に見ながら歩いて行きました。
途中で、トトロさんとこんにちは。
このトトロさんの斜め向かいに東嶺寺はありました。
「ああ、いい感じ!」と一目惚れした、姉さん好みのお寺。
こぢんまりしているけれど、参道の石、周りの苔、
古びた木の色と、木組みの感じが姉さん好みなんです。
東嶺寺の創建は永正17年(1520)、
日三梵朔が開山したのが始まりと伝えられています。
当初は実相院と称していましたが、
天正5年(1577)、七尾城主畠山家の重臣、
長通連の夫人を弔ったことで、法名である花渓寺と改めています。
以来、長氏の菩提寺として保護され、
天正8年(1580)に現在地に移し、堂宇を建立しています。
慶安4年(1651)に長連龍の菩提を弔う為、堂宇を改築し、
連龍の法名から東嶺寺と寺号を改称しています。
こちらは山門の裏側です。
長氏は古くから能登守護である畠山家の重臣として
権威を振るった家柄で、七尾城が落城すると織田家に仕え、
能登・越中奪還に尽力を尽くしたことで、
鹿島半郡3万1千石が与えられました。
その後は前田利家の与力大名として地位を確立し、
江戸時代以降は加賀八家と呼ばれる大身となり、
加賀藩内では本多家5万3千石に次ぐ3万3千石を領しました。
こちらが本堂と思われます。
というのも、姉さんたちが訪れた時は、
お寺にはどなたもいらっしゃらなくて、
残念ながら、恵比寿天にも会えず、御朱印ももらえず、
ここまで来ていながら、ちょっと悔しい思いをしました・・・。
現在、本堂、山門、長家墓所などが、
七尾市指定有形文化財になっています。
三百有余年の誇りと技で磨き抜かれた「田鶴浜の建具」。
精巧で優美な細工と高度な仕上がりを持つ田鶴浜建具の製造は、
ここ東嶺寺から始まったと言われています。
東嶺寺の境内からも、
お隣の住吉神社や駐車場へ行くことができます。
ここで恵比寿天をご紹介しておきます。
えびす様の釣竿を持ち鯛を抱える姿は、
「利をかさばらぬ清廉の心を象徴」しています。
先を見越して「日々こつこつ」がおかげさんと言える道のりです。
加えて、開運守護を鎖う姿です。
幸せを招くえびす顔。
残念ながら、御朱印がいただけなかったので、
またいつか再度訪れたいと思います。
また会おうね、ワンちゃん!
このワンちゃんだけが姉さんたちを迎えてくれました。
(つづく)