2月2日(土)わが身を思う | なんのこっちゃホイ!

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世の中の、これでいいのか、こんなことでいいのかを描くブログ。そんなにしょっちゅう怒っていられないので、ほどほどに色々な話題も混ぜていきましょう。

中国産餃子の問題が、妙な展開を見せ始めた。材料に農薬が混入される確立は極めて低いと。仮にあったとしても、これほど高濃度な農薬が残留している可能性はないと。


先日ブログに中国人ということについて、やや批判的な内容を書いた。数名の読者からご指摘があった。偏見があるのではないかと。それで誤解のないようにするために、書いていなかった考えを書きたいと思う。


中国人のモラルの低さを、一気に解消する手立てはない。彼らがこれから得る「富」の力と、外国へ目を向ける姿勢がそれを実現するだろうと書いた。TVに出ている評論家も、そろって中国のモラルの低さと社会性のなさを取り上げて色々と言っている。そういう風にえらそうなことを言っている日本人であるが、実は日本人にだって、モラルの低い時期もあったし、社会性が低い時期だってあった。


昭和の時代を眺めれば、有毒物質を河川に捨てて、それで水俣病は発生した。一国の総理大臣ともあろうものが、総合商社と手を組んで、汚職に身を染めたロッキード事件なんてのもある。この歴史に対して、本当にモラルの高い国民であったといえるのであろうか。


現代にいたっても、政管の汚職は絶えることなく続いているし、道路族なってやつらが、自分の力を誇示し、自分の懐を肥やすために、必要でもない道路を作り続けている。これがモラルの高い国民のやることであろうか。


中国は、共産党一党支配のもとで、長年国を閉ざし、国民の基本的人権ですら危うい時代をすごしてきた。それが、日中国交に始まり、ついには国民の世論には勝てず、なし崩し的に開かれていく経済というものを、後追いするような形で経済の自由化を認めた。まだまだ、中国の国際化の歴史は始まったばかりである。日本人もわが身を振り返ってみれば、そういう時代を経てきたのである。生まれたときから、今の繁栄や社会があったわけではないのである。


今回の事件での中国側の対応は極めて素早いものとなった。中毒の発生から厚生省に事態が報告されるまで、年末年始を挟んだとはいえ、1ヶ月もかかった日本とはかなり違う。


同時に中国のマスコミでは、日本の過剰反応であるとの記事も出されている。対応を誤れば、中国国内で日本製品の不買運動に繋がる可能性もある。そうなれば、数年前の反日デモのように、再び日本憎しの感情が巻き起こる可能性もある。日本のマスコミは十分に注意して、感情的報道は控える方がいいと思う。


中国の対応が早いのは、明らかにオリンピックを睨んでのことであろう。このような食の問題が国際的に広がりを見せると、オリンピックのボイコットにも発展しかねないので、誠意ある対応を見せようとしているのである。本音はまだ見えない。


確かに中国人は、世界から見えれば大いなる田舎者である。どこでも大声で喋るし、携帯電話のマナーはひどいものだし、手鼻はかむし、団体で歩く。しかし、それは一昔前に、日本人に対して突きつけられた世界からの非難であったのではないか。日本人も偉そうなことは言えないのである。