「冥想」(めいそう)は、シンガーソングライター尾崎亜美のデビューシングルである。
1976年3月に東芝EMIからリリースされた。
当時、小生は、大学4回生、尾崎亜美(当時の本名は、尾崎美鈴、現在は、ベーシストの小原礼と結婚して小原美鈴となっている)はまだ19歳だった。たしか、関西ローカルのラジオにパーソナリティの感じで出ていたように思う。――あれから50年、彼女も、よわい69歳か? ――まだ、若々しいかぎりだ。
この楽曲だが、作詞・作曲は尾崎亜美自身が、編曲は、松任谷正隆(ユーミンのパートナー)が担当して話題になったと記憶する。
演奏には松任谷のほかに、ティンパン・アレイ(≒キャラメル・ママ)のメンバーから林立夫(ドラムス)が参加している。そのほかに、当時いろいろ出てきはじめたスタジオ・ミュージシャンも参加している。
なお、キャラメル・ママは、 ユーミン(荒井由実)のデビューアルバム『ひこうき雲』に、集っていたメンバーで、ミュージシャン集団としてのティンパン・アレイ(のち鈴木顕子【矢野顕子】の配偶者となる【その後別れたが】アレンジャーの矢野誠なども入っていたようだ)とほぼイコールのように思う。
小生が、本格的に尾崎亜美を認知したのは、その1年後くらいに、ニッポン放送のオールナイトニッポン(水曜の二部;深夜3時~5時の部)だったと思う。
しゃべりがおもしろいのと、歌声と違って、しゃべり声がドラえもん(大山のぶ代)のような印象を受け、気になっていた。
デビュー当時、尾崎は ″第2のユーミン″ として注目され、音楽ファンからは ″京都が生んだ天才″ とも呼ばれた。
たしかに、才人の印象が強かった。
その後も、SONGライター、桃姫バンドのヴォーカル、宇崎竜童+奥田民生とのコラボ、小原礼(元サディスティックスなどのベースシスト;後藤次利の後か?)とのコラボ(二人は、けっこうな年齢?でパートナーになった)など、多彩な活躍をした。
はなしをもどすと、
この楽曲「瞑想」は、ソングライティングもさることながら、アレンジや音の軽やかさ(エレクトリック・ピアノの音など)が印象的だった。あわせて、間奏でのアルトサックスのグルーヴ感のあるリフもいい感じだ。
ちなみに、シングルCDの歌詞掲載部分には以下の内容の詩が載せられている。
ーー 興味深い詩なので、以下に紹介・引用しよう ーー
ひとりぼっちではいられない
なのに すぐに自分で自分を
一人にしてしまう
ひとに会うのが怖い時やわずらわしい時
いろんなものが私の色でまわりだす
夢、淋しさ、迷い、あこがれ etc.
心のエッセンスは誰のじゃまもしない
特効薬にはなれないけれど
私のエッセンスは淋しい人のそばにいたい
―― 亜美
****参考****
シングルCD 収録曲
SIDE A
冥想
作詞・作曲: 尾崎亜美 / 編曲: 松任谷正隆 / 管編曲:村岡健
SIDE B
冬のポスター
作詞・作曲: 尾崎亜美 / 編曲: 松任谷正隆
*参加ミュージシャン
▶冥想
· A. Piano, E. Piano: 松任谷正隆
· E. Guitar: 松原正樹
· Drums: 林立夫
· E. Bass: 宮下圭介
· Percussion: 斎藤ノブ
▶冬のポスター
· A. Piano, E. Piano, M. Synthesizer:松任谷正隆
· G. Guitar & E. Guitar:松原正樹
· Drums: 林立夫
· E. Bass: 宮下圭介
· Percussion: 斉藤ノブ
ちなみに、松田聖子の楽曲などの編曲家で惜しまれつつ早逝した大村雅朗氏は、この「瞑想」の曲、編曲を聞いて、編曲家をめざしたという。
なお、小生、1977年ごろ、当時の「京都会館ホール」で、地元の京都で、はじめての?コンサートを開いたので、チケットを買って、見に行った。――しかし、会場には女子高生ばかりで、(浮いた感じだったので)握手会には参加しなかった。
ただ、お母さんと思しきかた(二葉百合子風?)も、握手サービスをしていて、なにかの流れで、お母さんと握手をしてしまった、という記憶がある。
その後、下宿のナナメ向かいの部屋のOくんのところによく通ってきていたSくんは、尾崎亜美の山城高校時代の同級生だったというので、いろいろ、当時のこぼれ話を聞いたものだった。彼の話だとーー彼女(尾崎美鈴)は、高校時代、身体が弱くて学校を休みがちだったそうだ。
いま、小生は、彼女が通った京都市立柏野小学校や衣笠中学校の近くで、仕事をしている。
そういや、彼女がはじめて作詞・作曲したのは「衣笠中学音頭」(衣中音頭)だったとか…。
まあ、あれから50年、その間いろいろあった(なぁ)。 ーーそんなことも、いい思い出だ(と思いたい)。
まとめに一句。
瞑想から抜け出してゆく春一番 ひうち