1998年毎週金曜日の22:00 - 22:54にTBS系(関西は毎日放送)で放送され、TVドラマとして(賛否両論)反響を呼んだ、野島伸司脚本の『聖者の行進』のエンディングテーマの1つだった、中島みゆきの「糸」は、こんにちでも結婚式などで歌い継がれている曲だ。

 

 あわせて、おなじく『聖者の行進』のエンディングテーマだった中島みゆきの「命の別名」もだが。

当時私は、「糸」はややきれいごと(ハッピーエンド=めでたしめでたし)の世界を描くもの≒「世界観」(?)ではないか、それに比べて、「命の別名」には、社会の弱者として捨てられるもののプリミティブな叫びだ、と感じた。

 

 謎なのは、この11話あるドラマに2つのエンディング曲あり、1~4話と10話、最終話が「糸」、5~9話が「命の別名」ということである。おそらく、意図的なものだと思ったが、この2曲は、注文曲だったんだろうか?と思うほど、ドラマとマッチしている。

 そもそも、えぐい野島作品(『家なき子』のように)には、当時中島みゆきのつくり・うたう曲想があっていたのかもしれない。

 

 というわたしも、結婚式では、アカペラ独唱で「糸」を披露すること多々ある。

 さいきん、気づいたが、「ささくれ」≒「世の常道からはずれる(ドロップアウト)」と「擦りむいて疵(キズ)をつくる」こと、という2つを掛けているんだなあ、と。

 

 あわせて、「しあわせ」を「幸せ」ではなく「仕合わせ」と、あえて表記していることだ。

 これには、当時、深い意味はないとおもっていたが、しあわせの原語表記の「仕合わせる」をもってすると、この歌の最後のフレーズのニュアンスが変わってくる。

 

 では、歌詞を見てみよう。

 

  「糸」   作詞・作曲。歌 中島みゆき

 

なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない

いつ めぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない

 

どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語

縦の糸はあなた 横の糸は私

織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない

 

なぜ 生きてゆくのかを 迷った日の跡の ささくれ

夢追いかけ走って ころんだ日の跡の ささくれ

 

こんな糸が なんになるの 心許なくて ふるえてた風の中

 

縦の糸はあなた 横の糸は私

織りなす布は いつか誰かの 傷をかばうかもしれない

 

縦の糸はあなた 横の糸は私

逢うべき糸に 出逢えることを 人は 仕合わせと呼びます

 

 

 

 

 最後に一句。

          ささくれた仕合わせばかり走り梅雨  ひうち