年末から年始にかけて、ジョギング以外は一歩も外へ出ずに、ぐずぐずしていた僕を見かねた妻が、「ちょっと!でかけようよ。子供たちもいないし。拓郎に連れて行ってあげる!」と言い出した。場所を聞くと池袋だという。冗談じゃないぞ。なんで正月にそんな所にいかねばならないんだ!と思ったが、拓郎と言われては引っ込めない。拓郎の何が展示してあるのかもよくわからないままに、池袋へ向かった。
まぁ、言ってみれば拓郎のこれまでの栄光を、写真展で見せるという企画のようだ。入場料がいるというのに驚いた。僕はまた、拓郎かその関係者が「昨年のツアー失敗は申し訳ありませんでした。せめてもの罪ほろぼしですから、写真とビデオでも見ていってください」というものかと思ったら、きっとツアーキャンセルの穴埋めの金集めなんだ。どこまでも、腹黒いやつらめ。しかも800円だぞ!ラーメンが食える。
展示は70年代のデビューから10年きざみで、拓郎の足跡を追っている。髪を伸ばして、ギターケースを持って、まだ日本にツアーなんてものがなくて、夜汽車に乗って地方に歌いにいっていたころ。笑顔が屈託なくて、強くて、意志に溢れていて、何より若い。そんな拓郎の写真が白黒で展示されていた。僕がいくつのときだろうか。12~15歳くらいの時か。正に拓郎を知ったころだな。
そして栄光の80年代へと入っていく。もう、すでにいっぱしのスターとしての地位を築き、時代を変える、音楽を変える。そんな挑戦の目だ。今にも刺さりそうな、今にも斬れそうな、刃のような目をした拓郎がいる。伝説の第一回つま恋コンサート。日本で初めてのオールナイト・ライブ。3万5千人を集めた、伝説のコンサート。実は僕もここにいたんだ。「大体この辺にいたんだよ。最初はここ。もうステージから遠くて、拓郎が豆粒みたいに見えたんだ。10時になって、高校生以下は退場しろとアナウンスがあって、僕らはトイレや森に逃げ込んで、それからここら辺、真ん中よりちょっと前の中央付近で、拓郎を見たんだ。旅の宿を歌ってた。もう格好よくてしびれたよ。そして遂に、最後の人間なんて。朝日が昇るまで、50分近くもみんなで歌ったんだ。あ~、絶対に青春だった」などと妻に説明しながら、妻はまったく聞いてないが・・・・
90年、フォーライフ、そして2000年へ。あれほど愛したフォーライフを捨ててAVEXへ。その心境の変化は何だったんだろうね?拓郎!語ってよ。
4時からのシアターがあるというので、整理券をもらって時間をつぶした。内容そのものは珍しいものではない。ただのDVD画像の切り寄せだった。でも、神田共立会館なんかが出てきて、懐かしい。
拓郎からのメッセージビデオがあるというので、みた。
「え~、ここは僕の家のリビングです。このシートの青は、ハワイの青です。でも僕はここにはいません。ここにいるのは家の人です。僕は、あっちの端っこの狭い部屋か、スタバでスポーツチャネル三昧です」
「東京は緑が一杯あっていいですね。2010年にはライブをやりたいと強く思っています。木のあるところ。でかい木のあるところでやりたいと思います。皆さん、それまで元気で」
まったくしょぼくれた拓郎がそこにいた。痩せてしまって、迫力も気力も感じさせない。まさに「風」になってしまったんでしょうか?痛かった。そんな拓郎を見るのは痛かった。
皆さんお元気でっていうか、こちら側はいつも元気なんだ。そっちこそお元気でだよ!拓郎!
まぁ、800円が高かったか、安かったかというと、高かった。でも、楽しくなかったかといえば、楽しかった。
記念に、携帯ストラップを妻に買ってもらいました。
とってもうれしかったです。