奥護因社について | 日吉大社公式ブログ「日々よし」

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日吉大社での日常や日々のご奉仕についてご紹介いたします♪

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 

暑さ寒さも彼岸までと申しますが、

みなさま、いかがおすごしでしょうか?

 

さて前回 奥護因祭のご案内とともに

奥護因社の由緒についてご案内しました。

今回はその続きです。

 

①由緒

奥護因社の由緒をおさらいしますと。

奥護因社のご祭神は『樹下僧 護因の霊』と言い

『樹下僧夏堂衆(げどうしゅう)』という

日吉大社に仕えた法師です。

山王曼荼羅には 僧形で嘴(くちばし)があるお姿で

描かれています。


②伝説

『後冷泉天皇』は在位が長く、その皇太弟の

『尊仁(たかひと)親王(後三条天皇)』は

皇位に就くのは難しいのではないかと思い悩み、

『御願書』をしたためて、延暦寺の『覚尋

(後に35代天台座主となる)』に西本宮まで

届けるように仰せられました。

大宮橋3

 

しかし天皇陛下のご安泰を祈願する『護持僧』という

立場にあった『覚尋』は、西本宮まで向かったものの

どうしたものかと、困り果てていました。

image

 

すると『護因』がやってきて、誰も知るはずのない

『御願書』を預かって取り次ぐと申し出たのです。

なぜ『御願書』のことを知っているのかと、問い質すも

護因は答えず、ついには預けることにしました。

 

そして暫くもしないうちに『後三条天皇』が即位され

報謝の意を込めて 延久三年(1071)日吉大社に

初めて行幸されました。(以来、歴代天皇行幸の

端緒となりました。)

 

このように『行力(仏道を修行して得た力)』のある

『護因』ではありましたが、没後、人々を悩ませることが

間断なく続き 社殿を建立して崇め奉ったところ

次第に収まったといいます

 

この『護因社』ですが、大津市坂本に三所あります。

『奥護因社』は廟所で御霊を清める優れた場所とされ

辻護因社(坂本3丁目 石動神社)』は房跡、

『内井の護因社』はもともと東本宮本殿裏に

ありましたが小谷川の大洪水の際に流され山王祭の

神輿宿院(大政所)の近くに流れ着いたため

流護因』と名付けられました。

 

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今年は、最も遅い猛暑日を更新したとのことですが

朝夕は涼しくなってきました。

お体に気を付けてお過ごしください。