何が違うか わからない! | カッコイイおじいを目指すランBAKA院長のトレーニング診療日誌

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ウルトラランナー・トライアスリート院長の加齢と闘うドタバタ奮闘記

私は、かなり単純で鈍感なようです…

 

先週に引続き、4/7(土)~8(日)で『トレニックワールド100マイル』の「南ルート・1周目」を試走しました。

先週3/31(土)夜~1(日)朝までは、迷いながらも「北ルート51キロ」を13時間8分で走りました。

今回は、「南ルート(55キロ)」のうち40キロにチャレンジ。

 

5月に参加する『彩の国トレニックワールド100マイル(161キロ)』は、「北ルート51キロ1周+南ルート55キロ2周」合計161キロを35時間で走るという超ハードなレース。

 

 

7日(土)夜19時、『不死身のトレイルランナー・イトーさん』と二人で、桂木観音をスタート。

(イトーさんの不死身のエピソードは、2017.12.13「友遠方より戻る」をお読みください。)

 

 

スタート直後200mで、どっちへ行くのか分からずウロウロ。

なんとか、ルートに乗って走り始めると「よくこんなコースを作ったもんだ」と感心する複雑なルート。

 

7キロ走って「関八州見晴台」到着が22時前、星空の下開けて吹き曝しなのでかなり寒い。

ここで二人組のランナーに抜かれ、「同じ事をする者がいるんだなー」と感心。

するとまたコースをロスト、ウロウロ探してマーカー見つけて走り始めるも、一緒に自信もロスト。

  「こんなんで大丈夫だろうか?」

 

西吾野駅 → 子(ね)の権現 → 竹寺(21キロ地点)の分岐で迷っていると、またまた一人のランナー登場。

コースを教えてもらい、しばらく一緒に走ってもらうも、急な下りであっという間に消えてしまいました。

いやらしい急な下り坂に手こずりながら、大高山→天覚山を抜けて東吾野駅(28キロ地点)へ。

 

ここまでの間に、イトーさんがスピードダウン。

先週先々週と2週連続で出たレースの疲労と、仕事中に受けたスネの打撲痛がひどくなる。

ウィークポイントである『不死身の股関節』は常に痛みがある状態で、身体がふらつく事が度々。

安全のため歩きメインで進む事にしました。

 

 

ユガテ → 北向き地蔵 を過ぎたころ、夜が明けて木々の間から日が差してきます。

人は皆、夜が明けると不思議とパワーが湧いてくるもののようです。

明るくなると、自然と会話が増えます。

 

エビガ坂 → 一本杉峠 → 鼻曲山 をいろいろ話しながら歩き、桂木観音到着が朝7時過ぎ。

トータル40,0キロを12時間11分で走りました。

 

早朝より営業している温泉で汗を流し、塩分補給のため塩っぱいラーメンと叉焼丼を食べて戻りました。

ケガなく戻れて良かったよかった。

 

 

さて、帰りの車中でシューズやロードバイクのタイヤの話しになりました。

私 :「ロードバイクのタイヤは、速く走れるチューブラーと扱いやすいクリンチャーがあって云々…」

イトーさん:「それで、どう違うんですか?」

私 :「ん~、わかんない…」

イトーさん:「(大笑い)それサイコー。さんざ蘊蓄垂れといて。」

私 :「ボクは鈍感らしくて、そういう違いあんまりわかんないんだよね。」

   「でも、お世話になってるビルダー(レース用自転車の製作者)に違いがわからないって言ったら、

   普通はわからないですよ、って言われたし。」

   「雑誌でシューズの履き比べとかやってるけど、走歴3~4年のランナーが走り心地とか、クッショ

   の違いを述べてるけど、ボクは自分の足にピッタリするかどうかしかわかんない。」

 

本当に私は鈍感なようで

トレラン用リュックはポケットがいっぱいあればいいし、補給食の味は何の味かわからない。

サプリメントの効果もよくわからず、能書きに書いてあるからそうなんだろー、と思って飲んでいます。

 

それでも、これまで何の問題もなく来たので、辛いレースの時でも脳はそういった条件で弱みを作らなかったようです。

           「こんなもんだよね。ま、いっかー」

って感じは、超長距離レースには大切な要素ではないかと思います。

 

〖先週のトレーニング〗

04/02(月):休 み

  03(火):休 み

  04(水):休 み 

  05(木):ウエイトトレーニング

  06(金):休み

  07(土):トレニックワールド試走40,0キロ

  08(日):   ~  々 々 試走40,0キロ

 

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