今日は、娘の部活もお休みでしたので、娘と共に、実家へと行って来ました。
まだこの先の、自分の仕事の行く末が見えていないので、何とも言えないのですが、こうして土曜に行けるのは、もうあまり無い事と思い、かなり前から娘には言って有ったので、行ってまいりました。
しかし、娘はまだ、夏休みの宿題が終わっていないので、実家へ行っても宿題をしていました。
もっと計画的には出来ないのかな?と、思いつつも、自分も娘と同じ年代の頃は、ギリギリまで掛かっていた様な覚えが有るので、あまり強くは言えません。計画的に、早めにやる様になったのは、高校生になった時位で有ったと思います。
しかし、本当に計画を立てて、物事をする様になったのは、社会人になってからです。
今でも忘れはしません。まだ、20代前半の結婚する前位に、丁度異動をしたばかりの頃、その上司に当たる人に怒られた事で、初めて計画を立てて、仕事しないといけないと言う事に気付かされました。
その時は、ある曜日に、1週間の工場へ入荷させる原料の量の決定と、入荷させるスケジュールを立てる日で、その仕事を初めて教えて貰う時の事でした。
今で有れば、間違い無くその日までに事前準備していたと思うのですが、その時は、そういう概念を持ち合わせていない状態で、何も準備もしないで、その日を迎えました。
結果的には、その日で終わらせ様とするには、やって初めて仕事のボリュームの多さに気付き、当時としては、長時間残業をして、仕事を終わらせた事を覚えています。そして、その教育の為に、一緒に残業しながら、仕事を教えて頂いた上司も、当然一緒に残業でした。
実は、この上司は、自分が準備しないでいる事を、数日前から把握をしており、あえて自分にその事を教えなかったのです。ここで、誤解が無い様書いておきますが、意地悪でもいじめでも有りませんので、そこは、上司の”愛”だと思って下さい。この後理由を書きます。
どうして、判っていたのに教えてくれなかったのか?それは、身を持って、自分に自覚させる為に、そうしたのでした。準備をしないと、これだけ仕事は大変だと。そして、今日と言う日を迎えるに有ったて、何を準備しておくべきか考えておく、と言う事をです。
今迄、大卒の中に混じって、高卒の自分が、大卒の人達と変わらないだけの仕事が出来ていたので、周りはそれなりに出来るであろうと、中々配属されない原料の発注・入荷・在庫管理をする部署へと異動だったのですが、ここで初めて、まだ自分が成長しなけれなならない事が有ると、”体験”として知ったのです。ある意味、伸びきった鼻を折られたと言っても良いでしょう。順風満帆だと思っていた自分には、エポックメイキングで有った出来事でした。
当然、わざと何も言わなかった上司も、こうなる事が判っている=残業にいくらでも付き合う覚悟が有ったと言う事です。そうまでして、自分に仕事の段取りとは何か?優先順位をどう付けるか?決まった曜日・日付に行う物は、それ以前にやらないで良いのか?と言う事を教えて頂いたと思っています。
小さい事は別にして、この上司に、頭から怒られたのは、これが最初で最後で有ったと思います。
ちなみに、この時の発注の前任者は、引続いて在籍していましたが、自分が頼りにしない様、休みにすると言う手の込み様でした。結果から言えば、見事上司の策略にはまりました。
この時、こういう事をして貰っていなければ、今の自分の仕事のスタイルや考え方は出来上がっていなかったと思っています。。もちろん、プライベートにおいても応用はしています。この病気になってからも、初めて行く診療科には、何を準備して行けば良いか考え、メモを作っておく事も有りました。今でも、あの時の教訓が活きています。
しかし、そこまで考えても出来ない仕事が世の中に有る事を知るには、この先約十年後に、自分の身に起きた異常=頭痛が有るまで、知る由は有りませんでした。
そう思うと、いくら自分が出来る・強いと思っていても、時として、その事を破壊し得る事を、今は、しみじみ体で体験させて頂きました。
今後、どういう仕事が自分の身に降り掛かって来るかは判りませんが、今迄体験した事を忘れないでいたいと、娘の今の状況を見て、つくづく感じた日となりました。