支離滅裂なスタートラインの確認 | ひよよのブログ

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ペタ返しも、同じ様に思って頂けると有難いです。
アクセスランキングとは縁の無いBlogですので、ペタ返しを希望でのペタは対応致しかねます。

ちょっと今日は、自分自身の病気の向き合い方の付いて、書いて見たと思います。


まず、自分が”うつ病”かどうか、周囲の人に言っているかどうか?

これは、おおっぴらに、自分から話して、余程話しをした事などでは無い限り、今自分が居る店の中で、知らない人はいないと思います。そして、それについて、偏見だとか近寄りがたいなど、去年と違った態度を取って来る人もいません。去年居た時と同様に接してくれていますし、会話も普通にしています。


ただ、唯一違う点が有るとすれば、それは、自分に対して、体力的な部分でどうしても克服できない部分については、必ずフォローをしてくれる事です。特に、職場復帰直ぐの時は、売り場作りや発注についての相談に来るパートさん達は、今までと変わりがなく、話しをしに来ていました。しかし、品出しやレジ応援等で、どうしても体力が続かない時は、誰かしら率先して、変わって引き受けてくれました。特に、デイリー部門(今自分が居る部門)のパートさん達は、それが”当り前”と言わんばかりの状態でした。


今は大分体力的には戻って来ています。正確には、抗うつ薬の副作用に慣れたんだと言うのが、本当の所かも知れません。しかし、自分も今日、これを書きたいと思って気が付いたんですが、多分間違い無く、自分が出来ると判断したら、そっと自分が仕事が出来る様に身を引くと言うか、任せてくれていた様な気がします。


今迄のBlogにも書いて来た事では有りますが、中々体力的に厳しくて、良く小休止を入れる事が少なく有りませんでした。しかし、決してさぼっている訳では無く、また、産業医からの作業軽減命令も出ていますから、周りもそれを承知してくれた上で、時には休んでいてね」と言いながら、変わって仕事をやってくれたパートさんは、少なく有りません。


この様に、今は良好な関係を築けていますが、これは、簡単にこう言う状態になった訳では無い思っています。闘病記の中にも書いた事も有りますが、この店舗では、まだ”原因不明な頭痛”で有った頃、よく怒鳴り散らすは、物に当たるはで、かなり”兇暴”な状態に有った事も有りました。それは、満足に仕事が出来ない鬱憤そのもので有ったと言っても過言では無かったと思います。そういう自分に気が付いて、当時、デイリーチーフで有った自分は、自らその地位と、この店舗からの異動を願い出ました。


そして、運命の巡り合わせか、労災で一か月休んだ後に、その時所属していた店舗は何とかなるから、今の店舗のグロッサリーの応援と言う形で、異動してくれないか?と、当時の人事課長から言われ、今の店舗へ再度戻る事になりました。この間約一年半くらい間が有ったと思います。

そして、その時「あの○○が帰って来る」「また”キレル”のかな?」「よりによて、何で○○が」と、当時は噂が有ったと、当時の店長に、着任の時に言われました。


しかし、すでに自分の心の制御を少しを覚えた自分は、今ほどでは無いですが、割合と穏やかなままに過ごす事が多く、居なかった一年半に見つけた知識と経験で、当時は有りえなかった、職員のレジ応援やカウンター応援と言う事をやってのけました。また、グロッサリーの応援から、これは事務的な事なので、仕事の内容が変わった訳では有りませんが、「研修」と肩書が変わりましたが、当時は、グロッサリーの中でも、「酒類」のカテゴリーの売り場と発注を任せられていましたが、様子を見ては、デイリーの応援や上記の通り、レジ応援等をやっていました。

気が付けば、失われていた信用が、いつしか信頼と期待を持たれる立場へとなっていました。これも、運がいい話で、当時の店長が、自分がやっている仕事の中身について、評価してくれた上に、後押ししてくれた事も有りました。その後、こういう仕事のスタイルが、後の今の状態へと繋がるとは、当時は考えも及びませんでした。


そうやって年末を越え、調子も良くなった事から、別の店のグロッサリーチーフでの栄転となりました。しかし、病気の件で、夜間に跨る仕事を禁止をすぐさまされてしまった為、3か月で、別の店のデイリーサブチーフとして異動となり、一歩進んで二歩下がる結果となりました。しかし、ここで運命のいたずらか、とうとう”うつ状態”を呈し始め、やっと”原因不明な頭痛”から”うつ病”が原因の頭痛と判明し、治療の為、休職する事となりました。

そして、社会復帰のリハビリとして、配属されたのが、三度目の今の店舗のデイリー部門となったのです。


こういう歴史が有り、自分がどういう状況に有ったとか、辛い思いをしていたか、良く知っている人達ばかりの中に入った訳ですから、当然、”原因不明な頭痛”がなんだったのか、キチンと説明する”義務”が、自分には有ると考えていたのです。また、自分の組織の中でも、”うつ”で休職する人が増えつつ有る状態で有ったので、ここは、自分を見て貰って、少しでもこの病気を理解してくれる日が増えてくれれば良いと考えたのも、一つの理由です。

もちろん、作業負荷軽減措置がされている事も有ったのも有ります。


こう考えれば、今の店舗と、自分の病気との闘いの中での結び付きは、偶然と言う言葉では無く、”運命”としか呼べない結びつきが有ったと思っています。


今は、とても楽な気持ちで仕事をさせて頂いています。先日書いたチーフへの宣戦布告も、今迄の経緯が有って、どの様にしたら、この店の為に何がしてあげられるだろうか、と言う気持ちの中での、一つの形で有ると考えています。もちろん、自分の為である事も間違いありません。


多分、こういうケースはレアケースだと思います。そして、自分の持って生まれた”性格””気性”も有る事も否定しません。

誰もが、こう言う事をすれば良いんだ、と言う事が言いたい訳では有りません。キチンと過去の経緯が有って、今の状態が有る事を、今一度振り返って見たかったのです。

最近、自分が調子が良い話ばかりを書いて来たので、有る部分では、誤解を受ける部分も有るのではないかと考えました。それは、ペタの数が、ここ最近増えたからです。しかし、過去を知らずに、このBlogを読んで頂いては、良い事しか書いていないBlogにしか見えないかも知れないと、ちょっとネガティブな考えも浮かんだのも有ります。


簡単に言えば、自分は、簡単に今の良好な状態を手に入れた訳でも、簡単に”うつ”の治療に入れた訳では無いと言う事です。”原因不明な頭痛”が始まったのが、2004年3月26日です。

もう5年近くこの病気と付き合った来ています。それも、”うつ”だと気付かず、”原因不明な頭痛”として、ほとんどの歳月を、この5年間過ごして来ました。


ちょっと、段々支離滅裂になって来ましたが、ひとつだけ自慢出来る事が有るとすれば、”うつ病”になった事です。何故これが自慢なのかは、最近のBlogにも書いてある通り、この病気なっていなければ、得られなかった仕事のスキル。出会えなかった人達。気付けなかった自分の人生や生き方。そして、人との接し方の大事さ。


今日は、ここで終わりにします。特に何か有った訳では有りませんが、何となくスタートラインの確認みたいな事をして見たかった、そう解釈して頂ければと思います。


では、今日はお休みなさい。