2009年まで有効なパスポートを持っていたのだが、残りページが3ページになり、前回マレーシアへ行った時に入国管理に、「もっと空きページないと、次は入れてあげないからね!」と言われたので、仕方なく新しいパスポートを申請。今日、できあがったから川崎まで取りに行った。
川崎という町には行ったことがなかったけど、僕のイメージに反して、激しく発展している街であった。駅前になんたらいう(分からないじゃん、ね?)でっかいショッピングモールがあって、その中にはビッグカメラやロフトなんかが入っているし、セレブなブランドや、ギャルなブランドもどっさり同居していた。
何だか嬉しくなって、ウロウロとロフトへ迷い込んだ。ちょうど、2008年の手帳を売っていたので、いつもの「ほぼ日手帳」をついでにゲットした。2006年はオレンジ、2007年は黄色だったので、2008年はグリーンを選んだ。まるで信号である。
JRに乗って、武蔵溝の口へ。社中、パキかどっか、中央アジア系の浅黒おじさんが、電車の中で大声で電話をしている。みんな迷惑そうだが、何語を話しているのか分からないので、注意もできない。やっと電話を切ると、またしても新しい所へかけている。また終わると、またかける。ちょっと見かねたので、注意した。もちろん、英語で注意したのだが、日本語訳をつける。
「ちょっと旦那!英語は分かりますかい?」
「ああ、分かるよ」
「電車の中では携帯電話を使うのは禁止ですよ。ほら、そこにステッカーが貼ってあるでしょ?」
「何故禁止なのですか。仕事の電話してるんだけど」
「だから降りて電話してくださいよ。うるさいんですよ。」
「じゃ、小声で喋ります」と言って、再びダイアルをしている。海外にかけているようだ。
「ちょっと旦那!英語分かりますか?」
「分かるよ」
「日本は民主主義国家ですから、あなたには選択の自由があります。1つ目は、ここ日本のルールに従って、すぐに電話をかけるのを止めるか、降りて電話をかける。2つ目は、すぐに荷物をまとめて、自分の国に帰るです。分かりますか?」
「ああ!法律で禁止ですか?」
「法律ではないですが、日本人は法律で禁止しなくても、皆が禁止しているルールがあるのです。分かりますか」
「ああ。分かりました。ごめんなさい」
「いいんです。日本語で書いてあるステッカーは読めないでしょうから。気を悪くしないでください。でも他の場所でもルールは守らないといけませんから、ちょっとアドバイスしただけです。ごめんなさい」
その時、10人くらいのサラリーマンのおやじ団体が乗り込んできた。こいつら、酔ってるようには見えないが、とにかくうるさい。ゴルフのスイングの真似したり、何をそんなに盛り上がっているのか、分からないがうるさい。するとその浅グロ外人が僕に言った。
「ちょっと!親切な旦那。いいですか?」
「なんでしょう」
「あなた、さっき私の電話がうるさいと言いましたね?でも私には、彼らの方がずっとうるさいような気がしますが、あれにはルールはないのですか?」
「ああ、あれはバカと呼ばれる生き物で、普段はそんなことはないのですが、盛り上がると理性を失う生き物なのです。だから、気にしないでください。あれを取り締まるルールはないんですよ」
「電話はうるさいからダメだけど、盛り上がってうるさいのは迷惑ではないというのは分かりません」
「一般に、日本では家庭ないし小学校で公共施設でのマナーを教えます。あのバカという生物や人種は、それをすっかり忘れてしまっているんですね。だからバカと言います」
「日本は不思議な国ですね?」
「ごもっともです」
で、何で電車の中で携帯電話は通話禁止なのかを改めて考えた。確かに高校生ギャルや、一部のおやじ、おばさんは電車の中でうるさい。それは禁止でないのに、何故携帯電話は禁止なのか。中国や香港では、エレベータの中ですら、電波がなくなると大騒ぎするので、アンテナが付いている。そして、電車やバスに乗るやいなや、すぐにどっかへ電話を始める。話の内容は、大変つまらないものが多い。「そう、私ね、今ね、電車に乗ったの。あなたは何しているの?え?私?私はねぇ、これからお買い物なのよねぇ。」なんて会話である。それが、地下鉄の騒音に負けないように全員が大声で話すので、もう、頭がおかしくなりそうになる。公共のマナーも分かってない発展途上の人間に、こんな迷惑な玩具を渡すからいけないんだ!と本気で怒り狂っていたことがある。
やはり、日本人も禁止でなければ、こうなるだろうか。一部はなるだろう。大多数はならないだろう。日本とアジアの決定的な違いは、携帯電話の通話料が、アジアは日本の3分の1から4分の1だということか。だから日本の携帯電話の通話料を下げると、似たような状態になってしまうかもしれない。ならないかもしれない。だけど、日本人の「周りへの気配り」という文化がある限り、アジアのようにはならないだろう。それが最後の日本人の良心なのかもしれない。
そうして、その浅グロ外人と僕は、溝の口に降り立ったのであった。