いよいよ長かった紫禁城のご紹介も終わりが近づいてきました。

今回は地図の水色のゾーンから、青の矢印の直線コースを歩いて、

ゴールの神武門へ向かう所までのご紹介です。


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水色のゾーンを詳しく書いた分布図をWebからお借りしました。

前回は下半分をご紹介しましたが、今回は上半分の左側、

縦に細長い「乾隆花園」からご案内します。


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乾隆花園は、退位後に太上皇となって寧寿宮に住んだ乾隆帝の

晩年の憩いの場となったため、こう呼ばれています。

南北の長さ160m、幅はわずか37mで、敷地面積は5920㎡。

中国の庭園建築の中では独特で、

敷地は狭いけれど、変化に富んでいます。

 
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まずは花園の南の門「衍祺門」をくぐります。


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この花園は山石や亭を中心に、狭い所にさまざまな建物が配置され、

道は曲がりくねり、本当にガイドさんの後について行くのがやっとで、

どこをどう歩いたか、全くわかりませんでしたね。

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こちらの建物は禊賞亭。

乾隆帝が「蘭亭」の曲水の宴を楽しんだ所だそうです。

自分の前に盃が流れてくるまでに詩を詠む貴族の遊びで、

かつて、日本の貴族の中でも楽しまれていましたよね。

中に入って見たかったなあ・・・。


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こちらは承露台。大きな太湖石ですね。


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このような築山は、江南園林の手法を駆使したとか・・・。


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こちらは古華軒。

乾隆帝が詩歌を楽しんだ所のようです。


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とても古くて趣のある建物でした。

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ガイドさんは説明もせず、どんどん歩いて行きますから、

必死に場所がわかるように写真を撮っては追いかけ・・・。


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こちらの大きな建物は楽寿堂。

乾隆帝の時代に、北京の円明園の淳化軒を模して造られました。

創建した当時は皇帝の休憩所でしたが、

後に西太后が日常を過ごす場所となりました。

今は、珍宝館の一会場として公開されています。

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中へ入る前にちょっと後ろを振り向くと、

奥に3階建ての建物が見えますね。

あれは暢音閣で、頤和園でもご紹介しましたが、

京劇観賞が大好きだった西太后のための舞台と言ってもよいのでは?

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私たちは残念ながら見学に行けませんでした。

皇帝たちは、手前に見える2階建ての閲是楼から観劇しました。


woaimaoの気ままなお話 Webより


それでは、楽寿堂の中へ入ります。


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こちらには大きな玉石がいっぱい。

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この石はとても面白そうだったのですが、

光が反射して、うまく撮れませんでした。

石もなかなか楽しい~。


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こちらは中国最大の玉石彫刻「大禹治水玉山」。

青白玉を使い、高さ224cm、幅96cm、重さ约5300kg。


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こんな可愛いのもありましたよ。


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続いて、楽寿堂の北に位置する頤和軒。


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こちらは乾隆帝が本を読んだり、くつろいだりしていた所。

今はやはり珍宝館の一会場となっています。

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ここでいちばん目立っていたのはこちら。

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さらに先を急ぎますが、ここはどこだ~?

地図を見ると、景祺閣かなあ?


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この建物の雰囲気を見ると、やはり景祺閣かも・・・。


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この景祺閣の下にあった建物の前で、

ようやくガイドさんが足を止めました。

こちらは「懐遠堂」ですが、みなさんの目線は・・・。


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右側の看板には「珍妃霊堂」。

左側にも人がいっぱい集まっています。


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みなさんが見ていたのは「珍妃井」。

ここには悲しい物語があります。


珍妃は光緒帝に最も愛されていた妃でした。

彼女は光緒帝の改革を支持しましたが、1898年改革は失敗。

光緒帝は西太后によって軟禁され、

珍妃は西太后の恨みをかい、景祺閣背後の冷宮に幽閉されました。


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その後、1900年の義和団事件の際、

8ヶ国連合軍が北京に侵入した混乱の最中、

楽寿堂を出た西太后は景祺閣裏に現れると軒下に座り、

珍妃を連行するように命じました。

そして、現れた珍妃に、西洋人からの陵辱を免れるため、

井戸に飛び込み自殺するように命じたのです。

嫌がる珍妃を無理やり井戸に投げ込み、

まだ25歳だった彼女を殺してしまいました。


1年後、珍妃の遺体が引き揚げられて、

井戸の北の小屋に霊牌が建てられ、

この小屋は「懐遠堂」と名づけられました。

そして、後にこの井戸は「珍妃井」と呼ばれるようになりました・・・。
西太后の悪行は本当に尽きませんね。


奥の出口から外に出ると、景色が一変!


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宮殿部分から外に出てきました。


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この高さ10mの城壁は圧巻ですね。

ここはどこかで見たことがありませんか?

ここで皇帝が自転車に乗る練習をしていたそうですよ。

私も走ってみた~い。


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右側に並んでいるのは、食堂や土産物屋です。


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いよいよゴールの神武門が見えてきました。


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次回が紫禁城の最終回です。


(つづく)