2. Great Fire of London -クリストファー・レンの夢の跡-
ロンドン建築シリーズ
1. Roman London

しかし、頼まれてもいないのに、ロンドン再建のプランを描き上げて提出したり、しかもそれが実現の難しい(でも実現できれば理想的ではあった)内容だったり、どの時代もアーキテクトの心意気はあんまり変わらないものなんですねぇ。
昔出席した安藤忠雄氏の講演会でも、全く同じようなこと言ってましたよ(笑)
1. Roman London
ローマ時代から飛んで、今度は中世のロンドンへ。
ローマ人は4世紀ほどロンドンに居続けましたが、ついには撤退し、アングロサクソンの移植が始まります。
ローマ人の作った壁の中のロンドンは、その後人口が減ったり、壁の外に村が出来ていったりしつつも(現在のCity of Westminster)、繁栄を続けます。その結果、壁の中は、道は狭く、家が犇めき合う過密状態になっていきます。
そして、当時のロンドンの建物は木造。
そして、1666年9月。
Pudding Laneのパン屋から火が出ます。
これが有名なロンドン大火災の始まりです。
うちの息子はY2でこれを勉強してましたが、ロンドンの外の学校はどうなんでしょう?しましたか?
ロンドン大火災の詳細は省きますが、壁の内側の3分の2ほどが焼け落ちたそうです。
この不幸を好機に変えたのは、Christopher Wrenという建築家。
当時の王様、チャールズ2世のお気に入りでした。
フランスで当時の最新の建築(=バロック)の影響を受けたレンは、大火災の前から聖ポール大聖堂の大規模な建て替えを提案していて、チャールズ2世は賛成していたものの、その他が大反対で頓挫。
そこへこの大火災。
すかさずレンや他の建築家たちは、チャールズ2世にロンドンの建て直し計画を提出したそうですが、実現の難しいプランだったようで、反応は薄かった... というかほぼ無視されたようです

ロンドンの再建は、現存の通りを広くすることから始まり、
レンは、セントポール大聖堂の再建と51の教会の再建を任されます。
51とは言っても、当然全ての教会をひとりでデザインしたわけではないようです。
セントポール大聖堂の再建は、大火災の約4年後の1670年から本格的に開始します。
というわけで、レンの代表的な建築であるセントポール大聖堂が出来ていくわけなのですが、完成には約11年がかかりました。
さて、セントポール大聖堂といえば、あの特徴的なドームが有名です。
世界的にも、かなり大きいそうです。
このドーム、絶妙なバランスの大きさだと思いませんか?
私は、完璧に丁度いいと思うんです。
大き過ぎず、小さ過ぎず。
そして、内側から見上げた時も、高過ぎず、丁度よく感じるんです。
それは、このドームが3層構成だからなのです。
外観の大きさに合わせたドームだと、大き過ぎて重過ぎ、構造に無理が生じる。
中に合わせたドームだと、小さ過ぎて、外から見ると見栄えが良くない。
なので、内側用のドームと、外観用のドームが別々にあるんです。
そのお陰で、重さも半減して、構造的にも楽になったそう。
とても単純な解決策ですが、私は「あ、なるほどー!」と感心してしまいました

当時は、建築後進国だったイギリスですが、パリの教会、パンテオンには、セントポールの影響が見られるそうですよ。
レンが憧れたバロック様式の大聖堂。
奇しくも、デザインをして却下されたその数年後に、ロンドンの3分の2をも燃やし尽くした大火災のお陰で、夢が叶ってしまったのです。

しかし、頼まれてもいないのに、ロンドン再建のプランを描き上げて提出したり、しかもそれが実現の難しい(でも実現できれば理想的ではあった)内容だったり、どの時代もアーキテクトの心意気はあんまり変わらないものなんですねぇ。
昔出席した安藤忠雄氏の講演会でも、全く同じようなこと言ってましたよ(笑)
クリストファー・レンの有名な建物
ハンプトンコート
ケンジントンパレス
王立天文台(グリニッチ天文台)
オックスフォード大学トリニティーカレッジ内、レンライブラリー などなど。