<Marathon des sables2017 サハラマラソン/世界一過酷な銀婚旅行>
4/9~15の7日間サハラ砂漠を250キロ走る『世界で最も過酷なウルトラマラソン』の一つ。
昼間は40℃前後(時に50℃)の暑さと極度の乾燥に晒され、夜は5℃まで下がる寒さ。
さらに、極めて小さい粒子の砂と闘いながら7日間で250キロを走る。
レース中の<食料・着替え/ウエア・寝袋/食器>等、スタート時に用意した生活用品全てを
自分で背負って走らなければならない。
主催者から提供されるのは<水・塩タブレット>と、現地ベルベル人が建てるテントのみ。
<ステージレース>なので毎朝スタート・夕方ゴールし、その総合タイム・順位を競う。
朝・夕、自分で火をおこし、食事を作ってテントで寝る。
第4~5日目に、約80キロを夜通し走る<オーバーナイトステージ>が最大の難関。
結婚25周年を記念して、このレースに夫婦で参加します。
<第4ステージ(4/12~13)・86,2㎞・20時間13分56・613位/総合36時間40分10秒・476位>
いよいよ今日は最も厳しい、86,2キロを35時間制限で走るオーバーナイトステージ。
タイムは、時速4キロで22時間かかるのでそれをどのくらい短縮できるか、と予想。
問題は二つ、一つは一番暑い2時~4時の過ごし方、二つ目は、夜間にどれだけ寒くなるか。
一番暑い2時~4時を走る事は、常に軽い脱水状態の身体がつぶれる可能性があるため
涼しい夜間を走り通すつもりで、1~2時間昼寝をする作戦。
そして夜間の寒さ対策は、昨日までの寒さからそれ程でないと予想しつつも、防寒着をすぐに
引き出せるポケットに装備します。
スタート後しばらくはフラットな走れる固い路面でも、長丁場に備えてみんな抑えて走ります。
CP1(チェックポイント)までは、長めの13,6キロで2時間弱のまあまあのペース。
ところが、すでに脱水状態で拳を握ると浮腫みの上に青い静脈が浮き出て、危険を感じる。
これまで、胃腸障害防止のため「5分毎に舐めるように飲め」を守ってくるもそれでは足りない
とがぶ飲みし始めると尿意が出てくる。
アップダウンであまり走れないCP2までの約10キロ(ほぼ90分)の間、かなりの水を摂取する。
予定では、CP3(35,4キロ地点)に暑くなる前の午後3時前に到着し、4時まで昼寝の計画。
CP2~CP3までの砂地が多い12キロ、あまり走れずとても長く感じる。
CPやビバーク(宿泊する野営地)は巧妙に隠されており、丘や山の蔭に設営される事が多い。
そのため「あの丘を越えればきっとCPがある」と期待しつつ、丘を越えるとCPは無く
長~い選手の列が点々と続くのを見ると、心はガックリと沈みます。
でも、山の陰にCPが見えた時は、それはもう嬉しさいっぱい。
反面、だだっ広い荒野にビバークやCPが見える事があると、これがまた厄介。
空気が乾いているためかとてもクリアーで、ずいぶん前を走る選手もかなり鮮明に見えます。
「ビバークまで2~3キロ」と予想してもなかなか着かない。
20分走っても30分走っても着かず、約40分/6キロ近く走ってようやく到着という有り様。
実際と見た目の距離感覚が全く合わないため、誰からともなく『パトリック・キロメートル』と
呼ばれるようになる。
☆『パトリック・バウアー氏』:MDSサハラマラソンの創始者でカリスマ。
約30年前、単独・自給自足でサハラ砂漠330キロを走り、以後サハラマラソンをレース
として開催し今年で32回目。
CP3に2時50分到着、水を大量に飲み、高カロリーのフルーツグラノーラを補給して、さぁ昼寝。
しかし一番暑いさ中、誰しも考える事は同じで、休憩者はなかなかテントから出ようとせず
昼寝のスペースが空かない。
ようやくテントの端に横になるとストンと眠りに落ちる。
時々目を覚ますも50分近く寝た午後4時、まだ暑いためスタートは4時20分。
砂地のためほとんど歩き、一人の日本人(名前忘れた)と話しながら歩いているとCP4が見えて来て
そこで別れる。
CP4(47,8キロ地点)で、65歳でサハラの常連さん橋本さん(とにかく速い)・同じテントのノリさん
・女性の矢澤さん、の4人で歩き出す。
CP4で薄暗くなり、歩いている間に日が落ちます。
そこから四人でする話はまず食べ物の事。
「とろ」が食べたい、大阪の「たこ焼き」が食べたい、私はやきとり!
次第に疲れてくると<パトリック>への文句「なんでこんなコース作るんだろ」「性格が悪い」
等々罵詈雑言の数々。(私はひたすら聞いていただけ、ホントです)
四人になってからは、砂地が多く走れる所も石で危険なため全て歩き。
(本当は気持ちが折れてしまい、走りたくなかったから)
歩き通してCP5(56,1キロ地点)~CP6(65,0キロ地点)を越えるも
なかなかCP7が見えず、みんな心が折れかけた頃、闇にホワーンと明かりが見える。
しかし、何度も期待を裏切られているため、期待はしてるのに「あれも違うよ」と認めない。
ホッとしつつCP7に到着、残りは10キロだがこれが長かった。
最後のCP7(76,0キロ地点)を午前2時頃スタートし、目指すはこのステージのゴールまで10キロ。
疲労と眠気のため次第に会話がなくなる。
何とか歩き通してビバーク到着は午前4時過ぎ。
20時間13分は満足なタイムなのに、順位は613位と半分以下。
この日一日(4/13)は、のんびりウダウダ過ごし昼寝を少しして、夜にぐっすり眠るつもり。
しかし私は、疲れると眠れない性質でこの夜は頻繁に目を覚ましました。
私にとっては、約50キロを15時間で歩き通すより、100キロを11時間で走る方が楽。
明日は、スピードコースの42,2キロを走る<マラソンステージ>
これで順位が決まります。
先週のトレーニングが好調だった理由がわかりました。
やはり、レース用自転車の性能でした。
4/21(日)、笹郷を登る106キロコースを練習用バイクで走った所、やっぱり遅い。
後半はボロボロに落ちて「練習しないのに速くなる訳がない」と痛感しました。
一週間しか続かない夢でした。
〖先週のトレーニング〗
05/15(月):休み
16(火):ウエイトトレーニング
17(水):休み
18(木):ラ ン:10,0km(1時間04分)
19(金):スイム:2,0km
20(土):バイク:60分(ローラー台)
21(日):バイク:106km(4時間28分)
〖腰痛・膝痛 さいたま市北区,ふく山接骨院,福山眞弘〗