「痛みは切り離せばいい。」
映画『ターミネーター』でサラ・コナーを守った主人公カイル・リースの言葉です。
この言葉は正に、我々ウルトラ・トレイルランナーのためにある言葉だと思うので使わせてもらってます。
人間誰しも100キロも走れば何処かしら痛みを感じるもので、超長距離ランナーにはいつもの事。
なので、「痛いの・つらいの・疲れたの」と言おうものなら、「俺も痛いよ。いやならやめれば。」
と言われるのがわかっているので、誰も口にしません。
「長く走ればこんなもの。ただ痛いだけなんだからガマン、ガマン。」と割り切ります。
片足に4個づつのマメができ、着地の度に刺すように痛み、特にひどいのは右踵外側のデカイやつ。
私の使うマメ防止クリームは、実はマメ用クリームではなく『ニュートロジーナ社/ハンドクリーム』。
2016年の『天竜川220キロ』レースの時、他の選手から教えてもらって使ってみたら具合がいい。
約600円ほどの価格で、昨年4月『MDSサハラマラソン』(230キロ/7日間)でも使いました。
サハラマラソンの大敵は、粒子の小さい砂が入り込んでマメを作り、潰れた傷口を砂がこする痛み。
しかし『ハンドクリーム・ゴアテックスシューズ・サハラマラソン専用ゲイター』でほとんどマメ無しでした。
問題だったのは「股ズレ・尻ズレ(肛門回り)」で、最後の六日目からはガニ股走りでした。
今回、股ズレ・尻ズレはマメに塗って問題なしで、舐めていた足の裏でこんなに苦しむとは。
それも痛くなった経験が無く、全く無防備だった踵のマメで泣かされるとは予想もしませんでした。
クリームの問題でなく、ケアをサボったせいなので「あぁ、コマメに塗っとくんだった。」と大後悔。
仕方なく、「痛いだけなんだから、化膿でもしなけりゃあと4日我慢して行くか。」と諦めます。
< この踵の悪魔にず~っと苦しめられました。>
第3のLB『ドンナス』(151,3キロ地点/標高330m)出発がD‐3(3日目)・午後17時09分(53時間09分)。
コーダ小屋手前の『ラ・サッサ』(164,9キロ地点/標高1305m)通過がD‐3・午後22時07分(58時間07分)。
わずか4,4㎞で900m登って『コーダ小屋』(169,3キロ地点/標高2224m)到着がD-4・午前0~1時ころ。
コーダ小屋を出てから、真夜中の一本道の林道でマーカー見逃してコース・ロスト。
気付いて戻ると、一人のイタリア人選手が来るので「I lost the course.」と言って二人で戻る。
『Rif(小屋) バルマ』(178,0キロ地点/標高2040m)で、ホテルで同室のタナダさんが来たので少し話して
写真を撮るとあっと言う間に行ってしまい、私の出発がまだ真っ暗なD‐4・午前06時14分(66時間14分)。
明るくなると、左右を美しく連なる山々に囲まれた広い谷に入り、山を越えてニイルへ向かう。
< この石の道を下って行きます。 >
『ニイル』(192,9キロ地点/標高1573m)通過がD-4・午後13時26分(73時間26分)。
ここはあまり記憶にないため、よほどマメがショックだったようです。
< この女性、3日間の山中で3回会いました。レースのアドバイザーだそうです。 >
グレッソネイの町に入るころ「フクヤマさ~ん!」の声に振り替えるとミキティとマツ~イさん。
このお二人は結婚したばかりで、何とトルデジアンが新婚旅行という恐るべきご夫婦。
お二人とも、数々の長距離トレイルレースで優勝・入賞する実力で、TDGはのんびり楽しむ宣言でした。
痛みでビッコを引きつつ全力速足で歩く私を、手をつないでスキップで軽やかに抜いて行くお二人。
「ラン・ラ・ランララ~ン」お二人の後には、ピンクの花びらが舞っていました。(チョット盛りました(*'ω'*))
そこからかなり街中を進んでようやくLB(ライフベース)に辿り着きました。
< 只者ではない爽やか夫婦💚 >
第4のLB『グレッソネイ』(205,9キロ地点/標高1329m)到着がD‐4・午後18時11分(78時間11分)。
先ずビールを一杯、生き返ります。
アルファ米の牛めし調理が面倒で、トマト・スパゲッティと豆と野菜のスープとクッキーを山ほど食べる。
寝所で、唯一空いてるベッドを確保してからレース中3回目のシャワー。
幸いここはボディシャンプーがあり、サッパリしてからマメの処置をしてもらうためメディカルへ。
因みに、ドロップバッグに備えておくべきと後悔したのは、石鹸と風呂上がりで履くサンダル。
忘れた私は、濡れた足で汚いシューズを履かなきゃならず、無いととっても不便でした。
さてメディカルへ行くと、そこの担当者がマメ処置の後、必ずマッサージをするため一人の対応に
メチャクチャ時間がかかるので、なかなか進まない。
オイオイ!マッサージしなくても走れるけど、マメ処置しないと走れないだろう!マメを優先してくれよ!
