今日は横浜開港記念日です。

旧暦の安政6年6月2日(1859年7月1日)に横浜港が開港したことを記念する日です。

この開港により、安政6年12月、群馬県(旧・上野国)にいた先祖は生糸商人の奉公人として、店主と一緒に横浜に出てきて、後に移住しました。

 

(横浜港:写真はWikipediaより)

 

先月、先祖が勤めていた不入屋(いらずや)の資料を閲覧させてもらうため、群馬県みどり市(旧・大間々町)に足を運びました。

江戸時代、遠路はるばる出て来たものだなと思っていたのですが、地図にもろもろプロットしていくと、ある気付きもありました。

 

 

当該先祖の戸籍は関東大震災で焼失しており、戸籍からは出身情報が分かりません。

口伝では安中市(旧・松井田町)出身、文献では高崎市出身、そして不入屋のあったみどり市(旧・大間々町)で働いて、その後神奈川県横浜市に出て来たわけですが、江戸時代の庶民の行動範囲からすると、不思議はないのでしょうか?

私は歴史の専門家ではありませんが、プロットした地図から得心がいきました。

 

コノドント館(旧・大間々銀行)

 

令和3年(2021年)大河ドラマ「青天を衝け」は記憶に新しいところです。

主人公の渋沢栄一は、幼少の頃から原料の買い付けなどで、埼玉県深谷市から長野県佐久市、上田市などに足を運んでいたわけですが、大間々から横浜までよりやや短い程度、峠の起伏など考えたら、ほぼ同じ距離と言っても差し支えありません。

先祖の横浜行きは決して不思議な移動距離ではないと思いました。

 

そして、もう1つの謎も少し解くことが出来ました。

「岡谷の親戚」と呼んでいた親戚が長野県岡谷市にいました。

前述のとおり、戸籍からは情報が追えません。

松井田から岡谷までは遠く、江戸時代から明治時代にかけて、そんな距離に親戚?、と思っていました。

しかし、渋沢栄一の行動範囲に照らしてみて、十分あり得ると思いました。

 

先祖調査、文献だけでなく視覚的に考えてみることも必要だと思いました。

国会図書館デジタルコレクションの検索機能が上がってから、亀の歩みで調査を進めています。

曾祖父が局長をしていた横浜本町郵便局の記事もチラホラ散見出来ます。

その中で、痛ましい記事も発見しました。

千葉県がまとめた関東大震災(大正12年、1923年)の被災記録「大正大震災の回顧と其の復興 下巻」(昭和8年、1933年)の中に、飯岡町(現・旭市)から取りまとめた情報として、町民の被災情報が以下のように載っていました。

 

「横浜本町郵便局へ国元へ為替振込み帰らんとする瞬間郵便局前面の梁の下敷となり、即死したるは実に悲惨の極みなり」

 

 

100年前の天災とはいえ、先祖の建物で犠牲になったことに胸が痛みました。

・・・が、少し経ってから「あれっ」と思いました。

曾祖父は震災の2年前に郵便局から手を引き、旅館に併設していた横浜本町郵便局も、横浜北仲通郵便局として移転改称していました。

 

 

この横浜本町郵便局は一体???

考えられることは、旧横浜本町郵便局から50mほどの所に移転した横浜北仲通郵便局、ないしは横浜本町通りにあった横浜郵便局(現・横浜港郵便局)ということに。

関係者以外にはここまで拘ることではないのかもしれませんが、私にとっては大きなことでした。

行政(自治体)の資料が、必ずしも正確ではないという事例でした。

 

 

 

来週から大河ドラマ「どうする家康」が始まります。

家康単独主人公としては昭和58年の「徳川家康」以来39年ぶり、当時と同じくイケメン家康です(笑)

 

 

結構複雑な相関関係ですが、日刊スポーツが親切にも配役対照の系図を作ってくれました。

 

 

これを見ながら、新しい大河ドラマを楽しみましょう!