日和佑貴オフィシャルブログ「徒然日和」Powered by Ameba




1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

試合に負けた友人に声を掛けるか掛けないか。



試合に負けた友人に声を掛けるべきか。




小学生の頃、道徳の授業で先生から出された問いです。

丁度、小学生も高学年の頃で、

部活動も自分たちが主体で、勝負への勝ち負けの意味もわかり、悔しさだったり励ましだったり、

色んな気持ちを自分の気持ちとして認識することも増えてくる時期。




学校というコミュニティの中で、大半の子供たちは学校の中で集団生活を共にしていく。


先生や先輩や後輩という関係性を学ぶのも丁度このくらいなのかな。


そんななかで、先生から出された問いに、我々は少しのシンキングタイムを与えられた。


誰とも話さず、まずは自分1人で考えるように言われ、各々表情を交えたり、目を閉じながら考えを巡らせた。


この間に、本当に先生からの問いへの考えを巡らせた人もいただろうし、全く考えず違うことを考えていた人もいたかもしれない。


全員教室にいて、ふと口を開けば話せる距離にも関わらず、誰とも話せず相談もできない状況に僕はもどかしさを感じた。


テストの時とは違う緊張感だった。テストには正解があるから。


正解がない、というのはとても怖い。


自分はどう思うかと問われることに、不安や心配がどうしても現れる。


そうなると多数派の意見に賛同をした方が、正しいのではないか、という気持ちになったりもする。


少数派というのは限られたコミュニティの中では不利になってしまうような気もするし、間違っているような気もしてくる。


ましてや、前習いを重んじる学校では周りと違うことは恥ずかしいことのように感じられてしまうものだ。






シンキングタイムが終わり、先生が我々にうながす。


「負けた友人に声をかける、という人は手をあげてください。」



一斉に手が上がる。クラスのほぼ全員ではないかというほど教室の空間に手のひらが広がっていく。


僕は迷いながら、手をあげていなかった。

でもあげたほうが良いのではと思った。

あげてしまえば、楽と。

人と違うのは恥ずかしいよなと。





だが、

一足遅かった。

気がつくと、手をあげていなかった僕は先生と目があってしまった。


先生はニヤリとして、僕を見ながら言った。


「手を下ろしてください。では、声をかけないという人は手をあげてください」


案の定、

僕以外の人は手を上げなかった。

そして、声をかける人、という呼びかけに手をあげなかった僕は、

必然的に手をあげざるを得なかった。





先生は、もともと意見を対立させたかったのだと思うが、



「よし、日和くんなら大丈夫」と、



クラスで1人だけ反対派の僕の背中を押した。




そうして、


1対約30人と極端な体制で議論を進めることになった。




先生は多数派の生徒に質問をした。


「どうして声をかけるべきと思うのですか?」


生徒は、


「友達が落ち込んでいたら励ますのが友達だから」


などと答えていた。






そうして、少数派だった僕に先生は質問をした。


「どうして声をかけないと思うのですか?」


僕は恥ずかしさなのか震える声で、


「僕だったら、声を掛けないで欲しいから」


と答えた。すると先生はすかさず、


「どうして声を掛けて欲しくないと思いますか?」


と質問した。僕は、

「周りから頑張ってと言われて、自分はこんなに頑張ってるのに、、と思うことってあると思うんです。僕の兄貴なんかも親に頑張ってと言われて、もう頑張ってるよ!と怒ったりしてました笑 それと似てて、負けたあとに声をかけられることで、余計に悔しくなってしまったり悲しくなってしまったり、同情されてる自分が情けなく感じてしまったりするから」



と答えた。このへんで、感情移入して泣きそうになった記憶があります笑



そしたら、


僕と反対意見側にいた人が何人かこちら側に移動してきてくれました。


この議論では、自分がこっちだと思った意見に好きに移動して良いことになっていたのです。



それもあって、最後まで1人ではなく途中で仲間を増やすこともできるという日和的得ルール笑




そこからは少数派に来てくれた人が仲間に加わり、意見を言い合い、



仲良しグループで1人が移ったらそれに合わせて移る人もいたり、明らかに好きな人が移動したからでしょ!って移動をする人もいたりしながら、



結局半々くらいに最終的になって、無事に授業は終わりました。




最初は怖かったけど、言って良かったなぁと思ったし、


日和くんなら大丈夫、と言ってくれた先生の言葉がすごく嬉しかった記憶があります。


全然大丈夫じゃなかったけど、結果大丈夫だったっていう、先生の手のひらで転がされた感じですけどね笑





意見が正しいか正しくないかはどうでも良くて、


自分が思ったことや自分の感じた気持ちを言葉にすることって、大切だなぁと思うんです。


別にSNSでも、こうしてブログでも。



自分はどう思っているのだろう?
自分はどんな気持ちなのだろう?
自分はどうしたいのだろう?



声に出したり、誰かに伝えたりするのは怖いこともたくさんあるけれど、


考えてることや気持ちを表すのって、大事なんですよ。自分にとっても誰かにとっても。





それではこのへんで。


雨日和

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>