新年あけました
2023年良き1年となりますように…✨
こちらのブログにも以前からの方が来てくれてありがたく思っておりますm(_ _)m
つわりは6週半ば頃から少し緩和され、ムカムカするけど、そこまでではない。
その時々で食べられそうなものを食べる…。
食べたいと思っても次の日には食べられない…という感じで食材が溜まっていきました
7週入る頃には食べられる時にモリモリ食べられるようになり、むしろお腹空く?感覚のような。
無性に梅おにぎりが食べたくなったり…
甘いもの好きなのにそれは食べたくない…
お店のお惣菜コーナーが苦痛…
7週半ばにはまたムカムカゾーン突入
常に気持ち悪い…横になりたい…
いやはや、人間の身体って…すごい…
自分の身体なのになんか変な感覚です。
何せはじめてのことだから、自分がどうなるのか、つわりの辛さはどんなものか…恐怖しかなく、1日1日を「あー今日は乗り越えられた」とやり過ごしている感じです
今は辛い状況でとにかく早く時よ過ぎてくれ…と思って過ごしてます…
7w4d 診察当日
14:30〜15:00 予約
14:25 受付
14:50 2階受付の方から4階へ行くよう指示
なぜ…4階…こわい…いつも2階なのに…
15:45 内診室
いつもの先生がいらっしゃらないのでお美しいN先生で予約。
そういえば…N先生の時は4階だったな…
きちんと挨拶してくださって内診スタート。
1つ目の胎嚢
CRL5.5mm
(6w2dの診察でどちらもCRL4mm)
あ、全然大きくなってない…
ダメなやつだ。
2つ目の胎嚢
CRL14.9mm
二頭身のような…クリオネ?キューピーちゃん?みたい?…
心臓をグラフみたいに計測してくれ…
波波波波〜って細かい波形。
ドッドッドッて音も聞こえました。
こっちの子は大丈夫そう…
先生がエコーを1つ目の子に戻して
👩⚕️「この子は前回から大きくなれてなくて、心臓も止まってる。」
エコーを2つ目の子に戻して
👩⚕️「比べるとわかると思うんですけど…。診察でお話ししますね。」
ドキドキ。
自分の鼓動が早くなるのがわかりました。
深呼吸しながら支度をして、隣の診察室へ。
👩⚕️「1人の子は残念ながら心臓が止まっています。もう1人の子は順調で8w2d相当です。」
動揺しながら…
「ダメになってしまった子はどうなるんですか?」
👩⚕️「この大きさならそのまま吸収されるので出血や処置はなく、自然になくなります。」
…そうなんだ…
流れ出てくるでもなく、吸収される。
後ほど調べてみたら「バニシングツイン」と言われるもので、なぜ亡くなった子が母体に吸収されるかは解明されていないと。しかも怖いこと書いてありました。ごくまれに亡くなった子が母体に吸収されず残った子に統合してしまう寄生性双生児になる。さらに亡くなった子が染色体異常の可能性が高いためNIPTがその子の染色体を拾って偽陽性になることもあると。
👩⚕️からは双子ではよくあること。
初期の段階なので残った子にも母体にも影響はないから、と言われました。
前回の血液検査の結果のお話がありました。
免疫寛容の数値が16から19に上がっており、タクロリムスの数値が2〜3欲しいところ1.8と少なめ
…ということで1,100円のお薬が1錠増えました
こんな薬飲んでいいのかい…
赤子に影響ないのか逆に不安になります。
しかもクリニック卒業までなのにあと2週間?意味あるの?卒業後は飲まなくなるんでしょ?飲むのに抵抗ありましたが、バニシングツインで戦意喪失。話を聞いていることしかできませんでした。
処方薬は…
エストラーナテープ終了
ルティナス、タクロリムス(ブログラフ)継続
あっさり診察室を出て、処方薬を待ちました。
16:10 採血室
看護師さんと処方薬の確認。
次の通院分まで出してもらいました。
16:15 お会計
33,930円
タクロリムス〜💸
双子で前回同じくらいの大きさで微かな心拍も見れて、安心してしまっていました。
生命が誕生することがどれほど狭き門なのか、甘く考えるなとビンタされたような衝撃。
そりゃそうだよね…
この年齢で双子が無事に産まれてくるなんて…そんな奇跡中の奇跡…私にあるわけない。
