
coffee

火事の後、確か1月30日頃でしたが、少年のお葬式がありました。
私は火の中に一緒に入った男性の横に座り、カタカタ鳴っている棺桶をジッと見入っていました。
そこへ、諸事情を知らない頭に静脈瘤のある小柄なおばと兄ちゃんが明るい調子で上がってきたような気がしましたが、風呂場に沈められた男の子(ひなあられペタッと言って、医療用電極を喉仏に貼られていた!!)がまだ棺桶の中で生きてそうで、気が気ではありませんでした

歯医者に行ったのはそのあとで、しばらく東芝の男の人のお宅に預けられて、風見鶏のある幼稚園に数回通ったのでした

近くには餡工場もありました。
7年ほどまえに見に行きましたがまだ記憶に新しいと言える程には何にも思い出せては居ませんでした。
しかし、土手を優雅に飛ぶ燕とは違って、橋の上で右の翼を伸ばしプルプル震える鳩について、新潟の伝書鳩つながりを思わせました。

その後、精神科へ連れられましたが、茨城県も何で無理強い為さるんでしょう?
歯医者におばとおじとで行きましたが、その際おばが語ったおじの特徴が、渋谷暴動事件指名手配者となってしまった事実を、京大ご出身の京都新聞コラムニスト『堀田力先生』にもご協力頂けるのではないかと、尊敬して止まない霊長類研究者正高先生にも溢しています。鉙
飯倉へ行ったのは、他でもない犯行者達の為であって、相変わらず兄ちゃん達も含め過干渉にコメント仕掛けてきているようです。
