3歳のグレーな娘・律と、0歳の息子・樹を育てています。
【律(りつ)】
1歳半健診様子見→2歳の心理士さんとの相談で更に様子見→2歳半の保健師さんからの電話で様子見終了。
その一方で、発達支援センターでの相談や言葉の教室参加、保育園での加配等、支援は増加する一方のグレーオブグレーな娘です。
【樹(いつき)】
2023年10月誕生。今の所は定型発達?
詳しくはこちらをお読みください。
※1日早朝に書いた記事の予約投稿のため、航空事故については触れていません。
事故についてはショックが大きいので今後もブログに書く予定はありません。
大きな地震が来てしまいましたね…。
前回の記事は予約投稿のため全く触れずに投稿したため後から追記しました。
我が家は震源地から遠く、日本海側でもない場所に住んでいるため、特に被害はありませんでした。
が、その瞬間家にいたのは旦那と赤ちゃんだけでした。
私と娘は、私の祖母の家にいました。
というのも。
ここ数年、1月1日は私の祖母の家に日帰りし、2日3日は旦那の実家に泊まりで行く事が定番になっていました。
今年に限っては、赤ちゃんが生後2ヶ月という事で、本人の長距離の移動&親戚の集まりは念のため避けました。
1日に関しては家族4人とも不参加でも良かったのですが、最近出産した従姉妹家族も参加するとの事で私がぜひ会いたくて
親戚の集まり好きの娘も連れて2人で参加する事にしました。
大変ありがたい事に上の弟が車を出してくれたので、1時間程で着く事ができました。
コロナ禍以降、祖母の家で食事はしていません。
そのため、14時〜16時くらいの短い集まりです。
喋ったり、お菓子を食べたり、小さな子は遊んだり。
自由な空間で楽しく過ごせました。
自閉症の下の弟は持参したSwitchで遊んでいました。
娘は前よりも緊張が強く初めは固まっていましたが、徐々に心を開いてくると色んな親戚に構ってもらって嬉しそうでした。
ちなみに、子どもは3歳の娘が最年長です。(後は2歳なりたて、0歳)
他に比べる子がいないので、「色の名前が分かるの、賢いのね〜。」等、3歳にしてはハードルの低い事をたくさん褒めてもらい嬉しそうでした
私も発達の遅れを指摘される事がないので安心して参加できました。
16時になり、ボチボチ帰ろうかという話が出て。
従姉妹家族が近くの神社にお参りに行ってから帰るとの事で、先に送り出す事に。
従姉妹家族が帰る準備をしている横で、長椅子に膝立ちして机で塗り絵をしていた娘。
父と上の弟に挟まれてご機嫌にカラーペンを動かしていました。
そろそろ準備が整いそうだったので、見送りのために娘を呼ぼうとした丁度その時。
突然の地震に場が騒然としました。
立っていられない程の揺れでは無かったので、その場でじっとして揺れが収まるのを待ちました。
娘は上の弟に肩を支えられていました。
十数秒して揺れは収まりましたが、付けっぱなしのテレビに映った地震速報と「津波にげろ」の文字に息をのみました。
緊張が走る大人達とは違い、小さな子ども達はいつも通りに見えました。
娘は揺れている間は黙っていたものの、揺れが終わると「お絵描きするー!」と自ら遊びを再開する天真爛漫ぶりでした。
怖がっていない様でとりあえずホッとしました。
しばらくニュースを確認すると、今の場所より自宅の方が震度が大きい事が分かりました。
旦那にすぐ電話をすると、ちょうど赤ちゃんにミルクをあげていた時で、揺れに驚いたものの特に被害は無かったそうです。
赤ちゃんも気にせず揺れが収まるとすぐにミルクをゴクゴク飲んでいたそうでホッとしました。子どもはたくましいですね。
従姉妹家族はお参りをやめて真っ直ぐ家に帰る事にしました。
私たちも従姉妹を見送った後、車で家に帰りました。
いつもの集まり疲れとは違う、緊張した疲れを感じました。
なぜ正月のおめでたい日に。
そんな気持ちになりましたが、自然にとっては関係ない事なのだと悟りました。
どんな時でも日常を一瞬で奪い去る可能性のある地震に大きな恐怖を感じると共に、できる限りあらがうべく、備えをしっかりしなければと改めて思いました。
最後に。
被災地が一日も早く復旧して、被害に遭われた方々に平穏な生活が戻って来ますように。