舞台CZ再演千秋楽。 | 日和佑貴オフィシャルブログ「徒然日和」Powered by Ameba

舞台CZ再演千秋楽。


こんにちは。日和佑貴です。


昨日、『CLOCK ZERO~終焉の一秒~A live Moment 再演』、無事に千穐楽を迎えられました。

今回、2013年9月に初演で放浪者をやらせていただき、再演という形でまた同じ役をやらせていただけて、僕自身初めての経験ができました。

そして前回とは違い、有心会ルートもあり、前回よりも深く放浪者について考えることができて、クロックゼロという作品がもっともっと好きになって。

キャスト、スタッフの皆様、演出家の御二人、脚本のChaniさん、原作者の島さん、歌唱指導のあず先生や、そしてもちろんご観劇くださりました皆様、本当に本当にたくさんの方々のおかげで、舞台『CLOCK ZERO』は成功できたと思います。


本当に本当に、ありがとうございました!!






ただ、僕自身は、悔しくて、泣きそうで、必死にこらえて、後悔して、ふがいない自分を目の当たりにして、でも過ぎた時間は絶対に取り戻せないことも知っていて、旅立つレールも見つからないまま、途方もあてもなくさまよって、もがいて苦しくて辛くて、もうダメだって本気で何度も考えて、何かや誰かのせいにするのは楽なのだけど、そこには絶対に逃げたくなくて、なのに前を向くことも後ろを振り返ることも怖くて恐ろしくて出来なくて、そしたら自分の五感の全てが閉じたように何も感じなくて、どうしていいのかもわからなくて、塞ぎこんでしまって。

それが、ずっと自責の念や後悔や全てを抱えてきた放浪者に似ていたのかもしれません。自分の中の僅かな希望とともに。

僕は、有心会ルート千秋楽の日に初めて人前で大号泣してしまって。涙ってこんなに出るんだって。僕は、舞台上では芝居以外で絶対に泣きたくないと思っています。あくまでも、作品がベースにあって、もちろん全身全霊で臨みますから、思い入れ等たくさんあります。
反対に、ずっとブルブルしている心を見てみぬふりしていて、そしたら一気に溢れ出てきてしまって。

まだまだな自分を直視して、本当に、人生で一番悔しかった。自分の役割の意義とか意味とか。

本当に、まだまだなのよ。


CLOCK ZEROという作品は本当に素晴らしいし、とても大好きです。

だからこそ、同時に嫉妬してしまう程悔しくて。

舞台という空間で、ご来場いただいた皆さんのほとんどが、原作をプレイしたことがあると思います。

そんな皆様の記憶とリンクし、大きな感動になったのだと思っています。



1人の人間としては、嬉しく思います。



長くなってしまいました。


舞台CLOCK ZEROの幕は降りましたが、日和佑貴はこれからも走り続けていきます。


最後に舞台のセリフ。


『何があっても、お前の永遠の味方でいる。だから、笑ってくれ。』





































ご来場くださりました皆様、応援して下さった皆様、本当に本当に本当に、ありがとうございました!


千秋楽日和