去る7月31日の『赤旗』一面トップで、志位議長が、“今こそ『資本論』を読むムーブメント” を呼びかけた記者会見の記事が出ていた。翌8月1日にはその詳細が、また、youtube では、1時間半近い記者会見(?)の様子がアップされている。
これは、『Q&A いま『資本論』が面白い』(新日本出版社)という新著を志位議長が出した記念でもあるという。
ちなみに、『資本論』の読書会を広める運動というのは、アメリカのバーニー・サンダースにならったものらしい。
――アメリカでいまムーブメント?だと、それらしいことは米の経済学者の名前を出して強調している。
しかし、この参院選挙での後退の総括もきちんとせず、いまなぜ、カール・マルクスの『資本論 (Das Kapital) ーー経済学批判』なんだろうか?
チカラがなくなった民青同盟も、すぐに「受け売り」するのだろうか?
共産党からの除名の不当訴訟をしている松竹伸幸さんは、「悲しくなる」とyoutubeで述べていたが、この志位・共産党議長の言動に同世代として、「政治情勢ボケ」・「ピエロのような滑稽さ」を感じてしまう。
現在共産党が直面している壊滅的選挙結果については、
――自公過半数割れが成果だが、参政党の躍進という逆流もあるーー などという自党のことを棚上げした評論家みたいなコメントしか述べず、共産党自らの「壊滅的結果やその原因について一言も触れない」ような記者会見をこの時点で開き、(学術的には「?」の)個人的趣味?みたいな『資本論』の論議?を喜々として流すような「議長」など、「情勢ボケか?、誰か止めろよ!」と言いたくなる。
―― 150年以上にもおよぶ世界中の資本論研究、マルクス研究を踏まえた独自の『資本論』解説など、政治家が片手間でやれるようなこと(不破哲三氏の顰に倣いたいのか、不破氏が存命中に「褒めてもらいたい」のかも?)なのだろうか?(また、政党の党首がそんなことに時間を使うことがいかに陳腐で、独自の宗教解説者然という、自覚もない)
昔のレーニン時代のような、革命家は同時に最高の理論家でもあらねばならない、という「カリスマの迷信」を自分はいまも「体現できている」と信じている様はピエロそのものだ(志位さんを上から抑え続けてきた不破哲三さんの「自己都合的な資本論研究?」への屈折した憧れの表現でもあるのでしょうが、周りで止める幹部もいない!)。
ーー 近年の斎藤幸平氏の活躍もそうだが、「資本論」の研究史を少し繙いてみても、未完の「資本論」の構想のもとになった「経済学批判要綱」(グルントリッセ)の読解、見田石介(正統派)ー宇野弘蔵(宇野派)論争の学問的検証など、もっと精密な研究痕を見せないと、マルクス(研究)の学術界からは笑われるのではないか?
日本共産党に関して言えば、「資本論」カルト的な一面がある。
マルクスは、その「資本論」が経済=革命思想(理論?)の完成形で、それ以外は「単なる草稿」という姿勢も、経済思想研究史からみれば、やや陳腐だ。
こうした、醜態を止める幹部が1人もいないのか? それが日本共産党の現状なのか? やはり、宗教的政治団体化して政治状況の中では、「衰退」してゆく運命なのか?
もう少し言えば、「社会主義」・「革命」などという言葉の正統性も再審してみる必要がありそうだ。
まあ、救い、改革の方途はありそうだ。
――それは、まわり道ではあっても、まずは、自由に異論を発言できる党内環境かもしれない。
まとめに、一句を添える。
八月のマルクス赤き資本論(Das Kapital) ひうち