おはようございます。こんにちは。こんばんは。
ようやく梅雨も明けたようですが
皆様いかがお過ごしでしょうか
さて前回に引き続き
唐崎神社のご案内です
①山王祭と唐崎神社
前回において、西本宮の大己貴神様が琵琶湖を
渡ってこられた旨を説明しましたが、この時に
大津膳所の漁師である『田中恒世』の船に乗られ、
そのおりに『恒世』から粟のご飯を献じられたことを
大層お慶びになり、神様は『恒世』に毎年一度、祭礼を
行なって粟の御膳を献じることを 命じられました。
以来、毎年卯月には『榊』を奉じて日吉大社より唐崎に
神幸し、永代『田中恒世』の子孫(膳所五社)が
『粟津の御供』を奉仕することになりました。
その後、桓武天皇が当社に当社に二基の神輿を
寄進されて以降は『榊』に代わり『神輿』で神幸が
行われるようになりました。
②唐崎の祓い
平安時代中期以降には陰陽師の公事である
『七瀬の祓い』(毎月、又は臨時に吉日を占い、
天皇の災禍を負わせた人形の撫物を七つの川の瀬に、
人を遣わせてさせる祓い)の一所とされたり、
藤原道綱の母の『蜻蛉日記』、藤原道長の『御堂関白記』
藤原実資の『小右記』などにも、『唐崎の祓い』について
ふれられていたことなどから平安時代においても
唐崎神社は『祓いの聖地』であることが認識されていたと
考えられます。
③源氏物語と唐崎神社
来年のNHK大河ドラマは『光る君へ』という事で
紫式部と源氏物語が題材とされますが、源氏物語にも
『唐崎の祓』という言葉が出てきます。
それは第21帖『少女(おとめ)』で
主人公『光源氏』の家来の娘が『豊明の節会』で
舞姫を勤め、そのまま宮中で奉仕するようにとの事でしたが
いったん退出して『唐崎』で『祓え』を受けたとあります。
ほんの一文ですが、ここからも『唐崎』が祓いの聖地と
されていたことが伺い知れます。
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現在でも唐崎神社では毎年7月28日に『祓』のお祭りである
『みたらし祭り』を斎行しています。
夏の暑い盛りではありますが、夕方六時から
『祭典』を執り行い『茅の輪くぐり』や、『人形流し』
『湯立て神楽』等をご覧いただければと思います。
また八時からは勇壮な『手筒花火』の奉納もありますので
ぜひお越しください。