友人の薦めもあって、朱川湊人の作品を手にとって見た。
6つのお話からなる、短編集である。
「トカビの夜」
「妖精生物」
「摩訶不思議」
「花まんま」
「送りん婆」
「凍蝶」
どれもお話の舞台は、関西地方の昭和30年から40年の時代背景である。僕は、この世代の関西人なので、全編にどこか懐かしさを感じる短編ばかりだ。
その昔、「パルナス製菓」のコマーシャルが流れていた。どこか物悲しい、ロシア風のメロディーで、胸の中がシクシクするような、そんな曲だった。トカビの夜でそれが効果的に使われているが、この小説を読むまでは、そんなコマーシャルなど、すっかり忘れていた。パルナスピロシキ、パルピロパルピロ、パルピーロという感じのフレーズだった。
韓国人家族が、日本人が住む長屋に住んでいる。そこの次男が病弱で、学校も行けない。周囲の人達はどこか差別的で、あからさまに差別はしないものの、「あの家は怖い」などと噂しあっている。
そういうことは、確かに子供時代にあった。あれが、差別というものだったのだろうか。その病弱な子供と、同じ年頃の「僕」との物語。何とか子どもをなじませようと、韓国人の母親は、あれこれと世話をやき、怪獣図鑑を見せてやって欲しいと、「僕」のところに頼みにくる。それから交流が始まる。しかし、その子供が死んだ夜から、不思議な出来事が、近所で始まるという、ちょっとホラーちっくなお話だが、それがホラーとして「怖い」というより、どこか切なく、ホノボノとしているのだ。
妖精生物では、小さな瓶にいれられた不思議な生物を、学校帰りの道で買ってしまう少女のお話。確かにそういうおじさんが、学校の校門近くなんかにいたのを思い出す。色のついたヒヨコなんかを売っていた。僕が買ったのは、緑色に塗られたヒヨコだった。黄色いヒヨコの隣の箱には、緑色したヒヨコが売っていた。とっても不思議で不思議で、一匹いくらだったかもう忘れたけど、婆ちゃんにお金をもらって買った。しばらく育てたら、その緑のヒヨコは、白い鶏になった。とってもがっかりしたのを覚えている。小さい、妖精のような生物を少女は手に乗せる。不思議な感覚が少女を襲う。こそばゆいような、ぬるっとしたような。その感覚は少女の脳から体中に、これまで感じたこと無いような感覚で襲ってくる。怖くなって瓶に戻す。それは「快感」というものだが、少女にはその感覚の正体が分からない。妖精売りがいうには、決して大きな瓶に移してはいけない。妖精は瓶の大きさによって、成長が変わるからだと。しかし、少女はついにその快感を求めて、大きな瓶に移してしまう。あっというまに、元の大きさの倍にまで成長する妖精。始末に終えなくなった少女は、その妖精を・・・・
この作家さんの文章は、とても怖いけど、本当にどこかホノボノした感じを残していて、とっても耳障りがいい。
次の作品も呼んでみたいので、ブックオフへ走ろう。