※今回の記事は「自分を追い込むためのメモ」という性格上、自分語りがあまりに過ぎるので、苦手な方はスルーでお願いします。
「Sports Graphic Number」
言わずと知れた日本を代表するスポーツグラフィック誌だ。スポーツ系ライターにとって、Numberで執筆することは、憧れでありひとつのステイタスだった(今でもそうかもしれないが)。
スポーツ好きのデザイナーも同様で、当時のNumberのディレクターがセレクトする写真はめちゃめちゃカッコ良かったので、それをレイアウトできるのは至高の喜びとされた。
幸せなことに私はちょっとした縁があり、そのNumber関連(PLUS)の誌面デザインをしていた時期がある。
これとか。2014年発売なのでちょうど10年前。あのカリスマADのBさんと一緒に作ったんだよな。ナツカシイ
「サラリーマンだった私が“Number”に記事を書くようになるまで」
脱サラしてそのNumberに寄稿することになったというKさんのブログを発見したので、ちょっと拝読してみた。
Kさんはある夏休みに甲子園で高校野球観戦中に、「書かなければ」という背中を焼かれるような衝動に襲われたのだという。
その時書いた文を会社の上司に渡し、後日退職願いを出したら、上司はこう言った。
「これだけの文章が書けるのなら、(退職を)留めることはできないなぁ」
この2人のやり取り、なんとオシャレなのだろう……。文章に関してはお互い素人のはずなのに。
背中に走った衝動の赴くまま書き連ねた文は、その上手い下手を超越したある種のチカラ(迫力)を持って、上司の心をブチ抜いたのだろう。(もちろんKさんの文章が下手なはずがないのだが)
さて、僭越ながら、私もこのKさんと同じように「訳のわからない衝動」が自身の背中を強烈に押した瞬間があった。
「今年のアワード、書く人がいないんで弊誌は出席しません」
10月下旬、私が年末のJLPGAアワードを見に行きたい旨リクエストした時、敏腕デスクは面倒くさそうにそう言った。
おっと、最初のハードルでコケるわけにはいかない。私は迷わずこう返した。
「そしたら、私が書きますよ」
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話は1年前に遡る。
2022年のJLPGAアワードの配信動画や記事を見て、どうしても次年は直接現地に行きたくなった私は、まずは大谷翔平ノートのようなものを作り、ゴールを「2023年JLPGAアワードに出席する」に設定した。
2022年JLPGAアワード控室。こっちゃんの提案でハートを3人で
大谷翔平ノート。マンダラチャートっていうそうだ
あの敏腕デスクに「こいつ色々よく知ってるな」と思わせたいので、2023年シーズンが始まると、某ブログに昨年よりも詳細な試合レポートを書くよう心がけた。贔屓の絵理香選手のことだけでなく、各試合の上位はもちろん、ピックアップすべき選手のチェックなど、なるべく公式や●●TVのサイトなどを見ないよう、自分の言葉でつづるようにした。
8月も終わろうとする頃、ブログで試合の詳細を展開しても周りの反応がまったくないことに業を煮やし、3月ダイキンからの試合レポートを、ここAmebaにごっそり移植する決心をする。自分では面白いと思って書いていても、他の人はどうなのか、そもそも誰も読んでくれていないかもしれない。このままだとただの日記になってしまう。焦りに似た感情がこの大引っ越しへと駆り立てた。
移植には約1ヶ月かかり、試合とシンクロしないタイミング(遅れて)での更新が続いてしまっていたが、あの女子オープンでようやく追いついたのだった。
すると幸運にも、ここAmebaで掲載を始めてまもなく、私の駄文にコメントをしてくれる方が登場。それがとても大きなモチベーションとなった。この感謝の念が消えることはないだろう。
そして、10月1日のあの女子オープンでついに「背中を焼かれるような衝動」に襲われたのだ。
「これは今、徹底的に書いておかなければ」
さて、開幕以来の努力が実を結んできたのか、敏腕デスクが少しづつ私を信頼し始めてきたのを肌で感じていた。それを受けての10月下旬の「そしたら私が書きます」アピールだったが、とは言え所詮素人の私に実際に依頼など来るはずがない、と正直半分以上は諦めていた。しかし書き散らかした試合レポートのまとめ等、万が一オファーがきた場合の準備を怠らずに望み薄めの吉報を待っていたのだが……。
11月下旬、なんと編集長からまさかの「Go」がでる。
口をついて出たのは「やった!」ではなく「マジか」だった。
そこから本番までの1ヶ月は、人生でこんなに能動的に頑張ったことはないかもしれない期間だった。
12月、晴れて年初の目標だったJLPGAアワード会場に来られたのだが、あんなに楽しみにしていたというのに、残念ながら楽しむ余裕など全くなかった。すべての選手の発言を一字一句逃すまいと神経を研ぎ澄ましていたら、待ちに待っていたその1日はあっという間に終わってしまったのだ。
会場のパレスホテルからの帰路、雲の上を歩いているような気持ちだった。
そのアワードの模様に2023年シーズンの出来事を絡めた4ページに渡る2000字余りの文章は、翌月に雑誌の一部を構成し、無事発行された。
本業をかなりセーブして挑んだ
そしてその記事は、ありがたいことに編集部内で評価され、4月売りから定期のお仕事をいただいたのだ。まずはその企画を半年で冠企画(「ひよこきんぎょの〜」)に育てるのが当面の目標である。
濃密だった2023年に続き、来季以降のひよこきんぎょ版大谷ノートのゴールは「スポーツ・ノンフィクションライター賞を獲る!」に設定してやろうと思っている。
ノンフィクションの題材はすでに決まっている。
ある女性プロゴルファーが公式戦で初優勝を果たすまでのドキュメントだ。
根拠のない自信は変わらず持ってはいるが、今季はさらに徹底的に理論武装(取材による)して、テキストの濃度をもっともっと上げたい。
自身の羞恥心が変わらず私の背中を追いかけてくるだろう。だが絶対に追いつかせないスピードで目標まで駆け抜けてみせる。
私のモチベーションの9割9分5厘はこの人なんだよな