続きです。




労働組合の人と待ち合わせをして、弁護士さんのところへ向かいました。



時間は、夕方6時。




労働組合の人に、



「こんなときに仕事もないでしょう。。。」



と言われましたが、、



やっぱり、仕事は投げられませんヽ(;´Д`)ノ






パートになったので、終わる時間は早いです。



急いで、高速に乗って弁護士事務所へ向かいました。






弁護士さんが、「大丈夫!」って言ってくれることを、少し期待していましたけど。。。



やっぱり、、事は難しいみたいでした。



「だけど、方法が全然ないわけじゃない」



と言って、



「あぁして、こうして」



と、労働組合の人と二人で、フムフムと話をしていました。



私にはよく分かりませんでしたが、、



会社の違法性を追求することが出来る、ということ、みたいでした。






が、しかし。。。



弁護士さん「だけどね、、お勧めは出来ない。職場に戻ったとき、針のムシロになる可能性が高いから」



と、言われました。





・・・




職場の上司は本社の人間のいうことを聞きまくりですが、、



私には何も言いません。



だから、本社の人間に会わなければ大丈夫なんじゃないか?と思いましたが、




「それでも、細かいことをチェックされて、本社に報告をされて、神経をすり減らしていくことになると思うから、お勧め出来ない」



と、言われました。






確かに。



本社は、、なんとか私をクビにしようと、細かいネタを集めては言って来ています。



これがずっと続くとしたら、、



私は気が休まることのない日々を過ごすこととなるでしょう。






私は大人しく、、「円満に退職する」線でいくことにしました。




そのためには、やはり、「勝利」を目指して、




「労働審判」を行うこととなりました。




労働審判とは??こちらをどうぞ→労働審判




まぁ、ようするに、昨今のブラック企業の増加に、



早急に労働者と会社との話し合いをするため、



労働裁判を簡略化したもの。。。



らしいです。




とはいえ、裁判です。




私は、、そこまで来たか。。。




と思いました。


これは、読んで不快になる人もいると思いますので、



アメンバー限定にします。





私にもこんなところがあったんだなぁ、、と思ったので、



記録のために書きたいと思います。




大変申し訳ありませんが、ほとんど個人的な記録のつもりなので、



アメンバーの募集はしません。




すみません。


まずは、仕事の話を。




本社から、契約期間満了の連絡をもらい、



前回もお話しましたが、私はすぐにその契約満了のお知らせをスマホで撮影して、



労働組合に送りました。



するとすぐに電話があり、



「これは、悪い話、ということでいいんですね?」



と、言われました。



はい、とお伝えし、今後の話し合いをしたい、と会社に申し出をしてもらうことになりました。




が、、です。



本社も企業。



弁護士がついているんでしょう。



一度は私抜きで話合いをしてもらいましたが、



その結果、、



「一度、弁護士に相談に行きましょう。こちらへ来れますか?」



という連絡がありました。



今後、労働組合との交渉はしない、ということらしいので。。。



というお話でした。





ネットで雇用トラブルのことを調べているときに、



弁護士のサイトを時々見ましたが。。。



弁護士も、仕事なので、企業側につくことが多いんです。



そりゃそうでしょうね。その方がもうかりますから。




その時に、労働組合との交渉について、という項目を見たことがありますが、



「出来ないことは出来ない、と毅然とした態度で」



というお話でした。



まさに、それを地でいくんだろうな、と感じました。




♪正義のー 味方はー あてにならない!(by SMAP)



…って思いました(^_^;)

ブログを訪れて下さった皆様、有難うございます。



途中にして申し訳ありませんでした(^_^;)




またボチボチと続きを書かせていただこうと思いますので、




よろしくお願いします。

精神病院。



自分がそこへ行くことになるとは、夢にも思いませんでした。





診察前に、面談室に通されて、事のいきさつを事細かにお話しました。



そこで聞かれたのは、おいたち。



母親がどういう育ちかを、細かく聞かれました。



そういうことって、関係するんですね??






前回父親がお坊ちゃまだった話をちょっとしましたが、



母も元・お嬢様です(´-∀-`;)



「子どもの頃は、お嬢様です」



と告げると、



「どのくらいのですか?」



と聞かれました。



なるほど、お嬢様にも、色々ありますからね。






父親の実家(というかうち)は昔、かなりのお金持ちだったらしいですが、



母の実家は、その上をいくお嬢様でした。



地元は昔、産業があって、子供のころは満州に丁稚奉公へ行っていた祖父が一代で会社を立ち上げたのです。



今は人口数千人の街なので信じられませんが、



祖父は朝鮮と貿易をしていたらしく、



母は戦前の生まれですが、



それこそ戦争中も食べ物に不自由したことがない、というほど、



お金持ちだったらしいです。






その証拠に、うちにはお揃いの靴箱、鏡台、和ダンス、洋服ダンスがありますが、



母がお嫁に来るときに、今で言うオーダーメイドで作ってもらったものらしいです。





そのほか、田舎者で年寄りなのに「ジェームスディーン」とか、「マリリンモンロー」とかを知っていて、



「お母さん、知ってるの?!」



と驚くと、



「うちの土地に映画館があったから、(地主特権で)いつもタダで映画を見ていたのよ」



なんてことも言ってました。






・・・母も、そんなことを自慢したりするタイプではないですが、、



たまに、元・お嬢様らしいわがままを言いました。



食べ物を放置して腐らせたりして、



「もったいないでしょ?!お母さん、食べ物に不自由した世代なのに、何やってるの?!」



と私が言うと、



「お母さんは、食べ物に不自由したことなんか、ないもん」



(´-∀-`;)





