ネイティブな英語って? | なんのこっちゃホイ!

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先日、米軍基地関係者とその奥様と食事をともにする機会をえた。奥様は、小中学生を中心に、高校生、大学生、社会人に英語を教えておられるアメリカ生まれのアメリカ人である。金髪がまぶしい美人であるが、それ私感なのでおいておく。

奥様いわく、「小中学生のクラスでは、楽しく歌ったり、ゲームをしたりして、自然に英語と触れ合えることを中心にしている。なのでテキストは使っていない。日本人の子供たちは、非常に覚えるのが早い。だが、高校生、大学生になると不思議なことがおこる。みんなが口をそろえて「私は英語が話せない」という。しかし彼女たちは、十分に理解できる英語を話している。なぜ自信を持たないのか」それは、日本人独特の羞恥心の表れではないかと意見を述べた。日本人は心の中で「英語はバッチリだぜ」と思っていても、表面上は「つたない英語で」と謙遜するのが美徳だ。僕はこの美徳が大好きだが、最近の若い人はそうでもないようで、オリンピックみてもがっかりしているのだが、ま、それはおいておいて。

金髪美人が言うには「あなたの英語は通じますよ。なぜ自信を持たないのですか?と聞くと、ネイティブのようには話せないからという答えが返ってくる」と。そこから、「ネイティブってなに?」という話になった。

日本人がネイティブ英語と言われて思いつくのは、まずアメリカ、次にイギリスであろう。なかなかオーストラリアを思いつく人はまだ少ない。

ネイティブとはなんだ?という定義になると、「日常生活で英語を主たる言語として生活している人」ということになるか。

インドには500以上の方言があるそうで、インド人同士でも言葉が通じないことは頻繁に起こるそうだ。ヒンドゥー語というイメージがあるが、実は州によって公用語が違う。で、全国土ではどうかというと、英語であるそうな。インド人同士が英語で会話している光景は、インドに行けば普通に見られる。
マレーシアも、学校でマレー語を学ぶが、マレー、インド、華僑で構成されている国なので、お互い日常的に英語で会話している。シンガポールも同様で、公用語は英語である。つまり、彼らもネイティブなのである。

だが、インド人の英語はそもそも早口なのに加えて、ヒンドゥーの発音も加わるから、慣れるまで何を言っているか理解するのに苦労する。マレーシアしかり。シンガポールはイギリス領であったので、ブリティッシュの発音に中国語の発音やアクセントが混ざるので、やはり慣れるまで分かりづらい。フィリピンその他、アジアの国々ではこういうことが頻繁だ。

では日本の学生は、インド人の英語を学びたいのか?違うだろう。

考えてみると、英語なんてものは単なる言語で、言語の目的は意思の疎通だ。つまりは、通じればいいのである。

インド人がインド英語を、シンガポール人がシングリッシュを、マレー人がマレー英語を堂々と喋り世界と交わっているんだから、日本人に日本英語があっても何も問題はないように思う。ようは、通じるか、通じないかなのだ。

通じるとはなにか。非常に高度に教育を受けた身からすると、意思の疎通であり、こちらの言い分が通じて、相手の言い分が理解できること。書いてあることが読めて、言いたいことが書けること。

しかし、先述の国の人達はちょっと違う。「自分を主張できること」がまず第一で、「何ならお前の言うことも聞いてやるよ」が第二なのだ。そう、生存競争を勝ち抜くためには、まずは自分を主張し、我が身を守り、相手を黙らせる必要がある。日本人は「アメリカ人のように流暢に話したい」のであるが、それは無理というものだ。アメリカは広い。州によってアクセントも違えば、イディオムも違う。慣用句なんか、日本語でもそうだが、毎日のように生まれているだろう。そんなものを全部覚える方法はアメリカに住むしかない。アメリカ社会が嫌いな僕には到底無理だ。

さて本論。

つまり言語というものの役割は、意思の疎通、自己主張の可否なのである。

日本人発音でもいいから、どんどん知ってるだけの単語を適当に並べて、日本人として主張すればいいのだ。英語を学ぶなら、せめて基本的な単語の並び方、関係代名詞等の基礎文法は知るべきだろう。これないと、そもそも通じない。日本人は日本人らしく、日本人としてできるだけ相手にわかりやすい英語を話せばいいのだ。用意した原稿を覚えて、アメリカ人に発音を直してもらい、慣れないジェスチャーまで加えて頑張ってるのを、僕は見てられないのである。そんなことはいいから、テーブルをこぶしでドン!とたたき、「NO!」と言ってみよう!そこから英語学習が始まるんだ。