1時間以上待つも「まだあと2時間待ち」と言われたので、ハサミを借りて自分で処置。
1時間半ほど無駄に過ごしてから、自分でマメにテープを張って4時間の就寝。
目覚めが午前2時、頭がスッキリして、久々に『勝負するぞ!』という気持ちで出発。約8時間滞在。
『グレッソネイ』(205,9キロ地点/標高1329m)出発がD‐4・午前2時29分(86時間29分)。
まさかこの後、あまりに長時間の戦いで、心折れる事になるとは予想もしませんでした。
深夜の市街をビッコを引きつつ歩きだすと、次第にマヒして痛みが大幅に減ります。
そうなれば高速歩きで進めるも、登りに入って着地角度が変わると激痛でビッコ。
10分程登るとまたマヒしてきてドンドン登れる、下りで着地角度が変わると再び激痛ビッコ、の繰り返し。
歩きながら、マメが8個の激痛であと130㎞/3日間走る・歩くをしなけりゃならないなら
「スタートからマメがあったって、100キロマラソンくらいなら走れるなぁ。」などと考えつつ歩きます。
『シャンポルク』(221,8キロ地点/標高不明)到着がD‐5・午前7時36分(91時間36分)。
ここも記憶がなく補給を摂って20分で出発し、『Col di Nana』を登る途中『Rif Grann Tourmalin』で補給。
< 『Col de Nana』 ナナ山への道標 >
しかし疲れていたためか、ここで他人のストックを持って来てしまう、という大失態をやってしましった!
登り途中いつの間にか、取っ手の下部を握って使っている…?
ふと気づいてよく見ると、同じブラックダイアモンド社のアルミ製でよく似たデザインながら細部が違う。
やや長い設定のため、気付くと取っ手の下部を握っていました。 「あちゃ~、やっちゃった。」
「どうしようか」と考えつつ『Col di Nana』(ナナ山?/2770m)を下ってヴァルトルネンセの町へ入ります。
ライフベース(LB)へ向かう途中、巨人の一つ『モンテローザ』が見えました。
第5のLB『バルトルネンセ』(239,0キロ地点/標高1526m)到着がD‐5・午後12時39分(96時間39分)。
< 遠くにヴァルトルネンセのライフベース。正面の雪山がモンテローザ >
LB受付で、拙い英語で「他人のストックを間違えて持って来てしまった。」と言ってみると何とか伝わる。
「クールマイヨールで預けるように。」と言われるので、それまで使い続ける事にします。
しかしここは今までと違い、人が少なく閑散としている。
ふと、「自分はビリの方で、関門時間が迫っているんじゃないか?」と不安になります。
(今思うと、INの関門時間は午後21時なので、8時間の余裕があるのに調べる事さえ忘れていました。)
女子高生位の可愛い女の子に、「あの山はモンテローザ?」と聞くと、「Si(はい)」の返事。
そして「朝日を浴びるとピンク色に見えるので、ローザ(バラ)と言います。」と言ってたように聞こえます。
「グラッチェ。(ありがとう)」と笑顔で返しました。
ウ〇コをして補給を摂って48分滞在し、少し焦りつつD‐5・午後13時37分(97時間37分)出発。
今朝歩き始めてから約11時間経過。
< でっかいカウベルがぶら下がっていて、みんなガランガラン鳴らします。 >
バルトルネンセ(239,0キロ地点)から、次のポイント『クネイ』(263,4キロ地点/標高2656m)まで24,4キロ。
