先日の「一流であり続ける、という事」の記事内で、菊地絵理香選手を「我が君」と表現した。
もしかしたら誤解を招いたかもしれない、と心配になり、改めて意味を調べてみて、その心配は杞憂に終わった。
「主従関係や忠誠心を示すために使われることがある」
よかった。間違いなくその解釈で使わせてもらっている。
側からみると、なんとも気味の悪い行為に思われるかもしれない。私自身何十年もスポーツを観戦してきたが、1人のアスリートに忠誠心を抱いたことなどなかった。
だが、2018年のJLPGAツアーにおける菊地絵理香選手のプレーが、私の心をぐわんと鷲づかみにした。
その年は何度となく優勝争いをしたものの、結局未勝利に終わった絵理香選手。言い方は悪いがその「負けっぷり」に、完全に虜になってしまったのだ。
そこで植えつけられた忠誠心により、彼女の望みが私の望みと同等になっていく。
彼女の望みとは、メジャー制覇だ。
年に4回のメジャー、今季最初の大会が2日後に開催される。
2015年と2023年の女子オープンのような、ベストを尽くして私たちに最高の感動をくれた2位、これはもう要らない。
彼女の思いもおそらく同じであろう。
どんな形でもいい。
ギャラリーとハイタッチをしながらアテストルームへ向かう姿をみることができるのなら。
表彰式で、大東建託ではギリギリこらえた心の汗をみることができるなら。
そして、メジャー獲得による3年シードを行使せず、今季限りで現役を退く決断をしたとしてもだ。
Her Majesty, As you are.
我が君、あるがままに。
I will watch over you.
あなたの背中を私は、推し続ける。