本来、先週の4/24~26(金土日)は『UTMF』(ウルトラトレイル・マウント富士)
161㎞/46時間制限を走るはずだった…でも中止。
仕方なく4/25(土)夕方、ロンリー30キロ走にスタート。
1/19(私の還暦誕生日)の『坐骨結節の故障』の後
先々週4/11(土)夕方は
3ヶ月ぶりに31㎞を3時間16分で走れたため
今度は30㎞をスピードアップしてみようとスタート。
ずっと走れるペースをどこまで上げられるか
呼吸・心拍はどうなるか。
18キロを過ぎて、ちょっと苦しいけど押せるペースの時
なぜか昨年11月の『沖サバ』の記憶が甦る。
※沖サバ:『沖縄本島一周サバイバルラン』。2019年11月開催
沖縄本島の1周400㎞を72時間制限で走るレース。
台風27号の暴風雨の中、私は223キロ地点/約36時間でリタイア。
< 辺戸岬163キロ地点/イケダさん(中)とマスダさん(右) >
2019年11月22日・夜11時過ぎ/沖縄本島・西海岸/暗闇の暴風雨
ヘッドライトが飛ばされる程の横殴りの雨の中
心ワクワクしながら、北端の辺戸岬を目指す。
辺戸岬までの50㎞を、イケダさん・マスダさんと進んできた。
深夜~お昼までの約10時間、心つらい時間を支えあって走った。
辺戸岬・163キロ地点/23時間22分到着。(午前11時22分)
24時間制限(午後12:00)までにここに来られるかが一つの結果。
ここまでで68人の選手は34人になっていた。
たどり着いた選手達は、ホッとして輝く笑顔で讃え合う。
そしてここから本当の試練が始まる…
そこからヤンバルの長いアップダウンが始まり、日が暮れる。
昼間は上がっていた雨が、夜になって本降りになる。
時に一つの上りが1キロほどもあるため、20分近く歩く事もあり
下りになると、疲労のためその1キロが走り通せない。
20㎞進むのに5時間を要した。
午前0時を過ぎて220キロ地点のエイドを出発
しかし、辺野古(250キロ地点)までの30㎞を
7時間で行けないと判断したため
223キロ地点でリタイアを選んだ…
2017年1月、上野⇔箱根間の108㎞を
2日間で往復する、216㎞のマラニックに参加した。
復路のほとんどを4人で走り
品川区の端まで、ずっと引っ張って来てくれたオオツカさんが
ハンガーノックで食事をするとの事。
私が「待つかゆっくり歩いて、追い付いて来るのをのを待とう。」
と提案した時のクワタさんの言葉。
「同行者を待ってはダメです。」
「今は調子が良くても、1時間後にトラブるかも知れない。
その時、ここで遅れた時間で完走できないかも知れない。
オオツカさんは、一人でも完走できるから進みましょう。」
…そして、4人は『箱根往復×2Days』を完走した。
以後、これは私の完走条件の一つになる。
沖サバの第1日目、つらい沖縄本島西海岸の50㎞を走った仲間
2日目も変わらず3人で行けると、漠然と思っていた…
辺戸岬を出て数キロ
マスダさんが、右側足首前面の痛みを訴える。
かなり辛そうなので、シューズと靴下を取ってもらう。
足首を上げる『前脛骨筋腱』の痛みだったので、関節面圧で調整するも
24時間酷使した足は痛みが引くわけもなく、テープを貼ってロキソニンを渡す。
スタートして約27時間/170キロ過ぎの共同売店を出発する。
しかしすぐ、今度はイケダさんが足底の痛みで走れなくなる。
共同売店に引き返し、足裏を診るとマメの初期。
私は、『トルデジアン』(2018年イタリア・トレイル339㎞/142時間で完走)
で学んだテーピングを施し、痛いながらも走れるようにした。
因みに私は、那覇のスタート前
台風情報を聞いていたので、予めテーピングしておき
途中ではがしながら、足底を管理してきたため
この時点で足裏のトラブルは皆無。
(このエピソードは昨年12月の『トレ日誌』には書いていない。)
約30時間30分(午後6:30)『安波/193キロ地点』のエイドを発ってすぐ
マスダさんは、足首の痛みのため「ゆっくり行く。」という事で我々と別れる。
この時点で、付いて来ていたもう一人のミサワさんと3人になる。
ヤンバルの長い登りで
私は「歩きのピッチを速めないと、辺野古に間に合わない。」と提案し
高速歩きで引っ張るも
「福山さん、付いて行けない!」
私、「…!?」
迷う…
自分はまだ行ける。
彼らを置いて行くべきか?
ここまで引っ張ってくれたイケダさんを置いて…?
…行けるのか?
…いや、行けない…
(自分も疲労困憊してる)
(もう十分頑張っただろ)
(223㎞走れば言い訳できるさ…)
…そして
私はリタイアした。
今は後悔している
全力を尽くしてない
最後まで諦めない?
…いや、諦めた …だから負けた
< こんなマスク作ってみました。 ぶ、不気味… >
辺戸岬までは本当に助けられた
一人で行けたかも知れないが、大きな精神的余裕を作ってもらった。
しかし、辺戸岬を過ぎてからは、膨大な時間をロスした。
共同売店の仮眠でも、彼らが目覚めるまでハミガキで時間をつぶした。
もし、あの時間進んでいたら…
ヤンバルの長い登りを高速歩きをしていたら…
完走はできなくても、辺野古まで進めたかも知れない…
…それはあくまでも「たら・れば」の話し。
本当のリタイアの理由は「自分が弱かったから。」
イヤと言うほど思い知った。
…これが沖サバ
次回完走するにはどうすればいいのか?
足りない条件は?
どんな強さが必要なのか?
もう、わかってる。
だから…次回・自分は・多分・できる
※NHKオンデマンド配信中:『ドキュメント72時間/激走400キロ沖縄1周サバイバルラン』
よかったら見てください。5回位私も映っています。料金110円かかります。
2020年4月の少し寒い夜
重くなった脚で30,0㎞を走った。
3時間04分
まだ走れる事を確認した。
【先週のトレーニング】
4/20(月):休 み
21(火):休 み
22(水):ラ ン・10,0㎞/1時間06分29
23(木):ラ ン・16,2㎞/1時間39分25
24(金):休 み
25(土):ラ ン・30,0㎞/3時間04分14
26(日):バイク・(ローラー台)105分/距離57,6㎞/平均時速32,9㎞/瞬間最高時速42,3㎞
ふく山接骨院のホームページ 【腰痛・膝痛 さいたま市北区 ふく山接骨院、福山眞弘】