まぁ、その母も、農家であるうちにお嫁に来て、



初めての肉体労働でかなり苦労したみたいです。



「最初のうちはずっと、微熱が続いた」



と言っていました。





母がお嫁に来た当時、うちはもうすでに傾いていたらしく、



(収入が減っていたに、学歴主義だったおばあちゃんは、当時、中卒が普通だった時代に、父の弟たちを東京の大学へ行かせたので、かなり、苦しかったみたいです)



お嬢様だった母も、働き手として駆り出されていたのです。


お久しぶりです。



なんだか、こうやって振り返ってみると、、



波乱万丈なのは、仕事ではなく、母の介護だったりして??という気がしてきました(笑)



私の、うちの介護歴はなかなか長いです。



まず父が、入院をしてから。



年寄が長く入院をすると、足腰が弱るんですけど、、



それを「頑張って動くようにならなくちゃ!!



・・・ってタイプではなかったんです、、うちの父親の場合。




「動けないなら、誰かにやってもらえばいい」



的な考え方の人で。



なんていうか、、お坊ちゃまなんですよね、、うちの父親って。



うちは今は見る影もないですけど、、



昔々はかなりのオカネモチだったらしいです。



農家なんですけどね。



小作人とか、いっぱいいて、いっぱいうちに、住んでいたらしいです。



そこで、長男跡取りの父親は、、



それはそれは蝶よ花よと育てられたみたいです。



まぁ、、それは、、実は父親は本当は二男だったらしくて、



長男さんが幼い時に亡くなったらしくて、、



それもあっておばあちゃんは、、父親をそれはそれは大事に育てたみたいです。



そんな話はまったくすることはなかった寡黙な父親でしたが、、



やっぱり年を取ると本性が出るというか。。。(^_^;)



「俺は大事に育てられたんだ!」



と言っておりました★



はは。



母の話に、続きます。

預かってもらうところが決まるまでは、かなり苦労をしました( p_q)



とりあえず、今までの施設で預かってもらったのですが、すぐに



「迎えに来て下さい」



と言われるし。




ちょっとした隙をみて家から飛び出したことも多々。



その時も必ず、「(誰々に)呼ばれたんだ!早く、助けなければ!」と言って聞きませんでした。



近所の人からの連絡で駆け付けた時は、



近くの畑の雑草が茂ったところに、



狂人としか思えないような顔をした母がパジャマのまま、裸足で雑草をかき分けていました。



それを強引に、腕を引っ張って連れて帰る日々。



本当に、地獄のようでした。





今迄の施設に「もう、限界です」と言われて、



認知症対応型の施設を探しましたが、なかなか見つからず。



そういう施設は、住民票がある街でないと、入れないらしくて、



私の住所がある街は田舎なので、施設自体が少なかったことも原因でした。






困り果てた私たち姉妹は、遂に、



精神病院へ向かいました。

最初の出来事をきっかけに、母は毎日のように、



親戚、自分の兄弟、父親の兄弟のことを、



「○○が危ないらしい!」



と言い出しました。




家族もすっかり、「またか」というようになり、



父親も、「いい加減にしてくれ!」



言っていました。





統合失調症というのは、


「誰かの声が聞こえる」



ものらしいのですが、



母も、誰かかから聞いた、と毎日、言っていました。




余談ですが、人に聞こえない声が聞こえる、ということで、


昔は「神の声」を聞く者、としてあがめられた例もあるそうです。




誰かに聞いたんだ、、と言うだけだった母の症状は、



どんどん、悪化してきました。



次第に、




「悪魔がやってくるぅぅ~



あぁぁぁ~、、、殺される!!」




と叫んで暴れるようになったのです。



これはかなり、、性質が悪かったです。



気晴らしに温泉でも行こうか、と温泉へ行き、



両親共に入れるために借りた家族風呂の脱衣所で突然騒ぎ始めたり。





次第に近所でも、母は評判になり始めました。



どこを見ているかわからない顔をした年寄りが、



ご近所の真っ暗な庭に何時間もたたずんでいたりしたのです。



ご近所の人は、さぞかし怖かったと思います。





噂を聞いた叔父から、


「もう、病院に入れたらどうだ」


という電話がかかったこともありました。




でもそれは最終手段。。。



とにかく、私と姉が仕事へ行っている昼間、預かってくれるところを探そうと、



奔走しました。