1990年代後半のある年の冬、札幌市の狸小路(たぬきこうじ)商店街(アーケードがかかった商店街)を歩いていた。風が強い日で、小雪が宙に舞って、商店街の中にまで吹き込んでいた。そこに40~50人ほどの人だかりがあった。何だろうと見てみると、露天が開かれていた。商品は、踊る紙人形であった(紙以外の材質だったかもしれない)。

人の輪郭だけを単純な線で抜き出した、大の字のような紙人形(アメリカ人アーティストのキース・へリングの描くような人物)が5~6体、手の部分がつながって一列に並んだものが、支えもないのに地面に立ち、露天商の掛け声に合わせて、踊ったり、飛び上がったり、回転したりしているのである。童話のような素朴な不思議さを感じさせる動きであった。

紙人形がそれだけで踊ったり、ジャンプしたりするはずがないので、何かの仕掛けがあるはずだと思った。少しの間、目を凝らしてみていたが、それらしいものは見つからない。そこで、真横に回ってみた。この頃は現役のテレビ報道カメラマンだったので、その職業意識に触発された好奇心だったかもしれない(ひとつの被写体をいろいろな角度から眺めて撮るのがカメラマンの習性である)。

横に回って見えたのが、ピアノ線のような極細で透明な線であった。その線は、そこに立っていた白人の若い長身の男性のポケットから伸びていた。そのポケットの中で、彼の右手はかすかに動いていた。この線を使って、紙人形を操作していたのである。

この線の存在はなぜか、正面からは分からない。そのおかげで、紙人形がまるで自分の意思を持って、露天商の声に反応しているように見えたのである。操作しているのが白人男性であったことも、ひとつの工夫だった。日本語の掛け声を理解できなさそうなので、通りすがりの野次馬以上に、この商売とは無関係の人間に見えるからである。

さらに“さくら”もいた。躍る紙人形のデモが終わると、人混みの中にいた中年男性が突然、「よし! 買った!」と不自然に大きな声を上げると、そそくさと前に進み出て、財布から札を取り出したのである。

自慢するわけではないが、この仕掛けに気づいたのは私一人のようだった。だが、見物していた誰もが、この見世物にどこか胡散臭いものを感じていたに違いない。さくらの男性に続いて買おうとする人は一人も現れず、その場にいた全員が、波が引くように静かにその場を離れていったのである。露天商の売り込みの熱心さに比べると冷ややかにさえ感じられる、人々のこの反応も印象に残っている。