中国の不思議な資本主義(その1) | なんのこっちゃホイ!

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世の中の、これでいいのか、こんなことでいいのかを描くブログ。そんなにしょっちゅう怒っていられないので、ほどほどに色々な話題も混ぜていきましょう。

この話は長くなるので、3回に分けて連載したい。

今回は、その1である。



急成長を続けている中国。

その背景には、一見矛盾した一国二制が実施されている。

政治的には社会主義だが、経済は資本主義。

この不思議な矛盾と中国人の人種としての文化や行動、発想を面白く、興味深く解説している。

中国をビジネスで訪れた日本人が、誰もが一度は、「なんでやねん!」と言いたくなる中国人の不思議な言動と経済の関係とは。


①社会的規範が希薄であるが、仲間内の規範は決して破らない

日本人が「社会」という時、「社会」には暗黙のルール(規範)があり、誰もがそれに自然としたがって生活している。そのルールを破る者たちは、ある意味、異端者として社会から排除されていく。ところが日本でも、おやじの「最近の若いものは!」発言に代表されるように、若者が独特の規範を作りはじめているから、やっかいである。

ところが、中国人にとっての社会とは、「ただそこに存在しているだけ」なのだそうだ。

つまり、そこに集っているだけなので、規範等という考え方はきわめて希薄であり、それぞれが、それぞれの利益を求めて、好き勝手に振舞っている。信号を守らないなんてのは当然で、まず中国人は「列を作れない」。

並んで待つということができないので、堂々と割り込みをする。これは日常的に見られることで、日本人が一番最初に中国でむかつくことではないだろうか。人が並んでいるのに、その前に堂々と割り込んでおいて、人の足を踏んでも「没関係(大丈夫)」などという。踏まれたのは僕であるから、「大丈夫です」とは僕のセリフであるはずだが、中国ではなぜか、踏んだ人が言う。


空港では、チェックインカウンターがごったがえしている。それはもう、半端でなくごった返している。並ばないで、みんな好き勝手にカウンターへ行くものだから、もうほとんど無秩序な状態になっている。すると、警備員のような人がやってきて、「チェックインするなら、俺に任せろ」という。航空券を取るなり「こっちへこい」と言って、人ごみから外れたカウンターへ行き、なにやら話すと、ボーディングパスが実にスムーズに出てくる。「いやいや、ありがとう」等と言って100元渡すと、300元くれという。なぜなら、そのカウンターにいる友達(朋友-ポンヨーと発音-)にもあげないといけないと。朋友というのは、いわゆる「親友」のことだと思っていたが、正しくは「利益を共有する友達」のことだとこの本で学んだ。


政府は、秩序を維持したり回復するために、様々な規制を加えてくる。

それに対して国民は「上に政策あり、下に対策あり」と言って、必ず朋友を通じてなんとかしてしまう。これが賄賂に繋がり、さらに社会を複雑にしていくのだそうだ。カウンターの一件と同じだ。中国の人は権限をほしがる。つまり、利益を独占できる権利のことだ。この場合、責任は伴わないので、日本語のそれとは、若干語幹が違う。カウンターの職員も、小さな権限を行使しているわけだ。彼、彼女が「うん」といわない限り、飛行機には乗れない。気に入らなければ「この航空券は偽者だ。乗せない!」等と訳の分からないことを言っているのをよく見る。この小さな権限を満足させてあげると、物事は実にスムースに運ぶ。ここにも利権が存在している。

中国では「サービス」という感性が非常に鈍い。最近は改善してきたと体感できるが、以前はひどかった。デパートで、「これがほしい」と言っても、おねえさんが「面倒だ」と思えば「没有(ない)」と調べもせずにつき返すのは当然だった。銀行のカウンターも例に漏れず並ばない人達でごったがえしている。ちょっと両替したくても、とんでもない混沌を覚悟する必要がある。どんなに大勢のお客が待っていても、どんなに多くのカウンターがあったとしても、何故か一人か二人しか働いていない。別の職員は弁当を食っていたり、同僚とお喋りしている。これでは客は怒り出すに違いない。そこで、銀行は「先着順の紙を出す機械」を設置した。職員の接客態度を若干改めるだけでかなりの効果が期待できると思うのだが、機械を導入した。銀行に入った人は、まずこの紙を取って待合室で座って待つ。順番がくると、カウンターの上に番号が出されるので、自分の番号が出たらカウンターにいくというものだ。これで「混沌」は解消したかにみえた。ところが、朝からきてこの番号札をまとめてとる奴らが現れた。しかも、あろうことか、この札を銀行に来た客に売りさばくのである。「ほら、あと3人だよ。どう?10元」などといって売っている。社会の規範より個人の利益を追求する姿勢の現れであり、これが「上に政策あれば、下に対策あり」の実現である。


このように、社会的利益や規範には全く無頓着で、自己の利益を限りなく追求する中国人であるが、こんな話が紹介されている。中国人のAさんは、米国留学を終えて、米国の企業に就職することができた。中国の水準から見ればはるかに大きな収入を得ることになったAさんは、余剰資金を中国で貯金しようと考えた。ところが、ドルを元に替えて中国へ送金すると、為替のリスクと手数料がかかる。そんな時、別の中国人Bさんとであった。彼は留学生として米国にきており、生活が苦しいので、中国の母親から送金を受けている。同じ問題をBさんも抱えているというわけだ。そこでAさんが提案した。「じゃ、あなたに私がここでドルをあげましょう。だからあなたのお母さんは、私の中国の口座に、元を入金してください。」これで、問題は解決である。この時、AさんとBさん、そのお母さんは朋友になったわけである。その後、Bさんの勉強期間中5年間、この支払いは一度も滞ることがなかった。一方、日本の自動車メーカーが中国へ進出。販売会社を設置して、ディーラー開拓を始めた。これまでもこの自動車を販売していた総代理店があったので、ディーラーはいくつもあったが、そのディーラー選択方法は、賄賂であった。総代理店の営業に賄賂を贈ってディーラーにしてもらえば、大きな儲けが期待できるからだ。日本人社員はこれをただちに改めて、公正なディーラー選定を導入した。そして、中国人の収入からすれば巨額の買い物である日本製自動車を買いやすくするため、日本と同じ「ローン制度」を導入した。その後、車は飛ぶように売れた。1年後、未回収のローンは貸し出し全体の70%にも達し、残り30%は、ローン契約2ヶ月未満のものであったと。社会規範がない中国では、他人からの借金を返済するようなやつは、バカである。


前者の話と後者の話を比較すれば分かりやすい。

中国人は閉じた社会(お友達、血縁、地縁)では決して裏切らないが、それが開かれた社会となると、とたんに規範をなくす。最も大切なルールである「借りたものを返す」という基本ですら、守られないのだそうだ。



つづく