4つの山越えはかなり長丁場のため、到着が遅くなると考えてクネイで仮眠を取る予定で行きます。
この日は、グレッソネイでしっかり4時間の仮眠を取り、気持ちも攻めていたのでまだ眠気を感じない。
しっかりした足取りで3つ目の山『Col Fenetre』(2162m)を越え、4つ目の山へ向かう途中の山小屋で。
私が宿泊している『ホテル クルー』の受付スタッフの女性が、ピザと熱い紅茶を差し入れてくれました。
私はピカチューを被っているので、すぐに見つけられるようです。
町で食べた薄いピザと違い、分厚い1ピースですごいボリュームで満腹、これは本当にありがたかった。
ところがこのホテルのスタッフ女性に、小屋のスタッフが「クネイでは寝られない。」と言っているもよう。
「そりゃ困る。」と思いつつ、スタッフ女性にお礼を言って握手をして、すでに真っ暗な山へ出発。
< 踏み外すと この下数10m落ちるのか数100m落ちるかわかりません。 >
『Rif クネイ』(263,4㎞/標高2656m)到着がD‐5・午後22時08分(106時間08分)。
すでに20時間行動しているので、少しは休めるのではないかと期待を持って到着するも…
寝られない意味を理解、20畳程の狭いテント張りでテーブル・ベンチの他長イスが2脚。
長イスは先客が爆睡中のため、やむを得ずトマト・スパゲッティと野菜スープを食べて出発。
深夜・かなり疲労があるも『クネイ』(263,4㎞)から、次の『オヤス』(277,7キロ地点)まで14,3キロ。
あと5、6時間は寝られそうもないと諦めるが、まだなんとか身体は動きそう。
小屋を出てすぐ、深夜の寒さの中小雨が降り始め、寒いのに脳の左側が時々眠り始める。
本降りになる前に、薄手のウインドブレーカー(WB)を着て、ゴアテックスのズボンを履く。
< 本当に怖かったので写真を撮りました。 >
冷たい小雨は降ったりやんだりでも、標高2700mのガレ場で左脳は眠り、右脳は恐怖で怯える。
ヘッドライトの光、直径1,5mの円の中で流れる山道を見つめていると次第に右脳も眠くなる。
座って眠りたいが、止まれば5分で手がかじかみ、歯が合わないほど震えて眠れないのは百も承知。
誰もいない。
今ここから落ちても誰も気付かないだろう。
クネイに戻ろうか…
約22時間歩き続け、ゴアの手袋でまだ手は暖かいものの、なんだか全てが嫌になってくる。
今誰かに、「やめていいよ。」と言われたら止めるかも知れない…
心折れてどうでもよくなりやる気もないが、ここではやめる訳にもいかずただダラダラと進む。
細かいアップダウン5~6㎞の後、8~9㎞の嫌になるほどの長い下り。
強い眠気で意識が朦朧とし、やる気もなくトボトボ歩いていると、後続に大勢抜かれる。
オヤスの町に入ってロードになるも、なかなかチェックポイント(CP)に着かず、ただダラダラと進む。
< オヤスへ下る最後の山 ベッソナズ山? >
ようやくCP『オヤス』(277,7キロ地点/標高1463m)にD‐6・午前4時13分(112時間13分)たどり着く。
第4のLB『グレッソネイ』(205,9キロ地点)をD‐4・午前2時29分に出て、オヤスまで何と71,8㎞。
約26時間ほとんど休み無しで歩き続け、精も根も尽き果ててベッドへ。
しかし、ここまで身体を酷使したツケは払わなければならず、D-6(6日目)で大いに苦しむ事に…
~第5話に続く~
〖腰痛・膝痛 さいたま市北区,ふく山接骨院,福山眞弘〗