正常胚の確率が低すぎる高齢で2つとも染色体異常のない胚である奇跡…私にあるわけない。
でも微かに…確かに…動いていた心臓。
双子に対して不安になる弱気な私を気遣ってくれたのではないか…とか、喜んであげられなかったからか…とか考えることは果てしなく…
残った子にきっと生命を託して旅立ったと…なんとも都合の良い解釈をしてみたり…
覚悟をするまでにはなっていなかったものの…少しずつちゃんと考えなきゃと思いながらいました。
高齢の双子でも大丈夫な病院を探してみたり…
役所に問い合わせしたり…
私方の母にも必ず支援が必要になるので、正月に旦那さんと行った時に話をしました。
母は忙しい人で仕事だ〜付き合いだ〜旅行だ〜と飛び回っています
まだまだ無事に生まれてこられるかわからないので言うのも躊躇しましたが、いかんせん43歳の双子…。
さらに我が家には動物がわんさかいます
身体的にも生活的にも私たちだけで乗り越えられるかという心配があり、母にも頭に入れておいてもらおうと。
さらに旦那さんと実家に行く機会がほぼないので、お正月なら不自然な訪問にならないし…と早い報告となりました。
いや〜早かった…
口火も話も全て旦那さんがしてくれると。
喜んでもらえるかな〜
え!なんて嫌がられたらどうしよう〜
…なんて色々考えていたり。
なんて言い出そう〜なんてあれこれ2人で話していましたが…
当日実家にお邪魔し、ご馳走諸々いただき、お腹いっぱいになって帰り時間になってもまだ言い出せない旦那さん。
チラチラ視線を送られながらも私は黙って…そしてお腹いっぱいになり、ホットカーペットのあたたかさで横になってました。
そして…意を決して…旦那さん…
持ってきたエコー写真を机へ…
母「ん?なに?これ?」見てもわからず…
旦那さんが寝転がっている私のお腹を叩いて「ここにいます」みたいな感じでいうと…
母「えーーーうそーーー」
…ととても喜んでくれました
双子で援助が必要になること、身体への負担のこと、などなど夏前くらいからもしかしたら支援が必要になるかも、もちろん無事育たないかもしれないことも…旦那さんが色々話してくれました。
私は寝転がっていたので母の顔は見れなかったのですが、帰りの車で…
わかった瞬間、母の顔がクシャッとなって号泣してたそうです
そして滅多に泣かない旦那さんもそれを見てかなり胸に重くきて、もらいそうになったと言っていました。
その話を聞いただけで、私も涙…
目の当たりにしてたら2人で号泣だったな
よかった、見てなくて…
母もおばあちゃんになりたかったのかな…
私が治療してることだいぶ前に話したことあって、触れることはなかったけど心配してくれてたのかな…
母に対して会うと冷たくあしらってしまうことも多いけど、やはり母は母です。
ましてや一人娘。
父も数年前に亡くなっています。
いつでも私を心配して、無償の愛を注いでくれます。
私もそんな母になりたい。
そして母をおばあちゃんにしてあげたい。
なーんて…また一つ、双子の母になる覚悟ポイントを貯めた矢先に…
やばいそ、これ、母になんていうか…
こんなにも早く双子の可能性がなくなるとは…
これはきちんと方向性が決まってからの方がいいよな…
妊娠報告は…ホントタイミングが難しいですね
調べた時に双子の妊娠報告は8週以降がいいと書いてありました…
ただ…妊娠報告をしていなければ、母が双子を授かった喜びを味わうことはなかった…純粋に喜んで涙してくれた気持ちは尊い体験だと、ガッカリさせてしまうけど、報告しておいてよかったと私は思いました。
私の人生に双子がお腹で生きていた…という体験はトップクラスの重大歴史になりました。
1人でも無事出産して歴史史に大きく掲げたいところです…
しかしながら…もう1人の子が無事に育って産まれてきてくれるかも自信がなくなってしまいました…
いかんせん、不妊歴6年ですから…
こわい、こわい、こわい…
いやいや、そんなこと思ってたらダメ!!
3つの中から残った子はきっとたくましく生まれてきてくれる!!
ましてや高度不妊治療して3年、数々の卵の中からここまでがんばってくれてる子は初めて。
信じますきっと大丈夫。