【映画】真夏のオリオン | なんのこっちゃホイ!

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オラがアメブロ日記

僕は、潜水艦の映画が大好きです。

「眼下の敵」とか「レッドオクトーバーを追え」のような潜水艦の映画です。

なんといっても、潜水艦の任務は隠密です。忍びの世界です。

一旦、基地を出発すれば、その行動はすべてその艦に一任され、任務遂行に向けて大きな自由度を有しているので、艦長の判断や決断が非常に重要になります。

同時に、潜水艦の最大の欠点は、潜水していなければその存在価値がないということです。つまり、水の中に潜り、その身を隠しているからこそ、潜水艦は威力を発揮するので。ということは、常に酸素と、人間が吐き出す二酸化炭素、そしてバッテリー(電池)という問題を抱えているということです。これらの問題を念頭に置きながら、いつ浮上してこれらを補給し、いつ潜水して難を逃れ、どれくらい潜水して任務を遂行するかを、艦長は決めないといけません。


また、水上や空中にいる駆逐艦や探査機から見れば、相手は目に見えない訳で、完全に想像の世界の中で敵と向かい合うということです。つまり、激しい心理戦になるということです。駆逐艦は、爆雷を使って水中に潜む敵をやっつけようとします。しかし、爆雷攻撃は諸刃の剣。そのノイズは水中のノイズをかく乱してしまい、唯一の感覚器官である耳(ソナー)を失ってしまうことです。爆雷の音が落ち着くまでは、駆逐艦は相手を捕らえることができません。潜水艦もそうです。音を頼りに敵の位置を知り、敵の動きを読み、そして隙をついて魚雷を発射するのです。時には、自分の位置を探られないために、完全な無音状態を長時間保つ必要もありますし、逆に音楽や兵士による歌を大きな音でかけて、相手を驚かし、恐怖を与えるといった戦術もあります。レッドオクトーバーを追えでは、これが効果的に使われていました。深い深海へと姿を消していくロシア最新潜水艦、そして米国潜水艦が最後に聞いたものは、それは搭乗員が合唱する、ロシア国家であった。まさにミステリアスで恐怖を煽る設定です。


さて、真夏のオリオンには期待しました。

妻は主演の玉木宏に期待したようですが、僕は潜水艦と駆逐艦の、頭脳戦、心理戦に期待したのでした。


ところが、はっきり言って失望です。

艦長(玉木宏)の戦術も極めて一般的で新しみがありません。また、米国駆逐艦の艦長も、奇抜な作戦をとるでもなく、ただ爆雷を落としているだけです。深度の読みなど、多少の頭脳戦や心理戦はあるものの、物語全体の中では数%にすぎません。そのほとんどを占めるのは、メロドラマです。日本に残してきた恋人への思い、深海に沈んだ友人艦長へのアドバイス、お守り代わりの楽譜「真夏のオリオン」など、日本人的なお涙頂戴の仕掛けがこれでもかとばかりに登場します。これなら、別に舞台は潜水艦である必要など全くありません。


ちょっとがっかりな映画でした。

何故日本人は、この「お涙頂戴」と「泣いてください」の舞台設定なしに、映画が作れないのでしょうか。

戦争=ヒューマンドラマという方程式には、もううんざりです。